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2009年2月26日 (木) 17:32時点における版
山崎 今朝弥︵やまざき けさや、山崎今朝彌、1877年9月15日 - 1954年7月29日︶は、明治・大正・昭和期の弁護士、社会主義者。
人物
1877年、長野県岡谷市︵旧諏訪郡川岸村︶出身。上京後、明治法律学校︵現・明治大学︶に学び、1901年卒業。同年第1回判検事登用試験に合格︵弁護士試験にも合格︶、司法官試補となり甲府区裁判所詰となるも翌年依願免し、1903年渡米。1907年帰国し、東京弁護士会に入会して弁護士となる。1913年合同法律事務所の先駆けとなる東京法律事務所を設立。1917年平民大学創立︵大学令に基づく大学ではない。︶。弁護士団体である自由法曹団︵1921年︶の結成に参加。また、日本社会党︵1913年、山崎の1人政党︶、日本社会主義同盟︵1920年︶、日本フェビアン協会︵1924年︶の設立に関わるなど社会主義者としても活動し、社会主義者の弁護を多数手がけた。戦後は三鷹事件、松川事件の弁護団にも加わった。﹁米国伯爵﹂を自称したり、﹁弁護士大安売﹂という広告を出すなど奇行・奇文の人として知られ、数々の著書、雑誌を刊行した。著書
- 『粗食養生論』(隆文館、1907年)
- 『辯護士大安賣』(聚英閣、1921年)
- 『地震憲兵火事巡査』(解放社、1924年)
参考文献
- 森長英三郎『山崎今朝弥-ある社会主義弁護士の人間像』(紀伊國屋書店、1972年)
- 山崎今朝弥著、森長英三郎編『地震・憲兵・火事・巡査』(岩波文庫、1982年) ISBN 4-00-331601-0