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福岡市[[博多]]で生まれ<ref name="yukonohon"/>、両親の離婚により<ref name="yukonohon"/>2歳から母親の実家で祖父母と4人で暮らす。︵2020年5月11日の木元ゆうこofficial Amebablogより︶明るく活発な性格で小学校生活を送った。高校は最初目黒学園女子商業高等学校︵現・[[多摩大学目黒中学校・高等学校|多摩大学目黒高等学校]]︶に入学<ref name="yukonohon">﹃由布子の本。﹄﹁18歳・早すぎた自叙伝﹂より</ref>、芸能界デビューと共に[[堀越高等学校]]に転校後、高等学校通信教育を修了。
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{{要出典|範囲=中学2年の8ヶ月間不登校となるが、母親と友人に救われ中学3年からの1年間で明るい性格を取り戻す。不登校期間中に|date=2021年5月}}母親に連れられ[[1982年]][[3月17日]]の[[ザ・タイガース]]の復活コンサートに行った際、ポリドールレコードのディレクターにスカウトされる<ref name="radimaga"/><ref name="bomb8305">[[BOMB]]([[学研ホールディングス|学研]])1983年5月号 p.120 - 121</ref>。これをきっかけに、[[1983年]]5月1日、[[ポリドール・レコード|ポリドール]]30周年記念女性[[アイドル歌手]]の'''木元ゆうこ'''としてシングル「[[チェリーガーデン(桜の園)]]」で大々的にデビュー。事務所は「テンパープロダクション」に所属<ref name="radimaga"/><ref name="bomb8305"/>。デビューキャッチフレーズは、'''「ときめいて、謎めいて16歳」'''<ref name="radimaga">[[ラジオマガジン (雑誌)|ラジオマガジン]]([[モーターマガジン社]])1983年7月号 p.132 -133 木元ゆうこ本人記事</ref>。その年の新人賞レースに向け強力にプッシュされ、ベーコンエッグバーガーのCMに出演したり、プロモービデオも発売する。オリコン最高124位。シングル2枚のリリースに留まった。[[1984年]]、映画『月の夜 星の朝』出演している。 |
2021年5月8日 (土) 06:00時点における版
来歴
福岡市博多で生まれ[1]、両親の離婚により[1]2歳から母親の実家で祖父母と4人で暮らす。︵2020年5月11日の木元ゆうこofficial Amebablogより︶明るく活発な性格で小学校生活を送った。高校は最初目黒学園女子商業高等学校︵現・多摩大学目黒高等学校︶に入学[1]、芸能界デビューと共に堀越高等学校に転校後、高等学校通信教育を修了。 中学2年の8ヶ月間不登校となるが、母親と友人に救われ中学3年からの1年間で明るい性格を取り戻す。不登校期間中に[要出典]母親に連れられ1982年3月17日のザ・タイガースの復活コンサートに行った際、ポリドールレコードのディレクターにスカウトされる[2][3]。これをきっかけに、1983年5月1日、ポリドール30周年記念女性アイドル歌手の木元ゆうことしてシングル﹁チェリーガーデン︵桜の園︶﹂で大々的にデビュー。事務所は﹁テンパープロダクション﹂に所属[2][3]。デビューキャッチフレーズは、﹁ときめいて、謎めいて16歳﹂[2]。その年の新人賞レースに向け強力にプッシュされ、ベーコンエッグバーガーのCMに出演したり、プロモービデオも発売する。オリコン最高124位。シングル2枚のリリースに留まった。1984年、映画﹃月の夜 星の朝﹄出演している。 1985年、樹本由布子に改名し、日本コロムビアよりシングル﹁べつにシンドローム﹂で再デビュー。イメージビデオ﹃美少女シリーズ18才・大人未満﹄も発売される。同年8月公開の映画﹃ブレイクタウン物語﹄で、佐藤浩市との大胆な濡れ場を披露。 他の出演作に、中山美穂主演の﹃夏・体験物語﹄、本田美奈子主演の月曜ドラマランド﹃微熱 MY LOVE﹄、﹃毎度おさわがせします﹄、﹃ザ・スクールコップ﹄﹃トライアングルブルー﹄などのテレビドラマがある。1988、89年にはヌード写真集﹃樹本由布子写真集﹄や、イメージビデオ﹃今夜はSO LONG﹄も発表した。 堀越高校では、早見優、堀ちえみ、松本明子、原真祐美などが同級生であった。また、同年歌手デビュー83年組には、堀越学園で同級生の松本明子、原真祐美の他、大沢逸美、徳丸純子、小林千絵、THE GOOD-BYE、岩井小百合、森尾由美などがいた。 芸能活動を休止中はカメラマンのアシスタントを経験後、2年8ヶ月のバックパッカーひとり旅に出る。旅の途中インドでパスポートと持ち金を全て盗まれ途方に暮れている所に現在の夫と出会う。 1996年に結婚し専業主婦に専念していたが[4]、2014年、俳優倶楽部サイアンと専属契約を結び、芸名をデビュー当時の木元ゆうこに戻し芸能界へ復帰する。舞台を中心に女優としてまた近年では歌手活動もしている。 2018年11月19日、20日、東京銀座博品館劇場にてデビュー35周年を記念して、同期デビューの大沢逸美、森尾由美、桑田靖子、松本明子、徳丸純子、小林千絵を集めライブイベント~不作と言われた私たち﹁お神セブンと申します﹂~を開催[5]。音楽
シングル
# | 発売日 | A/B面 | タイトル | 作詞 | 作曲 | 編曲 | 規格品番 |
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木元ゆうこ 名義 | |||||||
ポリドール・レコード | |||||||
1 | 1983年 5月1日 |
A面 | チェリーガーデン(桜の園) | 阿木燿子 | 中村泰士 | 川村栄二 | 7DX-1230 |
B面 | 聖女じゃない | ||||||
2 | 1983年 8月10日 |
A面 | ペガサス・ハネムーン | 阿木燿子 | 鈴木キサブロー | 萩田光雄 | 7DX-1255 |
B面 | 美少女メーカー | ||||||
樹本由布子 名義 | |||||||
日本コロムビア | |||||||
3 | 1985年 5月21日 |
A面 | べつにシンドローム | 金井麻理子 | 樫原伸彦 | 新川博 | AH-594 |
B面 | プレイタイム | 冬杜花代子 | 松田良 |
アルバム
オリジナル・アルバム
- SIDE A
- 矛盾期
- ルシアン
- ぬれたTシャツ
- 聖女じゃない
- Sentimental Rain
- 作詞:有川正沙子/作曲・編曲:馬飼野康二
- SIDE B
- 素敵なSHY BOY
- 作詞:山川啓介/作曲:久保田早紀/編曲:若草恵
- チェリーガーデン(桜の園)
- 作詞:阿木燿子/作曲:中村泰士/編曲:川村栄二
- 5月10月ロマンス
- 作詞:康珍化/作曲:米倉良広/編曲:鷺巣詩郎
- 悲しみはAタイプ
- 作詞:阿木燿子/作曲:中村泰士/編曲:川村栄二
- 好奇心ゲーム
- 作詞:阿木燿子/作曲:中村泰士/編曲:川村栄二