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「日比谷映画劇場」の版間の差分

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* 1984年10月27日 - 千代田劇場が日比谷映画に改称<ref name="Kinejun"/>

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* 1984年11月11日 - 老朽化に 閉館。この日に合わせ『生まれて半世紀! さよならフェスティバル』が行われ『[[風林火山 (映画)|風林火山]]』が最終上映作となった。

* 1984年11月11日 - 老朽化に 閉館。この日に合わせ『生まれて半世紀! さよならフェスティバル』が行われ『[[風林火山 (映画)|風林火山]]』が最終上映作となった。


== 特徴 ==

アクション、サスペンスの洋画を中心に上映、70mm[[シネラマ]]の映写設備が存在した時期もあった。東宝洋画系公開のチェーンのチェーンマスター。閉館後はそのまま東宝会館内へと引き継がれていった。


== 主な上映作品 ==



=== 注釈 ===

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=== 出典 ===

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2019年2月26日 (火) 04:51時点における版

日比谷映画劇場
Hibiya Theater
戦前の日比谷映画劇場
情報
通称 日比谷映画、日比谷映劇
正式名称 日比谷映画劇場
完成 1934年
開館 1934年2月1日
開館公演 南の哀愁/ウィンナ・ワルツ
閉館 1984年11月11日
最終公演 風林火山
客席数 1,375
設備 ドルビーステレオ
用途 映画上映
運営 東宝株式会社
所在地 100
東京都千代田区有楽町1-2-2
最寄駅 営団地下鉄日比谷駅(A5出口)から徒歩約3分
国鉄有楽町駅(日比谷口)から徒歩約4分
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日比谷映画劇場(ひびやえいがげきじょう)は1934年2月1日から1984年11月11日まで東京都千代田区有楽町1-2-2にあった東宝が所有していた映画館

歴史

  • 1934年2月1日 - 竹中工務店のもと、阿部美樹志の設計で開館[1][2]
  • 1962年11月26日 - “草加次郎事件”発生
  • 1977年7月 - 上映予定だった『ブラック・サンデー』が上映中止となる
  • 1984年10月27日 - 千代田劇場が日比谷映画に改称[1]
  • 1984年11月11日 - 老朽化に 閉館。この日に合わせ『生まれて半世紀! さよならフェスティバル』が行われ『風林火山』が最終上映作となった。

特徴

アクション、サスペンスの洋画を中心に上映、70mmシネラマの映写設備が存在した時期もあった。東宝洋画系公開のチェーンのチェーンマスター。閉館後はそのまま東宝会館内へと引き継がれていった。

主な上映作品

注釈

出典



(一)^ ab17712018215240-2412019215 

(二)^  1934-1954 (PDF)