Wikipedia‐ノート:記事名の付け方
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- 日本語版の本ページは考慮すべきガイドラインになっていますが、命名規則はまだ完全には定まっていません。各方面の記事を書かれる方の意見を元に、命名規則を完成させる必要があります。このノートページに改善案や質問などをお寄せ下さい。
- 合意に達した議論は必ず本文に反映してください。議論が終了・中断してある程度期間が経ったものは、現在進行中の議論の見通しをよくするために、取り除かれます。
2003年2月14日から2004年11月28日まで
2004年12月11日から2005年4月29日まで
2005年4月5日から2006年6月7日まで
2005年8月16日から2007年3月19日まで
- 「株式会社」を記事名に含めないことについて
- 副題を持つ書物の記事名
- JIS X 0208について
- 愛称や架空の人物名につける「ちゃん」など
- 商標登録されている名称の扱い
- 技術的制限ではないのに技術的制限?
- 「&ザ・」と「アンド・ザ・」
- 書物名等に含まれるダッシュの扱いについて(提案内容を変更の上、再提案)
- 施設名について
- ロゴを正式名称の根拠とすることについて
- 「燃え尽き症候群」と「燃えつき症候群」
- 正式名称に丸カッコを含む場合
- 地名(スペインとアメリカ)
- 曖昧さ回避の記事名の名付け方について
- 正式名称に全角空白2文字を含むもの記事
- アルファベットそのものが入っている記事
- 冒頭のテンプレート
- カタカナ表記の人名複数の区切り文字
2007年1月5日から2007年7月26日まで
2007年1月22日から2008年2月12日まで
2008年2月17日から2009年8月7日まで
- 「一覧およびメタ記事の取り扱いについて」の節の改訂
- 副題のある記事名の付け方
- 正式名称と曖昧さ回避のかねあい
- 曖昧さ回避では無い括弧つき記事について
- 人名における「Jr.」の扱い
- ネットに出回る誤字の取扱い
- 本則とは?
- 記事名における「シリーズ」使用について
- 映画などの作品名における副題の区切り記号
- dump データからの抽出
- ウィキプロジェクト(その他(3.14)の改訂提案)
- 「企業の記事名に『株式会社』等を含めない」という慣例の明記について
- 外国の地名について
- 団体名について
- 外国のビル名・施設名・組織名について
- 外来語節200811128T1755Zの編集
- 常用漢字と固有名詞
- 漢字を適切に使うこと
- 「一般的な指針」の構成
2009年1月24日から2009年10月1日まで
- サブページ(全般的な指針)
- サブページ(記事分野別)
- ウィキプロジェクトでの議論
英語版より「記事名を付けるには」の節を移入する提案
en:Wikipedia:Naming conventions#Deciding an article nameが、正式名称がなく名前が決めかねる場合に、比較的理解しやすいひとつの目安になると思いますので、移入することを提案します。以下、下手ながら仮訳です。なお意訳した部分もあり、間違いもあるでしょうし、現状と合致しない部分もあるかと思いますので、文案は適宜修正してください。
記事名を付けるには
ウィキペディアにおいては、あらゆる記事にはひとつ題名を付ける必要があります。記事名は理想的には次のような基準を満たすのが望ましいです。
●認知度が高い - 信頼できる情報源において最も一般的に使われており、その記事の内容を現すのに最も著名であると考えられるもの。
●見つけやすい - 読者にとって記事の中で見つけやすいもの︵そして編集者にとって最も自然に他の記事にリンクできるもの︶。
●曖昧でない - その記事の内容を曖昧さなく見分けるのに必要な程度に的確な名称であること。
●簡潔 - 短く、要点をついているもの。︵曖昧さ回避の場合でも、カッコ内を短く保つことは必要です︶
●首尾一貫している - 他の似たような記事においても、同じように使われているもの。
たいていの記事には、この基準の大部分ないし全てを満たすような、シンプルかつ明瞭な名称があるでしょう。その場合には、そのままそれを使ってください。しかし、複数の基準を満たすために他の基準を犠牲とする必要があるかもしれません。そういった場合には、記事名は信頼できる情報源における慣例を参考にしつつ、議論して決めてください。具体的な分野、特定の問題における命名の指針が、ウィキペディアの基本方針文書においてまとめられています。もしそういった指針がない場合には、前述の原則を常に心に止めながら、議論して作成します。なお、記事名を選ぶにあたっては、編集者の関心よりも読者の関心を、専門家よりも一般的な利用者の関心を重視してください。
いかがでしょうか。--Kurz 2009年12月12日 (土) 02:39 (UTC)
