「江田照男」の版間の差分
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{{存命人物の出典明記|date=2015年6月}} |
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|説 = [[東京競馬場|東京]]6Rパドック(2021年5月15日) |
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|区 = 平地<ref>{{Cite web|和書|format=PDF|url=http://www.jra.go.jp/news/201602/pdf/021102_02.pdf |title=平成28年度 騎手免許試験合格者|publisher=日本中央競馬会|date=2016-02-11|accessdate=2016-03-25}}</ref><!--28年度--> |
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|所 = 美浦・田子冬樹(1990/3/1 - 1998/2/28)<br/>美浦・フリー(1998/3/1 -) |
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|通=18171戦965勝(中央)<br>456戦44勝(地方)}} |
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'''江田 照男'''(えだ てるお、[[1972年]][[2月8日]] - )は[[日本中央競馬会]] |
'''江田 照男'''(えだ てるお、[[1972年]][[2月8日]] - )は[[日本中央競馬会]] (JRA) [[美浦トレーニングセンター]]所属の[[騎手]]。ニックネームは「エダテル」「テリーマン」。 |
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== 来歴 == |
== 来歴 == |
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[[福島県]][[石川郡]][[浅川町]]出身<ref>{{Cite web|和書|publisher=スポーツ報知|url=https://umatoku.hochi.co.jp/articles/20200310-OHT1T50179.html|title=きょう﹁3・11﹂東日本大震災から9年 福島県出身の田辺騎手、復興﹁まだまだな感じ﹂|accessdate=2023-09-02}}</ref>。中学3年の時に学校の廊下に競馬学校のポスターが貼られているのを見て競馬学校を受験し、合格する<ref>{{Cite web|和書|publisher=Yahoo!|url=https://news.yahoo.co.jp/expert/articles/1d45fdd1970c69667182b8884768b9881d09d76a|title=900勝達成のベテラン騎手は2人の恩人と1人の今は亡き同期から形成されていた|accessdate=2023-09-02}}</ref>。
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[[1990年]]に[[美浦トレーニングセンター|美浦]]の[[田子冬樹]]厩舎所属騎手としてデビュー。同期の騎手は[[北沢伸也]]・[[浜野谷憲尚]]を除き全て現役を退いており、[[村山明 (競馬)|村山明]]・[[牧田和弥]]は調教師に転身となっている。 |
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[[1990年]]に[[美浦トレーニングセンター|美浦]]の[[田子冬樹]]厩舎所属騎手としてデビュー。同期の騎手は[[北沢伸也]]を除き全て現役を退いており、[[村山明 (競馬)|村山明]]・[[牧田和弥]]は調教師に転身となっている。 |
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デビュー1年目の[[新潟記念]]でサファリオリーブに騎乗し[[重賞]]初勝利を記録、重賞騎乗2戦目での勝利は当時の最速記録だった。この年27勝を挙げ関東新人騎手賞を獲得。 |
デビュー1年目の[[新潟記念]]でサファリオリーブに騎乗し[[重賞]]初勝利を記録、重賞騎乗2戦目での勝利は当時の最速記録だった。この年27勝を挙げ関東新人騎手賞を獲得。 |
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1991年にはプレクラスニーとのコンビで同年秋の天皇賞を[[メジロマックイーン]][[降着制度|降着]]による繰り上がりでの勝利ながらGI初騎乗・初勝利を達成。 |
[[1991年]]には[[プレクラスニー]]とのコンビで同年[[第104回天皇賞|秋の天皇賞]]を[[メジロマックイーン]][[降着制度|降着]]による繰り上がりでの勝利ながらGI初騎乗・初勝利を達成した。またJRA史上最年少で天皇賞制覇を成し遂げた(19歳8ヶ月)。 |
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これまで、オープンクラスの競走で多くの穴馬券を輩出してきたことから﹁穴男﹂・﹁万馬券男﹂と呼ばれる<ref>別冊宝島・騎手年鑑 ISBN 4-7966-9517-6</ref>。14番人気での勝利となった1990年サファリオリーブの新潟記念をはじめ、1998年[[日経賞]]では障害帰りの[[テンジンショウグン]]を勝利に導き、当時重賞の馬連最高配当︵213370円︶を記録<ref>1998年3月30日日刊スポーツ</ref>。
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これまで、オープンクラスの競走で多くの穴馬券を輩出してきたことから﹁穴男﹂・﹁万馬券男﹂と呼ばれる<ref>別冊宝島・騎手年鑑 ISBN 4-7966-9517-6</ref>。14番人気での勝利となった1990年サファリオリーブの新潟記念をはじめ、1998年[[日経賞]]では障害帰りの[[テンジンショウグン]]を勝利に導き、当時重賞の馬連最高配当︵213370円︶を記録<ref>1998年3月30日日刊スポーツ</ref>。
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2000年[[スプリンターズステークス]]では16頭立て16番人気の[[ダイタクヤマト]]で逃げ切り勝ちを収め9年ぶりのGI勝利をマーク。同時期の中距離路線で活躍した[[アメリカンボス]]でも2001年[[有馬記念]]にて13頭立て13番人気で2着となり、有馬記念の馬連最高配当(48650円)を記録した<ref>2001年12月24日日刊スポーツ</ref>。 |
2000年[[スプリンターズステークス]]では16頭立て16番人気の[[ダイタクヤマト]]で逃げ切り勝ちを収め9年ぶりのGI勝利をマーク。同時期の中距離路線で活躍した[[アメリカンボス]]でも2001年[[有馬記念]]にて13頭立て13番人気で2着となり、有馬記念の馬連最高配当(48650円)を記録した<ref>2001年12月24日日刊スポーツ</ref>。 |
