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2009年10月18日 (日) 02:18時点における版
RBCプライム2000 | |
---|---|
ジャンル | 報道番組 |
出演者 |
照屋京子 比嘉雅人 比嘉京子(RBCアナウンサー) |
製作 | |
制作 | 琉球放送 |
放送 | |
放送国・地域 | ![]() |
放送期間 | 1995年10月10日~1997年1月28日 |
放送時間 | 火曜日20:00~20:54 |
放送分 | 54分 |
RBCプライム2000は琉球放送︵RBC︶テレビで1995年10月10日~1997年1月28日に、火曜日20:00~20:54に放送された報道番組。
概要
前身の﹁RBCメディア最前線﹂の後継番組として、放送時間を金曜夕方から火曜夜のゴールデンタイムに移動した[1]。沖縄県内のローカルニュースを深く取り上げるのは前身と変わらないが、放送時間がゴールデンタイムとなったためメインキャスターを交代するなど視聴者が見やすいような番組編成になった。当時は9月に発生したアメリカ海兵隊による婦女暴行事件を受けて在日米軍基地問題がクローズアップしたばかりで、基地関連の内容が多かった。 メインキャスターはRBCエリアレポートでキャスターを務めた照屋京子、サブキャスターは比嘉雅人︵当時は報道記者だったがのちにアナウンサー、現在は琉球朝日放送報道記者︶だった。またコメンテーターに沖縄タイムスの論説委員などが出演したほか、比嘉京子アナウンサーも報道記者として出演していた︵東京から中継の場合はTBSのニューススタジオから登場していた︶。 タイトルの﹁2000﹂は放送開始時間の20時︵夜8時︶であることと、2000年まで放送する意味を込めてつけられていたことで、21世紀までの残暦が表示されていた。しかし実際は全国ネットの裏番組に視聴率で苦戦し1997年1月末にわずか1年4ヶ月で終了した。 提供スポンサーは沖縄の地元企業に加えて、NECなどの大手企業や華原朋美ら小室哲哉プロデュースアーチストの所属レコード会社であるORUMOK RECORDSも入っていた。しかしスポンサーの数は次第に少なくなった。番組終了後
1997年1月の同番組終了をもってレギュラーの報道番組は当番組を最後に終了した。後番組はローカル番組を製作せず、TBSで同時間帯に放送されていた﹁そこが知りたい﹂をネットするようになった[2]。現在火曜夜8時枠では﹁バラエティーニュース キミハ・ブレイク﹂が放送されている。脚注
- ^ RBCはTBS系だが、当時火曜夜8時枠はローカルセールス枠だった。ちなみに同局は前月の9月までテレビ朝日水曜夜9時枠の遅れネットだったが、10月にテレビ朝日系の琉球朝日放送が開局したため、2年半ぶりにローカル番組を放送するようになった。
- ^ スポンサーは当番組時代のスポンサーの一部を引き継いだ。またその後も時々単発でローカル番組に差し替えていた。
番組の変遷
琉球放送 ローカル報道番組 | ||
---|---|---|
前番組 | 番組名 | 次番組 |
RBCプライム2000 |
(廃止) |
琉球放送 火曜20:00枠 | ||
---|---|---|
前番組 | 番組名 | 次番組 |
RBCプライム2000 |
そこが知りたい |