賛成 ひとつの指針としては有用なものですし賛成いたします。どうせなら英語版にある﹁Common names﹂の導入も検討してみてはいかがでしょうか。--Web comic 2009年12月12日 (土) 02:54 (UTC)
(コメント) 現行規程との兼ね合いもあるので、単純に移入とはゆかない気がしますが、その点については如何でしょう。--Jms 2009年12月12日 (土) 03:42 (UTC)
どうでしょうね。まず見たところ、(1)基準の部分、(2)決定方法の部分、(3)その他総則の部分、に分かれるでしょう。現行規程は正式名称主義を取りますから、それに合わせた修正は必要となるでしょう。私見では、(3)はそのまま使い、(2)は正式名称を優先することをすりあわせ、(1)は正式名称主義では解決できない場合に、判断基準の目安となる補則としておく、という方法もあろうかと思います。ただ現行規程に詳しいわけではないので、他の詳しい方の意見をお願いしたいです。--Kurz 2009年12月12日 (土) 04:15 (UTC)
コメント 特に意見もないようなので、一応、正式名称主義との兼ね合いの部分を挿入しました。﹁Common names﹂については、正式名称主義との兼ね合いが難しそうなので入れていません。何か意見があればお願いします。--Kurz 2009年12月17日 (木) 09:54 (UTC)
特に気になるのは、現行前文にある、まず何よりも、と、その次に、というのとの兼ね合いです。前文はそのままとするのでしょうか。まず何よりも、の部分は結構微妙な場合のよりどころとされているので、あれを除去するとなるとそれなりの段取りが必要でしょう。--Jms 2009年12月17日 (木) 11:27 (UTC)
もともと英語版では、08:59, 10 July 2008 (UTC)の版までは次のような文面があります。"Generally, article naming should give priority to what the majority of English speakers would most easily recognize, with a reasonable minimum of ambiguity, while at the same time making linking to those articles easy and second nature."。リード部分はこれが元でしょう。現在の版では相当する部分は見当たらないので、この趣旨は﹁記事名を付けるには﹂に吸収されていますので、合わせるならリードを消して、文案から先程加えた正式名称優先の文章も消せば、趣旨としては現状とあまり変わらないものになります。それ以上の修正となると、複数の節に渡る修正が必要で確かに狭い合意では適当でないでしょうが、年末なのでもう無理でしょうね。--Kurz 2009年12月20日 (日) 10:55 (UTC)
(インデント戻し) 現状の規程に具体的問題があるわけでない一方、提案されている内容では現在広く受け入れられている順序 (まず何よりも、と、その次に) が失われるので、置き換えにはあまり賛成できません。特に、当用漢字、常用漢字による漢字制限と、それにともなう﹁正式名称﹂の仮名表記や別字への置き換えという事情があるので、現在の前文にある順序は維持すべきだと思います。前文はそのままに、提案内容を﹁一般的な指針﹂の前に挿入し、様子を見るのが現実的だと思います。--Jms 2009年12月20日 (日) 11:28 (UTC)
前文と正式名称主義と本提案には矛盾するところがあるので、単純な挿入だと矛盾を増すことになってしまいます。その場合、矛盾の解決は本方針を参照するそれぞれの利用者が判断し、慣例が形成されるを待つという考え方になりますが、それで大丈夫でしょうか。私はそういう方法を取った経験はないので、多少心配なのですが。--Kurz 2009年12月20日 (日) 11:51 (UTC)
前文が正式名称主義に優先しますし、正式名称は﹁基本的には﹂なので、矛盾が生ずるとは思えないのですが…。--Jms 2009年12月20日 (日) 12:06 (UTC)
そういう解釈であれば、確かに問題にはならないのでしょうね。ログを見ると徐々に正式名称主義が強調されていっているようなので、多少気になるのですが。本案を単純に挿入するという案には異論はないので、とりあえず上の文案は(delで︶直します。異論がなければ導入しましょう。--Kurz 2009年12月20日 (日) 12:31 (UTC)
では、文案は元のままとして、それを一般的な指針の前に挿入する旨、Wikipedia:管理者伝言板に依頼します。--Kurz 2009年12月22日 (火) 12:38 (UTC)
アカウント作成からある程度時間の経過したログインユーザなら直接編集できるはずですが…。--Jms 2009年12月22日 (火) 12:42 (UTC)
おっと、保護ページと勘違いしていました。半保護でしたね、すいません。導入しました。--Kurz 2009年12月22日 (火) 12:52 (UTC)
英語版より「一般的な名称を使う」の節を移入する提案
