小田島樹人
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小田島 樹人︵おだしま じゅじん、1885年 - 1959年10月11日︶は作曲家。童謡﹃おもちゃのマーチ﹄の作曲者。本名は小田島次郎︵おだしま じろう︶であり、﹁樹人﹂は俳号。鹿角市先人顕彰館、秋田県立博物館に展示がある。
略歴[編集]
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●1885年 - 秋田県鹿角郡花輪町︵現鹿角市︶で当時の花輪郡長、小田島由義の次男として出生。
●1899年 - 岩手県立盛岡中学校︵現岩手県立盛岡第一高等学校︶に進学。一年上に石川啄木がいた。
●1914年 - 東京音楽学校器楽科︵現東京芸術大学︶を卒業、同窓に中山晋平、梁田貞らがいた。
●同年 - 東京芝の三光小学校に音楽教師として奉職。中山晋平等と新童謡運動を起こし、この時代に﹃おもちゃのマーチ﹄﹃赤いソリ﹄﹃山は夕焼け﹄などを発表している。
●1919年 - 三光小学校を病気退職。
●1933年 - 都新聞︵東京新聞︶編集局に入り歌壇の選者となった。
●1936年 - 郷里に帰り秋田県立花輪高等女学校︵現花輪高校︶、秋田師範学校︵現秋田大学教育学部︶嘱託教授等勤務。
●1941年 - 県立秋田中学校︵現秋田高校︶定時制で教鞭を執り、定年まで勤務。
●1950年 - 秋田学生音楽連盟を結成、機関誌﹁音楽秋田﹂を編集。
●1959年 - 10月11日没。享年74。
作品(順不同)[編集]
※括弧内の人名は作詞者
●赤い橇︵海野厚︶
●秋の夜︵海野厚︶
●秋晴︵五味貞雄︶
●おもちゃのマーチ︵海野厚︶
●向日葵︵海野厚︶
●山は夕焼け︵海野厚︶
●秋空に歌ふ︵西岡水朗︶
●いい子にあげよ︵奥平祥一︶
●こんばんさん︵奥平祥一︶
●空の道︵森永童謡︶
●雲雀よ雲雀︵森永童謡︶
●雨の降る日︵権藤はな子︶
●帰る燕︵西條八十︶
●桔梗︵伊藤小虎︶
●しゃぼんだま︵米澤順子︶
●水車︵原まさる︶
●すずらん小鈴︵堀口仙七︶
●夏が来た︵小田島樹人︶
●機織り︵森永童謡︶
●旅の鳥︵島田芳文︶
●仲よし子よし︵島田芳文︶
●忠犬ハチ公︵小野進︶
●椿︵八木さわ子︶
●なくしたおてだま︵米沢順子︶
●春の鐘︵下田惟直︶
●春の野辺︵安成二郎︶
●日鳴き鳥︵藤田健次︶
●ひよこ︵島木赤彦︶
●本荘小唄︵小島彼誰︶
●浅間小唄︵不詳︶
●花輪小唄︵高杉露星︶
●大曲小唄︵田口松圃︶
●鹿角小唄︵川村 薫︶
●わすれな草︵山田せんし︶
●石割桜︵山崎淳子︶
●子供のアベマリヤ︵下田惟直︶
●すゐれん︵長尾豊︶
●月夜の雁︵小田島樹人︶
●遠いはなあに︵伊藤小虎︶
小田島樹人 断片語から
﹁歌うことは聴くことである。弾くことも亦…
音楽は聴く為にのみ存在する。歌い又は弾くために存在するのではない。
歌いたい又は弾きたい衝動は聞きたい衝動である。
聴きたい衝動に駆られる時自らも歌って之を聴き
聴きたい衝動に駆られる時自ら弾いて之を聴く。
斯くして心を、魂を豊かにする事こそ
音楽の第一義的な存在理由である。﹂
関連項目[編集]
- 海野厚 - 『おもちゃのマーチ』作詞者。小田島の俳句仲間。
- 福島県立小名浜高等学校「応援歌(作曲)」