藤原昭子
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藤原 昭子︵ふじわら の あきこ/しょうし、生没年不詳︶は平安時代中期から後期にかけての女性。右大臣・藤原頼宗の三女。母は藤原伊周の娘。後三条天皇の女御。承香殿女御または堀河女御と称された。
治暦2年︵1066年︶7月に東宮・尊仁親王︵後の後三条天皇︶に入内する[1]。治暦4年︵1068年︶後三条天皇が即位し、10月大嘗会の女御代を務める。翌延久元年︵1069年︶4月、女御宣下を受ける。皇子女はなかった。延久3年︵1071年︶8月新造内裏に移って、承香殿を局とした。延久5年︵1073年︶に天皇が崩御すると、出家して堀河院に移った。
﹃栄花物語﹄によると、父・頼宗は当初、後冷泉天皇の後宮に入れようとしていたが、頼通の娘・寛子の入内により断念し、のちに東宮︵後三条天皇︶への入内となった。なお、入内前の康平8年︵1065年︶父・頼宗が薨去している。