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2009年2月5日 (木) 04:54時点における版
クラシック音楽 |
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作曲家 |
ア-カ-サ-タ-ナ ハ-マ-ヤ-ラ-ワ |
音楽史 |
古代 - 中世 ルネサンス - バロック 古典派 - ロマン派 近代 - 現代 |
楽器 |
鍵盤楽器 - 弦楽器 木管楽器 - 金管楽器 打楽器 - 声楽 |
一覧 |
作曲家 - 曲名 交響曲 - ピアノ協奏曲 ピアノソナタ ヴァイオリン協奏曲 ヴァイオリンソナタ チェロ協奏曲 フルート協奏曲 弦楽四重奏曲 - オペラ 指揮者 - 演奏家 オーケストラ - 室内楽団 |
音楽理論/用語 |
音楽理論 - 演奏記号 |
演奏形態 |
器楽 - 声楽 宗教音楽 |
イベント |
音楽祭 |
メタ |
ポータル - プロジェクト カテゴリ |
幻想交響曲︵Symphonie fantastique, 原題‥﹁ある芸術家の生涯の出来事、5部の幻想的交響曲﹂Épisode de la vie d'un artiste, symphonie fantastique en cinq parties ︶作品14は、フランスの作曲家エクトル・ベルリオーズが1830年に作曲した最初の交響曲。﹁恋に深く絶望しアヘンを吸った豊かな想像力を備えたある芸術家﹂の物語を音楽で表現したもので、ベルリオーズの代表作であるのみならず、初期ロマン派音楽を代表する楽曲である。現代でもオーケストラの演奏会で頻繁に取り上げられる。演奏時間は繰り返しを含めて約55分。
なお、続編として音楽付きの独白劇という側面の強い“叙情的モノドラマ”﹃レリオ、あるいは生への復帰﹄作品14bが書かれており、1832年に﹃幻想交響曲﹄の再演と併せて初演されている。
概要
幻想交響曲の特徴を端的に表すキーワードとして、﹁標題音楽﹂と﹁固定観念﹂を挙げることができる。﹁標題音楽﹂とは音楽以外の何かを表現することを意図した音楽である。また﹁固定観念﹂︵イデー・フィクス、固定楽想等と訳す場合もある︶とは、楽曲全体を通して繰り返し現れる主題︵旋律︶で、ワーグナーが後に用いたライトモティーフと根本的に同じ発想といえる。標題音楽、固定観念のいずれも、古典派音楽の交響曲にはほとんど見られない特徴であるが、ベートーヴェンの交響曲にその萌芽がみられる。
幻想交響曲は失恋した自分自身の体験を告白することを意図しており、各楽章に標題が付けられるとともに、1845年版のスコアでは演奏の際には作曲家自身によって解説されたプログラム・ノートを必ず配るように要請している︵1855年版では、コンサートでの演奏であれば、各楽章の標題が示されていればプログラムは省略可能としている︶。標題音楽の先駆者としては、幻想交響曲と同じ5楽章構成で、各楽章に標題を持つベートーヴェンの交響曲第6番﹃田園﹄があげられるが、ベートーヴェンの交響曲第3番﹃英雄﹄においてもすでに標題的な要素がみえる。
一方、固定観念についても、ベートーヴェン交響曲第5番では一つの動機が姿を変えて複数の楽章に登場するが、これはすでに交響曲第2番やピアノソナタ第7番において、同じ特徴を持つ動機が全楽章に使われていたことが拡大したと考えられる。交響曲第5番のフィナーレにおける第3楽章の回帰や交響曲第9番に見られる第1楽章から第3楽章までの主題の回帰なども、固定観念の先駆的な要素と捉えることができる。ウェーバーもまた、オペラ作品の中で人物や物を表現するときに同じ動機の繰り返しを用いていた。またベルリオーズと同じフランス系のサン=サーンスやフランクが、同じ主題を他の楽章にも繰り返し用いる循環形式を発展させており、同様なことがチャイコフスキーにも見られるが、直接﹁標題﹂とは結びついてはいない。純粋な管弦楽作品で、固定観念の技法をこれほどまでに使ったのは幻想交響曲が初めてであろう。
幻想交響曲では、ベルリオーズが恋に落ちた人物で、後に結婚したアイルランドの女優ハリエット・スミスソンへの愛を表す旋律が、楽曲のさまざまな場面において登場する。ベルリオーズはこの繰り返される旋律を﹁イデー・フィクス﹂︵idée fixe︶と呼んだ。この旋律は、曲の中での彼女の登場の仕方によって変化している。たとえば、第1楽章では、曲の主人公となる人物が彼女を想っている場面で現れ、また牧歌的であるのに対して、終楽章では、魔女たちの開く主人公の葬儀に現われた彼女を見るときに現われ、旋律は速く、﹁醜悪で、野卑で、グロテスクな舞踏﹂になり、キーキーとしたE♭管クラリネットで演奏される。
