「籾山泰一」の版間の差分
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2023年7月19日 (水) 05:22時点における最新版
籾山 泰一︵もみやま やすいち、本名たいいち、1904年1月11日 - 2000年3月3日︶は日本の植物学者である。
東京都の築地で生まれた。父親は俳人で俳書堂・籾山書店の経営者、俳句総合雑誌の草分け﹃俳諧雑誌﹄の創刊者・主宰者の籾山梓月である。泰一も俳号、梓山を名乗った。従兄に鳥類学者の籾山徳太郎がいるため、論文のイニシャルが重なるのをきらって、﹁やすいち﹂の名前を使うようになった。
慶応大学予科を病気で中退した後、中井猛之進のもとで7年間植物学を学び、樹木学の猪熊泰三のもとで研究した。横浜植物会の初期からのメンバーである。1941年から資源調査を目的とした研究機関、資源科学研究所の植物部門で働いた。資源科学研究所が業務停止した後は東京都立大学 (1949-2011)で牧野富太郎の標本整理などを行った。著作に、編集を行った﹃梓雪句集﹄や﹃ばら花譜﹄などがある。
参考文献[編集]
- 『植物文化人物事典』大場秀章(編集)出版社: 日外アソシエーツ (2007年4月) ISBN 4816920269