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'''川島 理一郎'''(かわしま りいちろう、[[1886年]][[3月9日]] - [[1971年]][[10月6日]])は、洋画家。[[栃木県]]出身。1910年ワシントン・コーコラン美術学校卒業、1911年渡仏しパリの[[アカデミー・ジュリアン]]、[[アカデミー・コラロッシ]]に学ぶ。1912年[[サロン・ドートンヌ]]入選、1913年アカデミー・ジュリアンに入り、[[ジャン=ポール・ローランス]]に師事、1919年帰国、1920年より1922年まで英国、フランス、イタリアを回り、1926年[[国画創作協会]]を創立、この間たびたび渡欧、1948年[[日本芸術院]]会員、1949年[[日展]]運営会理事、1958年日展理事、1965年[[勲三等]][[瑞宝章]]受章、1969年日展顧問、没後従四位勲三等[[旭日中綬章]]。 |
'''川島 理一郎'''︵かわしま りいちろう、[[1886年]][[3月9日]] - [[1971年]][[10月6日]]︶は、洋画家。[[栃木県]]出身。1910年ワシントン・コーコラン美術学校卒業、1911年渡仏しパリの[[アカデミー・ジュリアン]]、[[アカデミー・コラロッシ]]に学ぶ。1912年[[サロン・ドートンヌ]]入選、1913年アカデミー・ジュリアンに入り、[[ジャン=ポール・ローランス]]に師事、1919年帰国、1920年より1922年まで英国、フランス、イタリアを回り、1926年[[国画創作協会]]を創立、この間たびたび渡欧、1948年[[日本芸術院]]会員、1949年[[日本美術展覧会|日展]]運営会理事、1958年日展理事、1965年[[勲三等]][[瑞宝章]]受章、1969年日展顧問、没後従四位勲三等[[旭日中綬章]]。
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== 著書・画集 == |
== 著書・画集 == |
2008年10月31日 (金) 10:37時点における版
川島 理一郎︵かわしま りいちろう、1886年3月9日 - 1971年10月6日︶は、洋画家。栃木県出身。1910年ワシントン・コーコラン美術学校卒業、1911年渡仏しパリのアカデミー・ジュリアン、アカデミー・コラロッシに学ぶ。1912年サロン・ドートンヌ入選、1913年アカデミー・ジュリアンに入り、ジャン=ポール・ローランスに師事、1919年帰国、1920年より1922年まで英国、フランス、イタリアを回り、1926年国画創作協会を創立、この間たびたび渡欧、1948年日本芸術院会員、1949年日展運営会理事、1958年日展理事、1965年勲三等瑞宝章受章、1969年日展顧問、没後従四位勲三等旭日中綬章。
著書・画集
- 最新油絵の描き方 中央美術社 1926
- 川島理一郎画集 アトリヱ社 1933
- 旅人の眼 竜星閣 1936
- 緑の時代 竜星閣 1938
- 北支と南支の貌 竜星閣 1940
- 美術の都・パリ 美術出版社 1952(みづゑ文庫)
- 川島理一郎画集 日動出版部 1973