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この他2006年・2010年の重賞勝ちをいずれも2桁人気馬で挙げるなど人気薄馬での好走例が多く見られる。穴を作る秘訣は「どの馬でももしかしたらというつもりで乗ること」とコメントを残している。 |
この他2006年・2010年・2012年の重賞勝ちをいずれも2桁人気馬で挙げるなど人気薄馬での好走例が多く見られる<ref>2019年6月現在、JRA重賞29勝のうち9勝が2桁人気馬によるもので、そのうち3回は単勝万馬券である。</ref>。穴を作る秘訣は「どの馬でももしかしたらというつもりで乗ること」とコメントを残している。 |
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2015年[[ヴィクトリアマイル]]では18頭立て18番人気のミナレット(単勝291.8倍)で残り50mで[[ストレイトガール]]と[[ケイアイエレガント]]に抜かれ3着に粘り、三連複は286万480円、三連単は2070万5810円と、いずれもGI史上最高の払戻しを記録した。 |
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== エピソード == |
== エピソード == |
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*勝利ジョッキーインタビューでカメラに向かって[[ピースサイン]]をするなどのパフォーマンスも見せている。 |
*勝利ジョッキーインタビューでカメラに向かって[[ピースサイン]]をするなどのパフォーマンスも見せている。2012年の日経賞を[[ネコパンチ]]で制した際には、TVカメラに向かって猫のポーズで「ニャー」と言うパフォーマンスを見せた。 |
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*1991年の天皇賞︵秋︶はGI初挑戦初勝利、また10代での天皇賞制覇は偉業達成ではあったが、実質的には6馬身差の完敗だったので、表彰式でも笑顔は見られなかった。しかし内心は相当嬉しかったと語っている。その後記念の[[テレホンカード]]を自主制作した。
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<!-- *中央競馬において10代でGIを制した騎手は[[武豊]](1988年菊花賞:勝ち馬[[スーパークリーク]])と江田のわずか2人しか成し遂げていない記録である。--> |
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*1991年の天皇賞︵秋︶はGI初挑戦初勝利、また10代での天皇賞制覇の偉業達成︵これは当時のGI最年少制覇記録でもあった︶ではあったが、実質的には6馬身差の完敗だったので、表彰式でも笑顔は見られなかった。しかし内心は相当嬉しかったと語っている。その後記念の[[テレホンカード]]を自主制作した。
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<!-- *[[2006年]][[1月9日]]、[[美浦トレーニングセンター]]内の[[風呂]]で、当時は騎手の[[田中剛]]と入浴マナーについて口論となり、[[ヘッドロック]]をされるなどの暴行を受けた。このことで田中は[[騎乗停止]]の処分を受けた。・・・この件について、田中の項目では「中山競馬場内の調整ルームにある風呂場で」との記述がある。どちらが正しいのか判明するまで項目を一時的に非表示とさせていただきます。2015年12月2日記述。--> |
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*2006年7月1日の福島競馬第5競走で、江田が騎乗していた馬が[[大野拓弥]]が騎乗していた馬から不利を受けたことが発端となり、レース後検量裁決室(パトロールビデオ室)で、江田が大野の臀部を蹴るという事件が起きた。この結果、江田は開催2日間の騎乗停止処分を受けた<ref>{{Cite web|和書|publisher=ラジオNIKKEI|url=https://www.radionikkei.jp/keiba_article/news/entry-136500.html|title=江田照男騎手、騎乗停止|accessdate=2023-09-02}}</ref>。 |
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*中央競馬において10代でGIを制した騎手は[[武豊]](1988年菊花賞:勝ち馬[[スーパークリーク]])と江田のわずか2人しか成し遂げていない記録である。 |
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*趣味は[[野球]]。部活動での経験は無いが、草野球チームに複数所属している<ref>{{Cite journal|和書|journal=優駿|issue=2009年5月号|pages=168}}</ref>。
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*[[2006年]][[1月9日]]、[[美浦トレーニングセンター]]内の[[風呂]]で、当時は騎手の[[田中剛]]と入浴マナーについて口論となり、[[ヘッドロック]]をされるなどの暴行を受けた。このことで田中は[[騎乗停止]]の処分を受けた。 |
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*2006年7月1日の福島競馬第5競走で、江田が騎乗していた馬が[[大野拓弥]]が騎乗していた馬から不利を受けたことが発端となり、1月の時とは逆に、レース後検量裁決室(パトロールビデオ室)で、江田が大野の臀部を蹴るという事件が起きた。この結果、江田は開催2日間の騎乗停止処分を受けた。 |
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== 主な騎乗馬 == |
== 主な騎乗馬 == |
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*[[サファリオリーブ]](1990年[[新潟記念]]) |
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*[[プレクラスニー]] (1991年[[エプソムカップ]]・[[毎日王冠]]・[[天皇賞(秋)]]) |
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*[[ナイスパーワー]](1991年[[ダービー卿チャレンジトロフィー]]) |
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*[[アメリカンボス]] (1999・2000年エプソムカップ・2001年[[アメリカJCC]]・[[中山記念]]) |
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*[[プレクラスニー]] (1991年[[エプソムカップ]]・[[毎日王冠]]・'''[[天皇賞(秋)]]''') |
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*[[ダイタクヤマト]] (2000年[[スプリンターズステークス]]・[[スワンステークス]]) |
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*[[エーピーグランプリ]](1993年ラジオたんぱ賞) |