レナード・バーンスタインは、この交響曲を、音楽史上最初のサイケデリックな試みと述べた。これは、この交響曲が幻覚的、幻想的な性質があり、またこの交響曲がベルリオーズがアヘンを吸った状態で作曲されたという歴史があることなどによる。
作曲の経緯と初演
1827年、ベルリオーズはパリでシェイクスピア劇団による﹁ハムレット﹂を観た。その中でオフィーリアを演じたハリエット・スミスソンに熱烈な恋心を抱き、手紙を出す、面会を頼むなどの行動に出る。しかしながら、彼女への思いは通じず、やがて劇団はパリを離れてしまう。ベルリオーズはスミスソンを引きつけるために、大規模な作品を発表しようという思いを抱いていたが、激しい孤独感のなかで彼女に対する憎しみの念が募っていく。彼は、まもなくピアニストのマリー・モークと知り合い、恋愛関係に発展する。この曲はそのさなかに作曲された。なお、1829年には作曲者によって、交響曲についての文章が発表されている。
初演は1830年12月5日、パリ音楽院でベルリオーズの友人であった指揮者フランソワ・アブネックの指揮により行われた。多くの自作曲が演奏されたが﹁幻想交響曲﹂は最も注目を集め、第4楽章はアンコールにこたえてもう一度演奏されたという。出版は15年後の、1845年であった。その後、1855年までの間に、幾度か改訂が重ねられ、特に1855年の版では、プログラムノートも含めて大きな変更が加えられている。
婚約関係まで進んだベルリオーズとモークは、彼女の母によって1831年に破局させられ、モークはプレイエルの息子カミーユと結婚した。モーク母娘とカミーユを殺害しようとするほどの怒りに駆られたベルリオーズであったが、翌1832年、スミスソンと再会することになる。彼女は﹁幻想交響曲﹂の再演を聴きに来ていたのである。それをきっかけに、ベルリオーズの心に再び火がつき、今度はスミスソンも彼の愛を受け入れた。ベルリオーズの当初の目的は叶い、2人は1833年に結婚する。
日本初演は1929年5月9日、日本青年館にて近衛秀麿と新交響楽団︵現在のNHK交響楽団︶が行った。
曲の構成
全曲の構成面では、ベートーヴェンの交響曲第6番との類似性が指摘できる。以下の引用は、1855年版の作曲家自身のプログラムに基づく翻訳である[1]
病的な感受性と激しい想像力に富んだ若い音楽家が、恋の悩みによる絶望の発作からアヘンによる服毒自殺を図る。麻酔薬の量は、死に至らしめるには足りず、彼は重苦しい眠りの中で一連の奇怪な幻想を見、その中で感覚、感情、記憶が、彼の病んだ脳の中に観念となって、そして音楽的な映像となって現われる。愛する人その人が、一つの旋律となって、そしてあたかも固定観念のように現われ、そこかしこに見出され、聞えてくる。[2]
第1楽章「夢、情熱」 (Rêveries, Passions)
彼はまず、あの魂の病、あの情熱の熱病、あの憂鬱、あの喜びをわけもなく感じ、そして、彼が愛する彼女を見る。そして彼女が突然彼に呼び起こす火山のような愛情、胸を締めつけるような熱狂、発作的な嫉妬、優しい愛の回帰、厳かな慰み。[3] 形式的には伝統的なソナタ形式をとっている。ハ短調→ハ長調第2楽章「舞踏会」 (Un bal)
とある舞踏会の華やかなざわめきの中で、彼は再び愛する人に巡り会う。[4] ﹁固定観念﹂の旋律が随所に現れ、最後はテンポの速い流麗なメロディーと共に華やかに終わる。交響曲ではじめて﹁ワルツ﹂を用いた楽章であり、複数のハープが華やかな色彩を添える。イ長調第3楽章「野の風景」 (Scène aux champs)
ある夏の夕べ、田園地帯で、彼は2人の羊飼いが﹁ランツ・デ・ヴァッシュ﹂︵Ranz des vaches︶を吹き交わしているのを聞く。牧歌の二重奏、その場の情景、風にやさしくそよぐ木々の軽やかなざわめき、少し前から彼に希望を抱かせてくれているいくつかの理由﹇主題﹈がすべて合わさり、彼の心に不慣れな平安をもたらし、彼の考えに明るくのどかな色合いを加える。しかし、彼女が再び現われ、彼の心は締めつけられ、辛い予感が彼を突き動かす。もしも、彼女に捨てられたら…… 1人の羊飼いがまた素朴な旋律を吹く。もう1人は、もはや答えない。日が沈む…… 遠くの雷鳴…… 孤独…… 静寂……[5] 羊飼いの吹く Ranz des vaches はアルプス地方の牧歌。コーラングレと舞台裏のオーボエによって演奏される。ヘ長調第4楽章「断頭台への行進」 (Marche au supplice)