上の続きですが、上の議論において希望がありましたので、en:Wikipedia:Naming conventions#Common namesも移入することを提案します。仮訳は次のとおりです。
一般的な名称を使う
記事名には原則として、その記事の内容を表すのに日本語において最も一般的な名称を使います。一般的な名称を決めるには、信頼できる情報源における扱い︵例‥その記事の参考文献における扱い︶を参考にします。
記事名は低俗なのも衒学的なのも望ましくありません。また、専門的には正しいとしてもあまり使われていない名称、たとえば正式名称・科学上の名称・商標名などよりも、信頼できる情報源における一般的な名称のほうが望ましいです。以下はその例です。
●ビル・クリントン︵﹁ウィリアム・ジェファソン・クリントン﹂ではない︶
●夏目漱石︵﹁夏目金之助﹂ではない︶
●ミロのヴィーナス︵﹁ミロスのアプロディーテー﹂ではない︶
●モルモット︵﹁Cavia porcellus﹂﹁テンジクネズミ﹂ではない︶
複数の名称のうちどれが最も一般的なのかを決めかねる場合には、検索エンジンによるテストが参考になる場合もあります︵なお検索する際には、検索結果を日本語で書かれたページだけに限定し、単語﹁Wikipedia﹂を除外してください︶。また、主な国際機関・日本語メディア・科学雑誌や信頼性の高い百科事典における扱いも参考になるかもしれません。
複数の名称のうちどれが最も一般的なのか利用者間で対立がある場合や、日本語圏においてあまり知られていない事物であるために日本語における一般的な名称が存在しないという場合には、正式名称か、さもなくばその主体自身が自らについて言及している際に使っている名称を使ってください。
ただこれ、上の議論でも述べましたが、これは﹁正式名称を使うこと﹂節ともろに矛盾するので、単純に移入していいかは検討の必要があるでしょう。--Kurz 2010年1月18日 (月) 10:43 (UTC)
コメント コメントにとどめます。
日本語版の場合、平易な表現への言い換えよりも﹁正式﹂な表記にこだわるという傾向が一定存在するように感じています。いっぽうで英語版のほうは、本文中のギリシア語彙もラテン文字翻字ですませていたりするのをよく目にします (日本語版では気息記号も含めた正式な表記を付記しようとがんばるので、ギリシア語表記を知りたいときは日本語版のほうが役に立ったりします。閑話休題)。﹁正式な名称﹂﹁一般的な名称﹂について英語版で想定しているのはおそらく英語の範囲での語彙の選びかたですが、日本語版では漢字を使うか仮名書きか、﹁正字﹂を使うかどうか、という議論になりがちだとおもいます。単純に移入できないとおもいます。 --Hatukanezumi 2010年1月18日 (月) 11:56 (UTC) typo --Hatukanezumi 2010年1月18日 (月) 12:18 (UTC)
後段の話は、Wikipedia:表記ガイドやWikipedia:外来語表記法の話になるので、それほど問題にはならないでしょう。正式名称主義の話については、慣例として定着していることは承知しています。ただ、正式名称は一般に冗長にすぎるので文中でそのままリンクすることがあまりありません。そこで通常はパイプや通称からのリダイレクトで対応するのですが、前者は煩雑で、後者は通称は他の事物とかぶる場合が多いので、リダイレクトの﹁一意なリダイレクトの原則﹂に従うことができにくく、ルール上矛盾が出てきてしまいます。
例えば、通称が記事名となっているティベリウスを見てみます。この場合、彼の正式名である﹁ティベリウス・ユリウス・カエサル﹂から﹁ティベリウス﹂にリダイレクトするのは一意ですが、仮に逆だった場合には︵同名のティベリウスが多数いるので︶一意ではなく、リダイレクトが使えません。つまり、この項目がもし現行のルールどおり正式名を採用していたなら、この項目にリンクする際には必ずパイプを使わなければならず、煩雑にすぎるでしょう。 あと、カテゴリの表示においても、正式名称だと一般的な名称とは乖離があることもあって、直感的にわかりにくいものがあります。
このように、正式名称は曖昧でなく記事名争いが起きにくいというメリットはあるものの、別な部分で矛盾や煩雑さが生じてきてしまいますので、全面的に採用するのはいかがなものかと思うのです。よって、原則としては一般的な名称として、曖昧さ回避の恐れがある場合に正式名称等を採用するとしたほうが妥当ではないかなと思うのですが、どうでしょうか。ちなみに、本文書の﹁正式名称を使うこと﹂の部分は、履歴を読む限り文書の作成時に特に議論もなく導入されたもので、それが慣例として定着したもののようです。上の翻訳のとおり、英語版では別にそういうルールはないようなのですが。--Kurz 2010年1月21日 (木) 10:02 (UTC)
本文中のリンクはパイプ表記でいくらでも変えられるので、あまり気にしてませんし、実際そういう例はいくらでもあります。異表記を使いたいという嗜好のためにパイプ表記でごまかしたことなんかもあります(^^;)。ただ、表記の指針が本文と記事名であまりに乖離するとそれはそれで論争の種になるので、本文の表記例にある程度準拠する必要はあるとおもいます。
