熊野神社 (名取市)
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熊野神社 | |
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所在地 | 宮城県名取市高舘熊野堂字岩口上51 |
位置 | 北緯38度12分10.8秒 東経140度50分48.2秒 / 北緯38.203000度 東経140.846722度 |
主祭神 | 速玉男尊・伊弉諾尊・事解男尊 |
社格等 | 県社 |
創建 | 保安4年(1123年) |
別名 | 旧新宮社 |
例祭 |
4月19日(春の例祭) 9月9日(秋の例祭) |
主な神事 | 熊野堂神楽 |
熊野神社︵くまのじんじゃ︶は、宮城県名取市にある神社である。旧社格は県社。
祭神
祭神は速玉男尊、伊弉諾尊、事解男尊、菊理媛神、ほかに4柱を 配祀する。歴史
保安4年(1123年)、紀州熊野を模し勧請した名取熊野三社の一つ、熊野新宮社として創建。 以来東北地方における熊野信仰の中心地として隆盛を誇り、中世には名取熊野別当が置かれ宗教・軍事ともに大きな権力を持つに至った。 名取熊野三社の中でも最も中心を成していたため、後に熊野新宮社、熊野本宮社、熊野那智神社を合祀し熊野神社と改称。 明治元年(1868年)3月の太政官布達﹁神仏判然令﹂により神仏合祀が禁じられたことで、熊野神社所蔵の本地仏をはじめ、法華経、一切経、大般若経、仏具等仏教色のものはすべて文殊堂に移され、その文殊堂も神社境内の南へ移動され熊野山新宮寺に帰属することとなった。 大正10年(1921年)8月27日郷社、昭和10年(1935年)11月1日縣社に昇格。名取熊野三社
名取熊野三社は、熊野神社︵旧新宮社︶・熊野本宮社・熊野那智神社の総称である。 ここには以下のような創建伝説が伝わっている。 ●熊野信仰の熱心な信者だった名取老女は、年老いたために紀州熊野への参詣が叶わなくなっていた。同じころ熊野にある山伏が住んでいた。山伏が松島へ詣でようと準備をしていたところ、夢枕に熊野権現が現われて、東北に住む老女に伝えるようにと和歌を詠んだ。﹁道遠し 程もはるかに隔たれり 思ひおこせよ 我も忘れじ﹂という歌だったという。山伏が下向の途中いまの名取のあたりにさしかかると、確かに熊野権現のお告げのとおりの老女が住んでいた。老女は山伏から和歌を聞くといたく感激し、名取の地に紀伊熊野の分霊を勧請した。 仙台湾を熊野灘、名取川を熊野川、高舘丘陵を熊野連山に模し、本宮・新宮・那智の三社が他の地域とは異なりそれぞれ別に勧請されている。 紀伊熊野の三社それぞれを地理的・方角的に同様にセット状態で勧請しているのは全国3000社以上の熊野神社の中でもここだけである。参考文献
- 東北歴史博物館「名取の里―熊野信仰と一切経」(1980年)