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1880年、[[天津市|天津]]に生まれる。祖父は李鋭、父の李世珍は[[吏部]]主事。李叔同の親は敬虔な仏教徒だった。 |
1880年、[[天津市|天津]]に生まれる。祖父は李鋭、父の李世珍は[[吏部]]主事。李叔同の親は敬虔な仏教徒だった。 |
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1884年([[光緒]]10年)、5歳の時、74歳の父は病気で亡くなった。 |
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1885年、李叔同は[[啓蒙教育]]を受け始めた。 |
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2023年7月24日 (月) 08:58時点における版
弘一 | |
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1880年10月23日—1942年10月13日 | |
![]() 弘一 | |
幼名 | 李成蹊 |
名 | 李息霜、李岸、李良 |
法名 | 演音 |
号 | 晩晴老人 |
法号 | 弘一 |
尊称 | 弘一法師 |
生地 |
![]() |
没地 |
![]() |
宗派 | 律宗 |
師 |
了悟和尚 印光大師 |
弟子 |
豊子愷 夏丏尊 |
略歴
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/4/45/Lishutong%27home01_tientsin_liuxinmin_2002.jpg/250px-Lishutong%27home01_tientsin_liuxinmin_2002.jpg)
作品
音楽
- 『祖国歌』
- 『我の国』
- 『哀祖国』
- 『大中華』
- 『幽居』
- 『春遊』
- 『早秋』
- 『西湖』
- 『送別』
- 『落花』
- 『悲秋』
- 『晩鐘』
- 『月』
画
書道
弘一の書道の早期生まれ変わること魏碑、筆勢変化に富んでいる、逸宕ひらめき。後期は自成型一体、朴野清淡。
著名な作品
送別(日本語での題は『旅愁』。) | ||
原文 | 書き下し文 | 通釈 |
長亭外、古道邊、 | 長亭の外(はづれ)、古道の邊(あたり) | 町外(はず)れの、古びた道(には)。 |
芳草碧連天。 | 芳草碧(みどり)天に連なる。 | 草花の緑が、地の果てまで続いている。 |
晩風拂柳笛聲殘、 | 晩風は柳を拂(はら)ひ笛聲殘(すた)りて, | 夕方に吹く風がヤナギの条(えだ)を払うかのように揺らして、笛の音はだんだんと消えて行き。 |
夕陽山外山。 | 夕陽は山外の山。 | 夕日が奥山に(沈もうとしている)。 |
天之涯、地之角、 | 天の涯(はて)、地の角(すみ)に, | 天の涯(はて)、地の果て(にて)。 |
知交半零落。 | 知交半(なか)ば零落す。 | 友人も、もう半ばは死んで亡くなっていよう。 |
一觚濁酒盡餘歡、 | 一觚(こ)の 濁酒餘歡を盡(つく)せど, | 一杯の濁醪(どぶろく)で、最後の名残の楽しみを尽くそう。 |
今宵別夢寒。 | 今宵別夢寒からん。 | 今夜は、別れを告げた後の眠りなので、寒々としていよう。 |
脚注
- ^ “世俗的转身——李叔同” (中国語). 鳳凰網. (2016年3月29日)
- ^ “泉州参观弘一法师遗世瑰宝 为何临终绝笔为悲欣交集” (中国語). (2016年3月3日)
- ^ 瀬戸宏『中国話劇成立史研究』(東方書店 2005年)