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「水上温泉」の版間の差分

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#REDIRECT[[水上温泉郷]]


== アクセス ==

*鉄道 [[JR上越線]][[水上駅]]下車から徒歩5分

*車 関越自動車道水上[[インターチェンジ|IC]]から[[国道291号線]]経由

== 泉質 ==

*カルシウム-硫酸泉

== 温泉街 ==

上越線のJR水上駅近く、利根川上流の渓流沿いの崖に所狭しと大小の宿泊施設が櫛比する。その合間を縫って諏訪峡や水上峡があり、[[紅葉]]シーズンには多くの観光客で賑わう。また、温泉街をゆっくりと走るトテ[[馬車]]は水上温泉を代表する風物詩となっている。利根川には幾つもの橋が架かっており、湯原橋、水上橋はライトアップで知られる。一方で、[[スマートボール]]などの遊技場を有する昔ながらの[[温泉街]]も、今日では物珍しさによって注目を浴びている部分がある。


宿泊客を対象とした温泉地であるために、日帰りの温泉施設は規模に反して少ないが、今日では多くの旅館が日帰り客に対応するようになっている。また、町営の温泉施設「湯テルメ・谷川」や[[足湯]]が楽しめる「ふれあい交流館」などがあり、

== 歴史 ==

開湯伝説としては、永禄年間に海翁和尚が利根川の崖から立ち上る煙を発見したのが草創と伝えられる。水上温泉が有名になったのは、[[若山牧水]]の「[[みなかみ紀行]]」であり、この頃には既に20乃至30の宿が構えていたと記されている。尤も、[[清水トンネル]]が開通するまでは、一帯は奥利根と呼ばれるほど、隔絶された深山幽谷の温泉地として知られた。しかしながら、温泉情緒と雄大な渓谷美の自然が調和した温泉として多くの文人に愛され、牧水以外にも[[太宰治]]、[[北原白秋]]、[[与謝野晶子]]など多くの文人墨客が訪れたという。尚、当時は水上温泉という名ではなく、湯原温泉と呼ばれた(今日でもこの地名を用いることがある)。



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 しかし、それにより[[熱海温泉|熱海]]や[[鬼怒川温泉|鬼怒川]]同様、閉鎖的な温泉街を形成し、バブル経済崩壊後、団体旅行客の減少や旅行客のニーズの変化に伴って急激に衰退を余儀なくされた。今日では生き残りを賭けて、従来のイメージを払拭すべく、豊かな自然に着目し、一帯を[[レクリエーション]]拠点と位置付け、[[スキー]]や[[ラフティング]]などの[[アウトドア]]スポーツに力を入れ、レジャー一帯型の温泉保養リゾートを目指しており、一定の成果が見られるようになっている。


尚、同様の路線で旧套から蝉脱し、活路を見出している温泉地としては、岡山県の[[湯郷温泉]]が知られる。


== 関連項目 ==

*[[水上温泉郷]]

*[[若山牧水]]

*[[湯郷温泉]]


[[category:群馬県の温泉|みなかみおんせん]]


2008年1月12日 (土) 17:02時点における版




 JR5

 IC291


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JR沿宿

宿


2030宿調

 退


関連項目