筑波 (コルベット)
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艦歴 | |
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起工: | 1851年 |
進水: | 1853年4月9日 |
竣工: | 1854年 |
購入: | 1871年8月16日 |
除籍: | 1905年6月10日 |
性能諸元 | |
排水量: | 常備:1,947 t |
全長: | 垂線間長:58.2 m |
全幅: | 10.6 m |
吃水: | 5.48 m |
機関: | 1軸レシプロ 526 ihp |
最大速: | 10 ノット |
兵員: | 301 名 |
兵装: | 16 cm砲 9 門 |
筑波︵つくば︶は、日本海軍の軍艦、木造コルベット。元イギリス海軍所属の﹁HMS マラッカ﹂︵HMS Malacca︶で、兵部省が購入。艦名は茨城県の﹁筑波山﹂にちなんで名づけられた。
艦歴
HMS マラッカは、英領ビルマの警備のため建造された、スクリュー付き機帆走木造スループである。英領マラッカで竣工したとされるが、建造場所は不明である。1862年にコルベットとして機関を換装し、1869年に売却された。1871年に日本海軍がイギリス人から購入し、﹁筑波﹂と改名された。1887年までの正式名は﹁筑波艦﹂である。HMS マラッカは世界で最初に円缶を搭載した軍艦として有名である。 海軍兵学寮︵のち海軍兵学校︶の練習艦となり、1875年11月にはサンフランシスコまで航海するなど、遠洋練習航海のさきがけとなった[1]。他に測量任務にも従事した。 日清戦争時には艦歴40年以上であったので、実戦には投入されず軍港警備に従事した。 1898年3月21日、三等海防艦に類別された。1905年に除籍され、翌年に売却された。艦長
- (代理)相浦紀道 大尉:1871年10月28日 - 1872年3月3日
- 本山漸 中佐:1872年6月24日 -
- 伊藤雋吉 中佐:1872年9月14日 - 1874年6月12日
- (兼)伊藤雋吉 中佐:1874年6月12日 - 1876年9月12日
- 本山漸 中佐:1876年9月12日 - 1877年2月20日
- 松村淳蔵 大佐:1877年2月20日 - 1877年8月23日
- 本山漸 中佐:1877年8月23日 - 1877年11月1日
- 松村淳蔵 大佐:1877年12月1日 - 1879年8月19日
- 相浦紀道 中佐:1879年8月19日 - 1881年6月17日
- 伊東祐亨 中佐:1881年7月7日 - 1881年12月27日
- 有地品之允 大佐:1882年12月23日 - 1884年12月17日
- (心得)新井有貫 少佐:1884年12月17日 - 1885年6月22日
- 福島敬典 大佐:1885年10月23日 - 1886年1月6日(生徒練習航海中)
- 福島敬典 大佐:1886年1月6日 - 1886年12月28日
- 野村貞 大佐:1887年4月25日 - 1889年1月24日
- 柴山矢八 大佐:1889年5月15日 - 1891年2月6日
- 黒岡帯刀 大佐:1891年2月6日 - 1891年11月20日
- 黒岡帯刀 大佐:1892年8月6日 - 1895年12月27日
- 細谷資氏 大佐:1895年12月27日 - 1896年4月1日
- 石井猪太郎 大佐:1896年4月1日 - 5月19日
- 柏原長繁 大佐:1897年2月18日 - 1898年3月1日
- 友野雄介 中佐:1898年3月1日 - 10月1日
- 加藤重成 大佐:1898年10月1日 - 1899年6月3日
- 高桑勇 中佐:1899年6月3日 - 1899年7月25日
- (兼)宮岡直記 中佐:1899年9月19日 - 1900年11月6日
- (兼)今井兼昌 大佐:1900年11月6日 - 1902年6月28日
- 松居銓太郎 中佐:1902年6月28日 - 10月23日
- 黒水公三郎 中佐:1903年4月20日 - 5月14日
- 中川重光 中佐:1903年5月14日 - 6月22日