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弘一

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
弘一
1880年10月23日—1942年10月13日

弘一

幼名 李成蹊
李息霜、李岸、李良
法名 演音
晩晴老人
法号 弘一
尊称 弘一法師
生地 天津
没地 中華民国の旗 中華民国 福建省泉州
宗派 律宗
了悟和尚
印光大師
弟子 豊子愷
夏丏尊
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18801023 - 19421013[1][2]

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1880

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18972317311

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1901西

1903

1905

1906西

1907332椿6[3] ()

190834退

1911

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1914西

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西










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著名な作品[編集]

送別(日本語での題は『旅愁』。)
原文 書き下し文 通釈
長亭外、古道邊、  長亭の外(はづれ)、古道の邊(あたり) 町外(はず)れの、古びた道(には)。
芳草碧連天。 芳草碧(みどり)天に連なる。 草花の緑が、地の果てまで続いている。
晩風拂柳笛聲殘、 晩風は柳を拂(はら)ひ笛聲殘(すた)りて, 夕方に吹く風がヤナギの条(えだ)を払うかのように揺らして、笛の音はだんだんと消えて行き。
夕陽山外山。  夕陽は山外の山。 夕日が奥山に(沈もうとしている)。
天之涯、地之角、  天の涯(はて)、地の角(すみ)に, 天の涯(はて)、地の果て(にて)。
知交半零落。  知交半(なか)ば零落す。 友人も、もう半ばは死んで亡くなっていよう。
一觚濁酒盡餘歡、  一觚(こ)の 濁酒餘歡を盡(つく)せど, 一杯の濁醪(どぶろく)で、最後の名残の楽しみを尽くそう。
今宵別夢寒。  今宵別夢寒からん。 今夜は、別れを告げた後の眠りなので、寒々としていよう。

 

脚注[編集]

  1. ^ “世俗的转身——李叔同” (中国語). 鳳凰網. (2016年3月29日). http://ah.ifeng.com/a/20160329/4411705_0.shtml 
  2. ^ “泉州参观弘一法师遗世瑰宝 为何临终绝笔为悲欣交集” (中国語). (2016年3月3日). http://www.takefoto.cn/viewnews-696708.html 
  3. ^ 瀬戸宏『中国話劇成立史研究』(東方書店 2005年)