出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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2008年9月28日 (日) 13:35時点における版
御真影︵ごしんえい︶は、本来は高貴な人の肖像画や写真を敬っていう言葉であるが、日本では明治期から1945年まで、天皇・皇后の写真のことであった。正式には﹁御写真﹂という。
概説
宮内省から各学校に貸与され奉安殿に教育勅語と一緒に保管された。四大節︵元旦・紀元節・天長節・明治節︶に講堂の正面に飾り児童︵生徒︶・職員一同が遙拝した。下付は強制ではなく各学校からの請願の上、その学校が﹁優等﹂とされた場合に下付されることとなっていた。
宮内省から﹁貸与﹂されているものだけに慎重な取り扱いが要求され、学校が火災で焼失したときそれを取り出せなかったということで校長が自殺したケースもあり、また、生徒たちに直視すると罰が当たって目がつぶれるなどとして見ることを禁じる場合が多かった。また安全のため学校ではなく町村役場で保管した場合もあった。
御真影にこうした役割を担わせたのは森有礼によるところが大きい。
歴史
こうした下付が始まったのは1874年以降だが当初は講堂などに掲げられていた。1891年に勅語とともに尊重に奉るように定められて以降はより丁重な扱いをされるようになった。1920年代より土蔵や奉安殿に置かれる例が多くなった。
終戦後、1945年9月27日に昭和天皇がアメリカ大使館にダグラス・マッカーサー元帥を訪ねた際にアメリカ陸軍の写真班によって昭和天皇とマッカーサーが並んで撮影された。これは9月29日の新聞各紙の朝刊の紙面を飾ることになり︵政府は即発禁にしたがGHQが撤回を命じた︶、昭和天皇がマッカーサー元帥の隣に直立不動の姿勢で普通に新聞に写っていることは国民の衝撃を呼んだ。
現在、皇室の写真や映像はテレビや新聞にもよく見かけるが当時は全く新聞に載ることはなかった。日本では1950年代まで古新聞が落とし紙︵トイレットペーパー︶に利用されていたため皇室の写真が掲載されている古新聞が落とし紙に使われることが不敬と考えられたためである。
敗戦に伴う御真影の回収に当たっては新たな御真影と交換するという前提で回収されたが、それ以降実際に新たな御真影を下付されたのは1952年の秋田県の私立敬愛学園高校︵現在の国学館高等学校︶だけである。
関連項目