彼は夢の中で愛していた彼女を殺し、死刑を宣告され、断頭台へ引かれていく。行列は行進曲にあわせて前進し、その行進曲は時に暗く荒々しく、時に華やかに厳かになる。その中で鈍く重い足音に切れ目なく続くより騒々しい轟音。ついに、固定観念が再び一瞬現われるが、それはあたかも最後の愛の思いのように死の一撃によって遮られる。[6] 1845年版のプログラムでは、ここでアヘンを飲んで夢を見ることになっている。ト短調第5楽章「サバトの夜の夢」 (Songe d'une nuit du Sabbat)
彼はサバト︵魔女の饗宴︶に自分を見出す。彼の周りには亡霊、魔法使い、あらゆる種類の化け物からなるぞっとするような一団が、彼の葬儀のために集まっている。奇怪な音、うめき声、ケタケタ笑う声、遠くの叫び声に他の叫びが応えるようだ。愛する旋律が再び現われる。しかしそれはかつての気品とつつしみを失っている。もはや醜悪で、野卑で、グロテスクな舞踏の旋律に過ぎない。彼女がサバトにやってきたのだ…… 彼女の到着にあがる歓喜のわめき声…… 彼女が悪魔の大饗宴に加わる…… 弔鐘、滑稽な怒りの日のパロディ。サバトのロンド。サバトのロンドと怒りの日がいっしょくたに。[7] ﹁ワルプルギスの夜の夢﹂と訳される事もある。グレゴリオ聖歌﹃怒りの日﹄(Dies Irae)が主題に用いられ、全管弦楽の咆哮のうちに圧倒的なクライマックスを築いて曲が閉じられる。また曲の終結部近くでは弓の木部で弦を叩くコル・レーニョ奏法まで用いられている︵高価な弓を使う奏者はそれを嫌い、スペアの安い弓をこの演奏で使うこともある︶。ハ長調→ハ短調→ハ長調演奏時間
約55分(第一楽章と第四楽章のすべての繰り返しを含む、繰り返し無しでは約50分)。
楽器編成
編成表 木管 金管 打 弦 Fl. 2(2番ピッコロ持ち替え) Hr. 4 Timp. 4台(3楽章1人1台4人、4楽章~2人2台ずつ) Vn.1 15 Ob. 2(2番コーラングレ持ち替え) Trp. 2,(ピストン付き)コルネット 2 他 シンバル、大太鼓、小太鼓、鐘 Vn.2 15 Cl. 2(1番E♭管持ち替え) Trb. アルト 1, テナー 2 Va. 10 Fg. 4 他 オフィクレイド 2 Vc. 11 他 Cb. 9 その他 ハープ(少なくとも4台あることが好ましい) 1844年の演奏では、第2楽章でコルネットのオブリガートが追加された。当時のコルネットの名手であるジャン=バティスト・アルバンのために書かれたと考えられ、現在でもこのパートが演奏されることがある。音のイメージを当時の舞踏会に近づける狙いがあったとみられる。1855年に全面改訂された際には採用されず、新全集版でもスコア本体への記載は無いが、旧全集版および音楽之友社スタディ・スコア︵OGT235︶にて参照できる。 幻想交響曲は管弦楽法の面でも、コーラングレ、E♭管クラリネット、コルネット、オフィクレイド、複数のハープ、鐘の交響曲への導入、コル・レーニョ奏法の使用、コーラングレと舞台裏のオーボエの対話、4台のティンパニによる雷鳴の表現など、先進的な点が多く、後世に影響を与えた。ベートーヴェンの交響曲第9番など、本作のわずか数年前に作曲された交響曲と比較しても、大きな時代の隔たりが感じられる。これは楽器の音量増加や演奏のし易さなどで大きな向上が成された結果である。例えば、ベートーヴェンの最晩年にようやく開発されたピストン・バルブシステムは、これを持たない金管楽器では半音階を出す事が出来ず、大音量と華々しい音色の両立には制約が多かった。この進取性こそが、ベルリオーズを﹁近代管弦楽法の父﹂たらしめている所以でもある。 奏法についても楽譜に細かい指示が書き込まれている。例えば、ティンパニに関してはマレットについて﹁木﹂、﹁皮張り﹂、﹁スポンジ︵海綿または綿球︶﹂と固さの指示があり、﹁拍頭の音だけばち2本で、あとは右手だけで﹂︵第4楽章︶など叩き方も指定されている。シンバルでも打ち合わせる通常の奏法の他、頭部をスポンジで覆ったマレットで叩くよう指定された箇所もある︵指定が脱落している楽譜もある︶。 準備が難しい楽器は演奏の際に他の楽器で代用されたり、省略される場合がある。オフィクレイドは現在は多くチューバで演奏される。鐘はしばしばチューブラーベルで代用されるが、ベルリオーズは低く深い音を要求しており、鐘が用意出来なければピアノでと指定している。4台以上のハープの指定についても現在では2台で演奏されることが圧倒的に多いが、オリジナル楽器による演奏ではベルリオーズの指示に従うことが多く、なかには6台も使用した演奏もある。 