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2022年5月30日 (月) 05:54時点における版
栗本 東明︵くりもと とうめい、嘉永6年10月8日︵1853年11月8日︶ - 大正10年︵1921年︶1月1日︶は、医学博士。狂犬病の予防注射液を世界で初めて発見し、第五高等学校教授、旧制長崎医科大学の主事心得、長崎医学専門学校長崎病院内科医長兼眼科医長などを歴任した。従五位勲六等。また、ロシア皇帝ニコライ2世から神聖アンチ第三等勲章が授与されている。
経歴
出羽国田川郡大山︵現・山形県鶴岡市大山︶に庄内藩医・栗本良意の子として生まれる︵長男は医学者の栗本節安︶。幼名は亀五郎。慶次いで本郷の壬申義塾に入り、初めてドイツ語を学ぶ。東京大学で医学を修め、明治17年︵1884年︶に卒業後は岡山医学校、熊本旧制五高の教授を歴任し、明治18年︵1885年︶、長崎病院の眼科医長・内科医長に赴任。栄典
- 位階
- 勲章
著書
脚注
参考文献
- 郷土の先人・先覚26 《栗本 東明》|荘内日報社
- 大阪府獣医師会|日本の狂犬病の歴史
- 『日本近代学校成立史の研究 - 廃藩置県前後における福沢諭吉をめぐる地方の教育動向』 多田建次 1988年1月1日 玉川大学出版部 ISBN 9784472078514