「東京宝塚劇場 (企業)」の版間の差分
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[[1932年]](昭和7年)8月、演劇と映画の興行を事業の主目的にして、阪急の創始者・[[小林一三]]が設立、社長となった。当時の[[東京市]][[麹町区]][[日比谷]](現在の[[東京都]][[千代田区]]日比谷)を巨大な劇場街とすべく、まず、「[[東京宝塚劇場]]」と「[[日比谷映画|日比谷映画劇場]]」(現在の[[日比谷シャンテ]])の建設にとりかかり、[[1934年]](昭和9年)の[[1月1日]]に前者が完成してオープン、同年2月に後者が完成してオープンした<ref name="東宝略歴">[[東宝]]公式サイト内の「[http://www.toho.co.jp/toho_ir/htmls/substance_03.html 東宝株式会社 IR情報 会社略歴]」の記述を参照。</ref>。 |
[[1932年]](昭和7年)8月、演劇と映画の興行を事業の主目的にして、阪急の創始者・[[小林一三]]が設立、社長となった。当時の[[東京市]][[麹町区]][[日比谷]](現在の[[東京都]][[千代田区]]日比谷)を巨大な劇場街とすべく、まず、「[[東京宝塚劇場]]」と「[[日比谷映画|日比谷映画劇場]]」(現在の[[日比谷シャンテ]])の建設にとりかかり、[[1934年]](昭和9年)の[[1月1日]]に前者が完成してオープン、同年2月に後者が完成してオープンした<ref name="東宝略歴">[[東宝]]公式サイト内の「[http://www.toho.co.jp/toho_ir/htmls/substance_03.html 東宝株式会社 IR情報 会社略歴]」の記述を参照。</ref>。 |
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[[1935年]](昭和10年)6月には「[[有楽座 (昭和)|有楽座]]」が完成・オープン、[[1936年]](昭和11年)1月には |
[[1935年]](昭和10年)6月には「[[有楽座 (昭和)|有楽座]]」が完成・オープン、同年3月14日に[[日本劇場]]4階に移転。[[1936年]](昭和11年)1月には日本劇場]]を所有する「日本映画劇場株式会社」を合併、さらには[[1937年]](昭和12年)3月には「株式会社東横映画劇場」を合併して、その興行的地場を固めた。同年12月には由緒ある「[[帝国劇場]]」を経営する「帝国劇場株式会社」を合併<ref name="東宝略歴" />、日比谷の土地の制覇はほぼ完成した。 |
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いっぽう、「[[東宝映画|東宝映画株式会社]]」は同社の系列企業であり、同年[[9月10日]]の4社合併と[[1941年]](昭和16年)「[[東京発声映画]]」の吸収合併を経て、[[世田谷区]][[砧地域|砧地区]]に3つの撮影所をもつに至り、メジャー映画会社の一角を担う会社に急成長した。これを[[1943年]](昭和18年)12月、吸収合併することで、同社は、映画の製作・配給・興行、演劇の興行といった幅広い事業を一貫して総合的に行なう大企業となり、社名を「[[東宝|東宝株式会社]]」に改称し、現在に至る<ref name="東宝略歴" />。 |
いっぽう、「[[東宝映画|東宝映画株式会社]]」は同社の系列企業であり、同年[[9月10日]]の4社合併と[[1941年]](昭和16年)「[[東京発声映画]]」の吸収合併を経て、[[世田谷区]][[砧地域|砧地区]]に3つの撮影所をもつに至り、メジャー映画会社の一角を担う会社に急成長した。これを[[1943年]](昭和18年)12月、吸収合併することで、同社は、映画の製作・配給・興行、演劇の興行といった幅広い事業を一貫して総合的に行なう大企業となり、社名を「[[東宝|東宝株式会社]]」に改称し、現在に至る<ref name="東宝略歴" />。 |
2020年2月19日 (水) 06:07時点における版
株式會社東京寶塚劇場(-とうきょうたからづかげきじょう、1932年8月 設立 - 1943年12月 改称)は、かつて東京に存在した日本の演劇・映画会社である。第二次世界大戦前に阪急資本が設立し、日比谷の映画・演劇街を形成する母体となり、東宝の前身となったことで知られる。
略歴・概要
役員
- 代表取締役社長:小林一三
- 専務取締役:吉岡重三郎(1934年8月25日より)
- 取締役:岸本兼太郎、松岡潤吉、鈴木三郎助(1934年8月25日より)
- 監査役:八馬兼介、石山賢吉
- 今村信吉取締役、監査役(1934年8月25日より)
関連事項
註
- ^ a b c 東宝公式サイト内の「東宝株式会社 IR情報 会社略歴」の記述を参照。
外部リンク
- 東宝株式会社 - 後身・東宝の公式サイト