初演の際の楽器の調達について、コーラングレや鐘はパリ・オペラ座から、E♭管クラリネットやオフィクレイドは軍楽隊から用意した事実が明らかとなっている。 幻想交響曲で先進的に用いられている楽器とその後世での使用法をみると、コーラングレはドヴォルザークの管弦楽曲など、ワーグナー以降の3管編成によくみられる。また、ワーグナー以降の3管編成は主にバスクラリネットが使われ、E♭管の小クラリネットが本格的に使われるのは、四管編成が用いられるマーラーの交響曲以降、ラヴェルやショスタコーヴィッチなどからである。4本のファゴットはヴェルディの﹁ドン・カルロ﹂や﹁オテロ﹂に見ることができる︵当時、フランスではファゴットではなく、フレンチ・バッソンが使用されていた。そのフレンチ・バッソンは音量も大きくないため、もっぱら本数が多めに設定されていた︶。 2本のコルネットは チャイコフスキーなどのロシア系の作曲家や、ヴェルディの﹁ドン・カルロ﹂や﹁オテロ﹂、フランクの管弦楽曲、ドビュッシーの管弦楽曲などで用いられている。ビゼーの﹁カルメン﹂でも2本のトランペットかコルネットのどちらかが用いられる。オフィクレイドはチューバが発明されるまで使用された金管の低音楽器であるが、2本以上のチューバはリヒャルト・シュトラウスの管弦楽曲に、3本以上はメシアンの管弦楽法にある。 ティンパニを複数奏者に演奏させるのは、リストのダンテ交響曲やワーグナーの﹁タンホイザー﹂、﹁ローエングリン﹂、﹁ニーベルングの指環﹂、﹁パルジファル﹂にみられる。またマーラーやストラヴィンスキー、ショスタコーヴィチ、ベルント・アロイス・ツィンマーマン、ノーノまでのティンパニもこの作品の強い影響下にある。また鐘の使用は、イタリアやロシアのオペラ作品における教会などの場面や、マーラーやショスタコーヴィチの交響曲にみられる。 さらに、弦楽器の数の指定は、ワーグナーを経てリヒャルト・シュトラウス、メシアンなどに見られる。複数のハープの指定は、ワーグナーの﹁ニーベルングの指環﹂で6台の指定がある他、マーラーやリヒャルト・シュトラウスは2声部で書くことが多いが出来るだけ倍にするようにと指定されていることもある。ブルックナー、メシアンやブーレーズの管弦楽曲でも3台のハープが指定されているものがある。脚注
- ^ 引用元は Berlioz, Hector, Notes of "Symphonie fantastique, op. 14," Complete works v. 1, New York: E.F. Kalmus [n.d.] pp. 1-2 (reprint; originally published Leipzig: Breitkopf & Härtel, [19--]) http://purl.dlib.indiana.edu/iudl/variations/score/BHS9470
- ^ 原文: Un jeune musicien d’une sensibilité maladive et d’une imagination ardente, s’empoisonne avec de l’opium dans un accès de désespoir amoureux. La dose de narcotique, trop faible pour lui donner la mort, le plonge dans un lourd sommeil accompagné des plus étranges visions, pendant lequel ses sensations, ses sentiments, ses souvenirs se traduisent dans son cerveau malade, en pensées et en images musicales. La femme aimée, elle-même, est devenue pour lui une mélodie et comme une idée fixe qu’il retrouve et qu’il entend partout. 1845年版のプログラムでは、アヘン服毒については第4楽章ではじめて登場する。
- ^ 原文: Il se rappelle d’abord ce malaise de l’âme, ce vague des passions, ces mélancolies, ces joies sans sujet qu’il éprouva avant d’avoir vu celle qu’il aime, puis l’amour volcanique qu’elle lui inspira subitement, ses délirantes angoisses, ses jalouses fureurs, ses retours de tendresse, ses consolations religieuses.