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*[[ヤマニンアラバスタ]] (2005年[[新潟記念]]・[[府中牝馬ステークス]]) |
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*[[シャコーグレイド]] (1994年東京スポーツ杯(OP)) |
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*[[テンジンショウグン]] (1998年[[日経賞]]) |
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*[[ロサード]](1998年[[新潟2歳ステークス|新潟3歳ステークス]]) |
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*[[レオリュウホウ]](1998年[[セントライト記念]]) |
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*[[アメリカンボス]] (1999・2000年エプソムカップ・2001年[[アメリカジョッキークラブカップ]]・[[中山記念]]) |
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*[[ゲイリーファンキー]](1999年新潟3歳ステークス) |
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*[[ホッカイルソー]] (1999年[[オールカマー]]) |
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*[[レイズスズラン]](2000年・2002年[[さきたま杯]]・2001年[[浦和記念]]) |
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*[[ダイタクヤマト]] (2000年'''[[スプリンターズステークス]]'''・[[スワンステークス]]) |
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*[[テンシノキセキ]](2000年[[フェアリーステークス]]) |
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*[[ナスダックパワー]](2001年[[ユニコーンステークス]]) |
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*[[フサイチランハート]](2002年アメリカジョッキークラブカップ) |
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*[[シャドウスケイプ]](2004年[[根岸ステークス]]・[[クラスターカップ]]) |
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*[[ヤマニンアラバスタ]] (2005年新潟記念・[[府中牝馬ステークス]]) |
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*[[フジサイレンス]](2006年[[東京新聞杯]]) |
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*[[カンファーベスト]](2006年[[関屋記念]]) |
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*[[ホッコーパドゥシャ]](2009年新潟記念) |
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*[[トーセンクラウン]](2010年中山記念) |
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*[[ネコパンチ]] (2012年日経賞) |
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*[[カイザーメランジェ]](2019年[[函館スプリントステークス]]) |
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*[[テリオスベル]](2022年[[クイーン賞]]、2023年[[ブリーダーズゴールドカップ]])<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.jbis.or.jp/horse/0001237577/|title=テリオスベル|accessdate=2022-11-30|website=JBISサーチ}}</ref> |
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*[[ウシュバテソーロ]](未勝利戦・条件戦で騎乗) |
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== 騎乗成績 == |
== 騎乗成績 == |
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|重賞初勝利||1990年8月26日||2回新潟6日10R||新潟記念||サファリオリーブ||15頭||14||1着 |
|重賞初勝利||1990年8月26日||2回新潟6日10R||新潟記念||サファリオリーブ||15頭||14||1着 |
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|GI初騎乗・初勝利||1991年10月27日||4回東京8日10R||天皇賞 |
|GI初騎乗・初勝利||1991年10月27日||4回東京8日10R||天皇賞(秋)||プレクラスニー||18頭||3||1着 |
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|} |
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|2010年||21||36||40||684||.031||.083||.142 |
|2010年||21||36||40||684||.031||.083||.142 |
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|2011年||23||25||37||635||.036||.076||.134 |
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|- |
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|2012年||19||34||40||707||.027||.075||.132 |
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|- |
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|2013年||26||23||31||663||.039||.074||.121 |
