「昭和天皇」を編集中
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* [[スポーツ]]に関しては「幼いときから色々やらされたが、何一つ身につくものはなかった」と発言した。昭和天皇自身は[[乗馬]]が好き(軍人として必要とされたという側面もある)で、[[障害飛越競技|障害飛越]]などの[[馬術]]を習得しており、戦前はよく行っていた。戦後でも記念写真撮影に際して騎乗することがあった。また水泳([[古式泳法]])も得意で、[[水球]]を楽しむ写真も残っている。 |
* [[スポーツ]]に関しては「幼いときから色々やらされたが、何一つ身につくものはなかった」と発言した。昭和天皇自身は[[乗馬]]が好き(軍人として必要とされたという側面もある)で、[[障害飛越競技|障害飛越]]などの[[馬術]]を習得しており、戦前はよく行っていた。戦後でも記念写真撮影に際して騎乗することがあった。また水泳([[古式泳法]])も得意で、[[水球]]を楽しむ写真も残っている。 |
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* デッキゴルフや[[ビリヤード]]を好み、戦艦﹁比叡﹂を御召艦にしていた際に侍従を相手に興じている<ref>[[#日本海軍のこころ|吉田 (2000)]]224頁。</ref>。乗艦時は無表情だった昭和天皇が、このときは屈託もなく笑って楽しんでいたという<ref>[[#日本海軍のこころ|吉田 (2000)]]228頁。</ref>。
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* デッキゴルフや[[ビリヤード]]を好み、戦艦﹁比叡﹂を御召艦にしていた際に侍従を相手に興じている<ref>[[#日本海軍のこころ|吉田 (2000)]]224頁。</ref>。乗艦時は無表情だった昭和天皇が、このときは屈託もなく笑って楽しんでいたという<ref>[[#日本海軍のこころ|吉田 (2000)]]228頁。</ref>。
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* [[映画]]も大の好みであった。「[[1936年ベルリンオリンピック|ベルリン五輪]]記録映画『[[民族の祭典]]』や[[ヴィリ・フォルスト]]監督の『[[未完成交響楽]]』([[オーストリア]]映画)、[[ディアナ・ダービン]]主演の『[[オーケストラの少女]]』なども鑑賞された」と、戦前の[[大日本帝国海軍|海軍]][[侍従武官]] |
* [[映画]]も大の好みであった。「[[1936年ベルリンオリンピック|ベルリン五輪]]記録映画『[[民族の祭典]]』や[[ヴィリ・フォルスト]]監督の『[[未完成交響楽]]』([[オーストリア]]映画)、[[ディアナ・ダービン]]主演の『[[オーケストラの少女]]』なども鑑賞された」と、戦前の[[大日本帝国海軍|海軍]][[侍従武官]]であった[[山澄貞次郎]]海軍少将が回想記に綴っている<ref>{{Cite news |
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|title = 昭和天皇の生活描く 海軍侍従武官の手記発見 |
|title = 昭和天皇の生活描く 海軍侍従武官の手記発見 |
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|newspaper = [[東京新聞]] |
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|archiveurl = https://web.archive.org/web/20080626043555/http://www.tokyo-np.co.jp/feature/essay/ |
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|archivedate = 2008-06-26 |
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}}</ref> |
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* 1975年(昭和50年)10月31日の記者会見で「テレビはどのようなものをご覧になるか」という質問に対し、微笑を浮かべ身を乗り出して、「テレビは色々見てはいますが、放送会社の競争がはなはだ激しいので、今どういう番組を見ているかということには答えられません」と微笑みつつ冗談交じりに返した。記者達はこの思わぬ天皇の気遣いに大爆笑した<ref name="kaiken"/>。 |
* 1975年(昭和50年)10月31日の記者会見で「テレビはどのようなものをご覧になるか」という質問に対し、微笑を浮かべ身を乗り出して、「テレビは色々見てはいますが、放送会社の競争がはなはだ激しいので、今どういう番組を見ているかということには答えられません」と微笑みつつ冗談交じりに返した。記者達はこの思わぬ天皇の気遣いに大爆笑した<ref name="kaiken"/>。 |
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** 現在では、側近の日記が明らかになることによってどのような番組を見ていたかが明らかになっており<ref>{{Cite book|和書 |
** 現在では、側近の日記が明らかになることによってどのような番組を見ていたかが明らかになっており<ref>{{Cite book|和書 |
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|author=半藤一利 |
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|coauthors = 御厨貴、原武史 |
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|title = 卜部日記・富田メモで読む人間・昭和天皇 |
|title = 卜部日記・富田メモで読む人間・昭和天皇 |
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|archiveurl = https://web.archive.org/web/20110629051219/http://sankei.jp.msn.com/entertainments/news/110626/ent11062613080008-n2.htm |
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|archivedate = 2011-06-29 |
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}}<br /><ref group="注釈">昭和天皇もコロンボのファンで、1975年に訪米された際は実現こそしなかったが、フォークが昼食会に招待されたこともあった。</ref>}}という記事もあるが、訪米直前のニューズウィークのインタビューでは、国民に人気のあることは知っているが観たことはないと答えている{{refnest|[http://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2016/03/1975_2.php ︻再録︼1975年、たった一度の昭和天皇単独インタビュー ワールド 最新記事 ニューズウィーク日本版 オフィシャルサイト]<br /><ref group="注釈"> |
}}<br /><ref group="注釈">昭和天皇もコロンボのファンで、1975年に訪米された際は実現こそしなかったが、フォークが昼食会に招待されたこともあった。</ref>}}という記事もあるが、訪米直前のニューズウィークのインタビューでは、国民に人気のあることは知っているが観たことはないと答えている{{refnest|[http://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2016/03/1975_2.php ︻再録︼1975年、たった一度の昭和天皇単独インタビュー ワールド 最新記事 ニューズウィーク日本版 オフィシャルサイト]<br /><ref group="注釈">――︵日本で人気のあった︶アメリカのドラマ﹃刑事コロンボ﹄を陛下も見るそうだが、どんなところを楽しんでおられるのか。<br />時間の都合がつかず、私自身はその番組を見ることはできませんでしたが、一般の国民が非常に楽しんで見たと聞いています。</ref>}}。
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* テレビ |
* テレビの被写体になることに関して、『[[皇室アルバム]]』のプロデューサーを務めた古山光一が「秋田国体に行かれたときに、小雨が降って侍従が傘を差し出したら、強風で傘が飛び、陛下の帽子も飛ばされた映像もあるんです。戦前なら即NGでしょうが、陛下はそれをご覧になって『おもしろい映像だったね』とおっしゃったそうです。そういうお声を聞くと侍従も困るといえません。昭和天皇の人間性で、この番組は、救われてきた気がします」と振り返っており、古山も天皇と皇族の動静がテレビで報道されることに一定の理解を示していた<ref>{{Cite journal|和書 |
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|date = 2012-03 |
|date = 2012-03 |
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|journal = 文藝春秋 |
|journal = 文藝春秋 |