「益田太郎冠者」の版間の差分
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三井物産の創始者・益田孝の次男として、[[品川]][[御殿山]]にあった[[ジョサイア・コンドル]]設計の大豪邸「碧雲台」で生まれる<ref name=matsuoka>[http://1000ya.isis.ne.jp/0696.html 高野正雄 喜劇の殿様]松岡正剛の千夜千冊、2003年01月21日</ref>。長男夭折のため、跡取りとして育つ<ref name=yamaguchi>[https://nippon.zaidan.info/seikabutsu/2003/00693/contents/0031.htm 益田太郎と帝国劇場・・・山口昌男][[日本財団]]成果物情報</ref>。慶応義塾幼稚舎から東京府尋常(のちの東京府立一中)へ進学。このころすでに品川芸者数十人をあげて遊ぶような放蕩ぶりだった<ref name=matsuoka/>。中学卒業と同時に、父の命により英国ケンブリッジ留学。[[リース]]中学卒業後、[[ベルギー]]、[[アントワープ]]の商業大学に入学<ref name=yamaguchi/>。[[ロシア・バレエ団|ロシア・バレエ]]に熱中する。 |
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[[日清戦争]]勃発により、8年の欧州滞在を切り上げて帰国。[[横浜正金銀行]]へ就職、結婚。父親の命により[[日本製糖]]の常務を経て[[台湾製糖]]の取締役となる。このころから太郎冠者のペンネームで[[戯曲]]を書き始め、喜劇作家として活躍する。[[帝国劇場]]創設にともない、重役に就任。女優養成のために[[川上貞奴]]が始めた[[帝国女優養成所]]を引き継ぎ、[[森律子]]をはじめとする帝劇女優を多数育てる。本業は形だけで、もっぱら演劇人として幅広く活躍する。晩年は[[小田原]]で悠々自適の生活を送った<ref name=matsuoka/>。
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*[[1891年]] [[慶應義塾幼稚舎]]を卒業後、[[東京府]]尋常中学(後の[[東京都立日比谷高等学校|東京府立一中]])に進学。卒業後に英国留学。 |
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*[[1894年]] [[ケンブリッジ]]のリース中学卒業、[[ベルギー]][[アントウェルペン商業大学]]入学。 |
*[[1894年]] [[ケンブリッジ]]のリース中学卒業、[[ベルギー]][[アントウェルペン商業大学]]入学。 |
2014年9月29日 (月) 02:35時点における版
略歴
三井物産の創始者・益田孝の次男として、品川御殿山にあったジョサイア・コンドル設計の大豪邸﹁碧雲台﹂で生まれる[2]。長男夭折のため、跡取りとして育つ[3]。慶応義塾幼稚舎から東京府尋常︵のちの東京府立一中︶へ進学。このころすでに品川芸者数十人をあげて遊ぶような放蕩ぶりだった[2]。中学卒業と同時に、父の命により英国ケンブリッジ留学。リース中学卒業後、ベルギー、アントワープの商業大学に入学[3]。ロシア・バレエに熱中する。 日清戦争勃発により、8年の欧州滞在を切り上げて帰国。横浜正金銀行へ就職、結婚。父親の命により日本製糖の常務を経て台湾製糖の取締役となる。このころから太郎冠者のペンネームで戯曲を書き始め、喜劇作家として活躍する。帝国劇場創設にともない、重役に就任。女優養成のために川上貞奴が始めた帝国女優養成所を引き継ぎ、森律子をはじめとする帝劇女優を多数育てる。本業は形だけで、もっぱら演劇人として幅広く活躍する。晩年は小田原で悠々自適の生活を送った[2]。年譜
●1891年 慶應義塾幼稚舎を卒業後、東京府尋常中学︵後の東京府立一中︶に進学。卒業後に英国留学。 ●1894年 ケンブリッジのリース中学卒業、ベルギーアントウェルペン商業大学入学。 ●1899年 帰国後、横浜正金銀行入社。 ●1902年 日本精製糖︵後の大日本製糖︶常務取締役に就任。 ●1904年 太郎冠者のペンネームを使い戯曲を書く。 ●1906年7月 日本精製糖役員を辞任。8月、台湾製糖役員に就任︵1939年~1942年に同社5代目社長︶。 ●1907年2月28日 帝国劇場役員に就任作品
戯曲・脚本
●1904年 最初の戯曲﹁鴛鴦亭︵おしどりてい︶﹂が雑誌﹁文芸倶楽部﹂に掲載。同年12月 本郷座で高田実一座﹁高襟︵ハイカラー︶﹂ ●1905年6月 本郷座で高田実一座﹁正気の狂人﹂ ●1906年2月 明治座で伊井蓉峰・河合武雄﹁思案の外﹂ ●1907年6月 新富座で伊井蓉峰﹁女天下﹂ 10月 明治座で川上一座﹁新オセロ﹂ ●1908年5月 歌舞伎座で伊井蓉峰﹁保険ぎらい﹂ 8月 新富座で伊井蓉峰﹁渡辺﹂ 9月 本郷座で川上一座﹁唖旅行﹂ ●1909年9月 有楽座で高田実一座・井上正夫﹁空中飛行機﹂ 11月 本郷座で川上一座﹁座敷びらき﹂落語
●﹁宗論﹂ ●﹁堪忍袋﹂ ●﹁かんしゃく﹂ いずれも初代三遊亭圓左のために執筆。作詞・作曲した曲
- 「コロッケー」(コロッケの唄)(作曲者不明)
- 「女の一生」
- 「オヤオヤ節」
- 「今宵の様な」
- 「五本松くずし」
- 「サーサ事だよ」
- 「ためしゃんせ」
- 「所変われば」
- 「不老不死」
- 「へび山の」
- 「世をすてし」
- 「よかなんよ」
- 「モガモボソング」
- 「そもそも人の一生は」
- 「昔のお客と今のお客」
- 「年中行事」(作曲者不明)
- 「高速度油屋十人斬り」(作曲者不明)
参考文献
- 高野正雄『喜劇の殿様―益田太郎冠者伝』角川書店 2002
脚注
- ^ a b c 日本最初の西欧式劇場--- その舞台を飾った「帝劇女優」の生涯 福田和也「旅と書物と取材ノート、現代ビジネス、2012年05月04日
- ^ a b c 高野正雄 喜劇の殿様松岡正剛の千夜千冊、2003年01月21日
- ^ a b 益田太郎と帝国劇場・・・山口昌男日本財団成果物情報