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|2014年||29||39||35||707||.041||.096||.146 |
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|- |
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|2015年||26||42||23||733||.035||.093||.124 |
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|- |
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|2016年 |
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|13 |
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|20 |
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|19 |
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|537 |
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|.024 |
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|.061 |
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|.097 |
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|- |
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|2017年 |
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|10 |
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|15 |
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|20 |
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|522 |
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|.019 |
|||
|.048 |
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|.086 |
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|- |
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|2018年 |
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|12 |
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|22 |
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|23 |
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|542 |
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|.022 |
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|.063 |
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|.105 |
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|- |
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|2019年 |
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|18 |
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|7 |
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|22 |
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|497 |
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|.036 |
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|.050 |
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|.095 |
|||
|- |
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|2020年 |
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|27 |
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|18 |
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|23 |
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|585 |
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|.046 |
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|.077 |
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|.116 |
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|- |
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|2021年 |
|||
|26 |
|||
|17 |
|||
|26 |
|||
|517 |
|||
|.050 |
|||
|.083 |
|||
|.133 |
|||
|- |
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|2022年 |
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|8 |
|||
|13 |
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|14 |
|||
|418 |
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|.019 |
|||
|.050 |
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|.084 |
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|- |
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|2023年 |
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|4 |
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|9 |
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|7 |
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|148 |
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|.027 |
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|.088 |
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|.135 |
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|- |
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!中央||965||1025||1100||18171||.053||.110||.170 |
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|- |
|- |
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!地方|| |
!地方||44||40||41||456||.096||.184||.274 |
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|} |
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(2023年8月20日現在 [[日本中央競馬会|JRA]]騎手名鑑より) |
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==脚注== |
== 脚注 == |
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== 参考文献 == |
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{{DEFAULTSORT:えた てるお}} |
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[[Category:日本の騎手]] |
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[[Category:日本中央競馬会の騎手]] |
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[[Category:美浦トレーニングセンターの人物]] |
[[Category:美浦トレーニングセンターの人物]] |
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[[Category:1972年生]] |
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2024年2月21日 (水) 09:52時点における版
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江田照男 | |
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![]() 東京6Rパドック(2021年5月15日) | |
基本情報 | |
国籍 |
![]() |
出身地 | 福島県石川郡浅川町 |
生年月日 | 1972年2月8日(52歳) |
身長 | 156.0cm |
体重 | 49.0kg |
血液型 | A型 |
騎手情報 | |
所属団体 | 日本中央競馬会 |
所属厩舎 | フリー |
初免許年 | 1990年 |
免許区分 | 平地[1] |
重賞勝利 | 35勝(中央29勝、地方6勝) |
G1級勝利 |
天皇賞(秋)(1991年) スプリンターズステークス(2000年) |
通算勝利 |
18171戦965勝(中央) 456戦44勝(地方) |
経歴 | |
所属 |
美浦・田子冬樹(1990/3/1 - 1998/2/28) 美浦・フリー(1998/3/1 -) |
来歴
福島県石川郡浅川町出身[2]。中学3年の時に学校の廊下に競馬学校のポスターが貼られているのを見て競馬学校を受験し、合格する[3]。 1990年に美浦の田子冬樹厩舎所属騎手としてデビュー。同期の騎手は北沢伸也を除き全て現役を退いており、村山明・牧田和弥は調教師に転身となっている。 デビュー1年目の新潟記念でサファリオリーブに騎乗し重賞初勝利を記録、重賞騎乗2戦目での勝利は当時の最速記録だった。この年27勝を挙げ関東新人騎手賞を獲得。 1991年にはプレクラスニーとのコンビで同年秋の天皇賞をメジロマックイーン降着による繰り上がりでの勝利ながらGI初騎乗・初勝利を達成した。またJRA史上最年少で天皇賞制覇を成し遂げた︵19歳8ヶ月︶。 これまで、オープンクラスの競走で多くの穴馬券を輩出してきたことから﹁穴男﹂・﹁万馬券男﹂と呼ばれる[4]。14番人気での勝利となった1990年サファリオリーブの新潟記念をはじめ、1998年日経賞では障害帰りのテンジンショウグンを勝利に導き、当時重賞の馬連最高配当︵213370円︶を記録[5]。 2000年スプリンターズステークスでは16頭立て16番人気のダイタクヤマトで逃げ切り勝ちを収め9年ぶりのGI勝利をマーク。同時期の中距離路線で活躍したアメリカンボスでも2001年有馬記念にて13頭立て13番人気で2着となり、有馬記念の馬連最高配当︵48650円︶を記録した[6]。 この他2006年・2010年・2012年の重賞勝ちをいずれも2桁人気馬で挙げるなど人気薄馬での好走例が多く見られる[7]。穴を作る秘訣は﹁どの馬でももしかしたらというつもりで乗ること﹂とコメントを残している。 2015年ヴィクトリアマイルでは18頭立て18番人気のミナレット︵単勝291.8倍︶で残り50mでストレイトガールとケイアイエレガントに抜かれ3着に粘り、三連複は286万480円、三連単は2070万5810円と、いずれもGI史上最高の払戻しを記録した。エピソード
●勝利ジョッキーインタビューでカメラに向かってピースサインをするなどのパフォーマンスも見せている。2012年の日経賞をネコパンチで制した際には、TVカメラに向かって猫のポーズで﹁ニャー﹂と言うパフォーマンスを見せた。 ●1991年の天皇賞︵秋︶はGI初挑戦初勝利、また10代での天皇賞制覇は偉業達成ではあったが、実質的には6馬身差の完敗だったので、表彰式でも笑顔は見られなかった。しかし内心は相当嬉しかったと語っている。その後記念のテレホンカードを自主制作した。 ●2006年7月1日の福島競馬第5競走で、江田が騎乗していた馬が大野拓弥が騎乗していた馬から不利を受けたことが発端となり、レース後検量裁決室︵パトロールビデオ室︶で、江田が大野の臀部を蹴るという事件が起きた。この結果、江田は開催2日間の騎乗停止処分を受けた[8]。 ●趣味は野球。部活動での経験は無いが、草野球チームに複数所属している[9]。主な騎乗馬
