「旧笹川家住宅」の版間の差分
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2012年7月14日 (土) 07:30時点における版
旧笹川家住宅︵きゅう ささがわけじゅうたく︶は新潟県新潟市南区︵旧味方村︶にある歴史的建造物。通称﹁笹川邸﹂。江戸時代初期の慶安2年︵1649年︶から明治維新︵1868年︶まで9代にわたって村上藩味方組8カ村の大庄官を続けた笹川家の旧宅である。1万4000平方メートルの敷地を有し、主屋など11棟の建造物と土地が国の重要文化財に指定されている。
笹川家の出自
笹川家は、もともと甲斐の武田家の出といわれ、武田氏の滅亡後、信州笹川村︵長野県飯山市︶を経てこの地に移住してきたのだとされる。土蔵裏手の墓地には、武田姓の墓碑が何基か残してある。エピソード
見事な日本庭園が開け、一隅に﹁椎落葉掃き悠久の人住めり﹂と高浜虚子の句碑がある。 柳宗悦、浜田庄司らとともに笹川家を訪れたイギリスの陶芸家バーナード・リーチは﹁わたしのこれまでに見たうちで最も魅力ある家屋の一つ・・・﹂とこの家の印象を書き残している。指定文化財
以下の11棟と土地が国の重要文化財に指定されている。 ●主屋︵表座敷及び台所︶ ●居室部 ●表門 ●文庫 ●雑蔵 ●奥土蔵 ●米蔵 ●飯米蔵 ●三戸前口土蔵 ●井戸小屋 ●外便所 ●土地14,252.24m²︵堀、土塁、板塀、裏門、庭塀を含む︶ 主屋、居室部、表門、文庫、雑蔵、奥土蔵は1954年に重要文化財に指定され、他の5棟と土地は1978年に追加指定された。主屋は1826年︵文政9年︶、居室部は1821年︵文政4年︶、表門は1799年︵寛政11年︶の建立であり、他の付属建物は江戸時代末期から明治時代の建立である。関連項目
参考文献
- 『郷土資料事典』新潟県・観光と旅(人文社)
- 鈴木嘉吉監修・宮澤智士執筆『日本の民家』(万有ガイドシリーズ)、(小学館、1985年)