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「小野貞樹」の版間の差分

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{{基礎情報 公家


''' '''  [[]][[]][[]][[]][[|]][[#|]]

| 氏名 = 小野貞樹

| 画像 = <!-- 画像ファイル名 -->

| 画像サイズ =

| 画像説明 =

| 時代 = [[平安時代]]前期

| 生誕 = 不詳

| 死没 = 不詳

| 改名 =

| 別名 =

| 諡号 =

| 神号 =

| 戒名 =

| 墓所 =

| 官位 = [[従五位|従五位上]]・[[肥後国#国司|肥後守]]

| 主君 = [[文徳天皇]]

| 氏族 = [[小野氏]]

| 父母 = 父:石見王?、母:不詳

| 兄弟 = [[高階峯緒|峯緒]]?、'''貞樹'''

| 妻 = [[小野小町]]?<ref name="a" />

| 子 =

| 特記事項 =

}}

'''小野 貞樹'''(おの の さだき、生没年不詳)は、[[平安時代]]初期から前期にかけての[[貴族]]・[[歌人]]。



== 出自 ==

== 出自 ==

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嘉祥4年([[851年]])[[甲斐国#国司|甲斐守]]に転じると、その後[[天安 (日本)|天安]]元年([[857年]])[[大宰府|大宰少弐]]、[[貞観 (日本)|貞観]]2年([[860年]])[[肥後国#国司|肥後守]]と、専ら地方官を歴任した。この間の[[斉衡]]2年([[855年]])に従五位上に昇叙されている。

嘉祥4年([[851年]])[[甲斐国#国司|甲斐守]]に転じると、その後[[天安 (日本)|天安]]元年([[857年]])[[大宰府|大宰少弐]]、[[貞観 (日本)|貞観]]2年([[860年]])[[肥後国#国司|肥後守]]と、専ら地方官を歴任した。この間の[[斉衡]]2年([[855年]])に従五位上に昇叙されている。



勅撰[[歌人]]として、『[[古今和歌集]]』に2首の[[和歌]]作品が採録されている<ref name="csb" />。このうち1首は[[小野小町]]とやりとりした贈答歌であり<ref>『古今和歌集』782,783</ref>、貞樹を小野小町の夫と想定する意見もある<ref>熊谷[1972: 30]</ref>。

勅撰[[歌人]]として、『[[古今和歌集]]』に2首の[[和歌]]作品が採録されている<ref name="csb" />。このうち1首は[[小野小町]]とやりとりした贈答歌であり<ref>『古今和歌集』782,783</ref>、貞樹を小野小町の夫と想定する意見もある<ref name="a">熊谷[1972: 30]</ref>。



== 官歴 ==

== 官歴 ==

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== 参考文献 ==

== 参考文献 ==

熊谷直春「小野小町の真実」『国文学研究』47号、[[早稲田大学]]国文学会、1972年

*熊谷直春「小野小町の真実」『国文学研究』47号、[[早稲田大学]]国文学会、1972年



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2016年4月16日 (土) 13:13時点における版

 

凡例

小野貞樹
時代 平安時代前期
生誕 不詳
死没 不詳
官位 従五位上肥後守
主君 文徳天皇
氏族 小野氏
父母 父:石見王?、母:不詳
兄弟 峯緒?、貞樹
小野小町?[1]
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脚注

  1. ^ a b 熊谷[1972: 30]
  2. ^ a b 『勅撰作者部類』
  3. ^ 『日本後紀』天長元年正月7日条
  4. ^ 同じ石見王の子とされる峯緒王は承和10年(843年)臣籍降下して高階真人姓を称している。長屋王の子の山背王のみ藤原朝臣姓、その子孫は永原朝臣姓を称した。
  5. ^ 『古今和歌集』782,783
  6. ^ a b 『古今和歌集目録』

参考文献

  • 熊谷直春「小野小町の真実」『国文学研究』47号、早稲田大学国文学会、1972年