●サファリオリーブ︵1990年新潟記念︶ ●ナイスパーワー︵1991年ダービー卿チャレンジトロフィー︶ ●プレクラスニー ︵1991年エプソムカップ・毎日王冠・天皇賞︵秋︶︶ ●エーピーグランプリ︵1993年ラジオたんぱ賞︶ ●シャコーグレイド ︵1994年東京スポーツ杯(OP)︶ ●テンジンショウグン ︵1998年日経賞︶ ●ロサード︵1998年新潟3歳ステークス︶ ●レオリュウホウ︵1998年セントライト記念︶ ●アメリカンボス ︵1999・2000年エプソムカップ・2001年アメリカジョッキークラブカップ・中山記念︶ ●ゲイリーファンキー︵1999年新潟3歳ステークス︶ ●ホッカイルソー ︵1999年オールカマー︶ ●レイズスズラン︵2000年・2002年さきたま杯・2001年浦和記念︶ ●ダイタクヤマト ︵2000年スプリンターズステークス・スワンステークス︶ ●テンシノキセキ︵2000年フェアリーステークス︶ ●ナスダックパワー︵2001年ユニコーンステークス︶ ●フサイチランハート︵2002年アメリカジョッキークラブカップ︶ ●シャドウスケイプ︵2004年根岸ステークス・クラスターカップ︶ ●ヤマニンアラバスタ ︵2005年新潟記念・府中牝馬ステークス︶ ●フジサイレンス︵2006年東京新聞杯︶ ●カンファーベスト︵2006年関屋記念︶ ●ホッコーパドゥシャ︵2009年新潟記念︶ ●トーセンクラウン︵2010年中山記念︶ ●ネコパンチ ︵2012年日経賞︶ ●カイザーメランジェ︵2019年函館スプリントステークス︶ ●テリオスベル︵2022年クイーン賞、2023年ブリーダーズゴールドカップ︶[10] ●ウシュバテソーロ︵未勝利戦・条件戦で騎乗︶騎乗成績
日付 | 競馬場・開催 | 競走名 | 馬名 | 頭数 | 人気 | 着順 | |
---|---|---|---|---|---|---|---|
初騎乗 | 1990年3月3日 | 2回中山3日1R | アラ系3歳上400万下 | カガミヤマ | 10頭 | 3 | 4着 |
初勝利 | 1990年4月1日 | 3回中山4日1R | アラ系3歳上400万下 | カガミヤマ | 13頭 | 1 | 1着 |
重賞初騎乗 | 1990年8月5日 | 1回新潟8日11R | 関屋記念 | サファリオリーブ | 18頭 | 16 | 6着 |
重賞初勝利 | 1990年8月26日 | 2回新潟6日10R | 新潟記念 | サファリオリーブ | 15頭 | 14 | 1着 |
GI初騎乗・初勝利 | 1991年10月27日 | 4回東京8日10R | 天皇賞(秋) | プレクラスニー | 18頭 | 3 | 1着 |
年度 | 1着 | 2着 | 3着 | 騎乗数 | 勝率 | 連対率 | 複勝率 |
---|---|---|---|---|---|---|---|
1990年 | 27 | 30 | 29 | 310 | .087 | .184 | .277 |
1991年 | 35 | 32 | 29 | 369 | .095 | .182 | .260 |
1992年 | 21 | 33 | 33 | 330 | .064 | .164 | .264 |
1993年 | 29 | 35 | 29 | 380 | .076 | .168 | .245 |
1994年 | 26 | 35 | 36 | 426 | .061 | .143 | .228 |
1995年 | 12 | 16 | 27 | 361 | .033 | .078 | .152 |
1996年 | 23 | 19 | 25 | 290 | .079 | .145 | .231 |
1997年 | 43 | 25 | 34 | 415 | .104 | .164 | .246 |
1998年 | 33 | 23 | 40 | 479 | .069 | .117 | .200 |
1999年 | 57 | 45 | 49 | 573 | .099 | .178 | .264 |
2000年 | 58 | 60 | 47 | 622 | .093 | .190 | .265 |
2001年 | 61 | 68 | 41 | 666 | .092 | .194 | .255 |
2002年 | 58 | 58 | 51 | 708 | .082 | .164 | .236 |
2003年 | 60 | 57 | 63 | 760 | .079 | .154 | .237 |
2004年 | 33 | 36 | 48 | 708 | .047 | .097 | .165 |
2005年 | 27 | 38 | 45 | 685 | .039 | .095 | .161 |
2006年 | 18 | 22 | 28 | 555 | .032 | .072 | .123 |
2007年 | 27 | 24 | 35 | 476 | .057 | .107 | .181 |
2008年 | 30 | 27 | 26 | 616 | .049 | .093 | .135 |
2009年 | 25 | 22 | 25 | 547 | .046 | .086 | .132 |
2010年 | 21 | 36 | 40 | 684 | .031 | .083 | .142 |
2011年 | 23 | 25 | 37 | 635 | .036 | .076 | .134 |
2012年 | 19 | 34 | 40 | 707 | .027 | .075 | .132 |
2013年 | 26 | 23 | 31 | 663 | .039 | .074 | .121 |
2014年 | 29 | 39 | 35 | 707 | .041 | .096 | .146 |
2015年 | 26 | 42 | 23 | 733 | .035 | .093 | .124 |
2016年 | 13 | 20 | 19 | 537 | .024 | .061 | .097 |
2017年 | 10 | 15 | 20 | 522 | .019 | .048 | .086 |
2018年 | 12 | 22 | 23 | 542 | .022 | .063 | .105 |
2019年 | 18 | 7 | 22 | 497 | .036 | .050 | .095 |
2020年 | 27 | 18 | 23 | 585 | .046 | .077 | .116 |
2021年 | 26 | 17 | 26 | 517 | .050 | .083 | .133 |
2022年 | 8 | 13 | 14 | 418 | .019 | .050 | .084 |
2023年 | 4 | 9 | 7 | 148 | .027 | .088 | .135 |
中央 | 965 | 1025 | 1100 | 18171 | .053 | .110 | .170 |
地方 | 44 | 40 | 41 | 456 | .096 | .184 | .274 |
(2023年8月20日現在 JRA騎手名鑑より)
脚注
参考文献
- 別冊宝島『競馬騎手読本』(宝島社、1997年)ISBN 4-7966-9290-8
- 別冊宝島『競馬騎手年鑑』(宝島社、2000年)ISBN 4-7966-9517-6