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「行命」の版間の差分

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''''''<ref>[2005: 272-273]</ref>[[]][[|]][[]]19[[]][[]]<ref>[[]][2005: 267-281]</ref><ref>[[]]1011[2005: 260-261]</ref>

'''行命'''(ぎょうめい、生没年未詳<ref>阪本[2005: 272-273]を参照。</ref>は、[[平安時代]]末期の僧侶。[[熊野新宮|熊野速玉大社]]の[[社僧]]で、父は19代[[熊野別当]][[行範]]。行命は彼の長男。南別当<ref>「[[僧綱補任]]」宮内庁書陵部蔵本などに記載。詳細は阪本[2005: 267-281]を参照。</ref>、南法眼<ref>『[[玉葉]]』養和元年10月11日条、熊野速玉神社所蔵『熊野別当代々次第』別当範智項などに記載。詳細は阪本[2005: 260-261]を参照。</ref>と通称される。



== 経歴 ==

== 経歴 ==

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*[[角田文衛]]『平家後抄』、朝日新聞社、1981年。

*[[角田文衛]]『平家後抄』、朝日新聞社、1981年。

*[[阪本敏行]]「源平内乱と熊野三山」(『田辺市史 第一巻 通史編Ⅰ』〈田辺市、2003年〉)

*[[阪本敏行]]「源平内乱と熊野三山」(『田辺市史 第一巻 通史編Ⅰ』〈田辺市、2003年〉)

*『熊野三山と熊野別当』、清文堂出版、2005年。

*『熊野三山と熊野別当』、清文堂出版、2005年。

*「治承・寿永の内乱と紀伊熊野―『平家物語』などの関係諸本における熊野関係逸話の物語性と事実性―」(『御影史学論集』35)、御影史学研究会、2010年。

*「治承・寿永の内乱と紀伊熊野―『平家物語』などの関係諸本における熊野関係逸話の物語性と事実性―」(『御影史学論集』35)、御影史学研究会、2010年。



== 脚注 ==

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参考文献

  • 角田文衛『平家後抄』、朝日新聞社、1981年。
  • 阪本敏行「源平内乱と熊野三山」(『田辺市史 第一巻 通史編Ⅰ』〈田辺市、2003年〉)
  • ―『熊野三山と熊野別当』、清文堂出版、2005年。
  • ―「治承・寿永の内乱と紀伊熊野―『平家物語』などの関係諸本における熊野関係逸話の物語性と事実性―」(『御影史学論集』35)、御影史学研究会、2010年。

脚注

  1. ^ 阪本[2005: 272-273]を参照。
  2. ^ 僧綱補任」宮内庁書陵部蔵本などに記載。詳細は阪本[2005: 267-281]を参照。
  3. ^ 玉葉』養和元年10月11日条、熊野速玉神社所蔵『熊野別当代々次第』別当範智項などに記載。詳細は阪本[2005: 260-261]を参照。
  4. ^ 室町時代の写本である『山伏帳巻下』承安元年晦山伏被入条を参照。
  5. ^ 阪本[2005: 272-273]を参照。
  6. ^ 『覚一本平家物語』・『源平盛衰記』などに記載。
  7. ^ ただし『熊野別当代々次第』においては、行命は歴代の熊野別当には数えない。
  8. ^ 『玉葉』養和元年10月11日条
  9. ^ 『玉葉』養和元年10月11日条。なお、志賀在庁の所在については、阪本[2005: 42]を参照。
  10. ^ 吾妻鏡』元暦2年6月2日条
  11. ^ 『吾妻鏡』文治5年5月17日条
  12. ^ 熊野速玉神社所蔵『熊野別当代々次第』。行命の末路にかかわる史料とその詳しい考証に関しては、阪本[2010: 49-51]を参照されたい