- ^ 原文: Il retrouve l’aimée dans un bal au milieu d’une fête brillante.
- ^ 原文: Un soir d’été, à la campagne, il entend deux pâtres qui dialoguent un Ranz des vaches. Ce duo pastoral, le lieu de la scène, le léger bruissement des arbres doucement agités par le vent, quelques motifs d’espoir qu’il a conçus depuis peu, tout concourt à rendre à son cœur un calme inaccoutumé, à donner à ses idées une couleur plus riante, mais Elle apparaît de nouveau, son cœur se serre, de douloureux pressentiments l’agitent: si elle le trompait . . . L’un des pâtres reprend sa naïve mélodie, l’autre ne répond plus. Le soleil se couche . . . Bruit éloigné du tonnerre . . . Solitude . . . Silence . . .
- ^ 原文: Il rêve qu’il a tué celle qu’il aimait, qu’il est condamné à mort, conduit au supplice. Le cortège s’avance, aux sons d’une marche tantôt sombre et farouche, tantôt brillante et solennelle, dans laquelle un bruit sourd de pas graves succède sans transition aux éclats les plus bruyants. A la fin, l’idée fixe reparaît un instant comme une dernière pensée d’amour interrompue par le coup fatal.
- ^ 原文: Il se voit au sabbat, au milieu d’une troupe affreuse d’ombres, de sorciers, de monstres de toute espèce réunis pous ses funérailles. Bruits étranges, gémissements, éclats de rire, cris lointains auxquels d’autres cris semblent répondre. La mélodie-aimée reparaît encore, mais elle a perdu son caractère de noblesse et de timidité, ce n’est plus qu’un air de danse ignoble, trivial et grotesque, c’est Elle qui vient au sabbat . . . Rugissements de joie à son arrivée . . . Elle se mêle à l’orgie diabolique . . . Glas funèbre, parodie burlesque du Dies Irae. Ronde du sabbat. La Ronde du sabbat et le Dies Irae ensemble.
参考文献
- 旧全集版のリプリント(gifファイル。インディアナ大学図書館)
- Hector Berlioz Website スコアや、ベルリオーズによるプログラムノート(1845年、1855年それぞれ)のテキストなどが閲覧可能(フランス語・英語訳)