で本題。先に述べましたが、英語版では﹁平易な語彙への言い替え﹂を念頭に置いているとおもいます。それは日本語では簡単ではない --- とりあえず漢字をならべればもっともらしい言葉になるので、言い替えの工夫があまりされてこなかった。なにが正式名称でなにが一般的な名称なのか、英語のように簡単にきめられない。
検索エンジンを用いるという指針にも同様のことが言える。英語だったら﹁どういう単語を使うか﹂(たとえば、ラテン語・ギリシア語起源の語彙をつかうのか英語固有語を使うのか) という観点で検索エンジンの結果を参考にするのは有益だとおもうけど、日本語だと漢字をつかうか他の字で書き換えるか仮名書きか (﹁それは漢字制限のせいで﹂云々、という反論が必ずある)、漢字でも正字を使うべきか (同前) といった話になりがちで、本来の﹁平易な語彙への言い替え﹂になるとは限らないとおもうんです。
個人的な本心としては、平易な表現への言い替えをこそやりたいんですが、議論すべきことが多すぎて無理 (国語審議会の答申なみの議論になる) なので、日本語版については﹁正式名称が原則だ﹂としておいたほうが楽だとおもっています。 --Hatukanezumi 2010年1月30日 (土) 14:59 (UTC)
補足。たとえば﹁半角カナ﹂なんてのは見るたびに改名したい衝動にかられるんだけど、これは正式名称でも一般的な名称でもないんです。俗称ですから。片仮名を﹁カタカナ﹂と表記するという、字種の使い分けとしてはまちがった慣習に基づいているにすぎない。3種類の字種から選べるからこういうことが起こってしまう。こういうものについて﹁一般的かどうか﹂という議論はあまりしたくないのですね。 --Hatukanezumi 2010年1月30日 (土) 15:10 (UTC)
﹁検索エンジンによるテスト﹂(en:Wikipedia:Search engine test)については疑問があるとのことなので、副次的な部分で重要ではないので、いったん削除します。あとは下のコメントの繰り返しになりますが、揉める場合には正式名称を採用するとすればよいのでは。--Kurz 2010年2月1日 (月) 10:27 (UTC)
検索エンジンがだめだと言ったわけではないんですが (検索エンジンの利用については別の観点から問題になりうる可能性を考えていますが、まだ確信がないので書かない)。
んでえーと、抽象論を繰り返すのはよくないなあ自分、とおもうんで、ちょっといままでの記事名に関する論争を見て回って考えてみることにします (仮に日本語版に移入するのなら、例は日本語版に即したものであるべきでしょうし)。わたしが見て回っている間に当ノートの議論がなんらかの合意に達したら、それに応じてガイドラインを変えるなり変えないなりしてくださってかまわないですよ。 --Hatukanezumi 2010年2月1日 (月) 14:58 (UTC)
まぁ、﹁検索エンジンによるテスト﹂はまだ説明文書もない状態であって下手な使い方をする人が出て問題になることも考えられるので、しばらくは保留で構わないでしょう。事例については確かに日本語圏に即しているとは言いがたいので、何か良い例があれば助かります。なお、合意についてはまだではありますが、記事名争いを恐れる方が複数いるようなので、文案にその旨加えておきます。--Kurz 2010年2月2日 (火) 03:34 (UTC)
●︵反対︶慣例を考慮する旨は現行でも充分にあり、何が一般的かや正式名称の認知度で揉める可能性が高くなると思われる。johncapistrano 2010年1月21日 (木) 10:15 (UTC)
一般的な名称はWP:Vにより決めます。現状でも外来語表記などでWP:Vによって判断されることが多いのですが、記事名争いになるケースはそう多くはありません。もしそれが気になるようであれば、揉める場合には正式名称を採用するとすれば足りるでしょうし、また記事名争いが潜在的におきやすい分野については分野のルールとして正式名称を優先するとすれば、さほど心配はいらないでしょう。曖昧さ回避や記事名争いが起こる事例ならともかく、そうでない場合にまで、冗長でわかりにくい正式名称を採用する合理性はないように思うのですが、いかがでしょうか。--Kurz 2010年1月24日 (日) 02:00 (UTC)
例示されているものの中でビル・クリントンには現在のガイドラインで慣例に該当するものはありませんので、厳密に当てはめてしまえば﹁ウィリアム・ジェファソン・クリントン﹂と改名する必要が出てきてしまいます。また正式名の適用外として慣例を列挙していくことは指示の肥大化にも繋がります。そういった点からも﹁一般的な名称を用いる﹂ことを前提に置くことは必要だと考えます。--Web comic 2010年1月30日 (土) 14:22 (UTC)
反対 johncapistranoさんのご意見に同意です。現状でさえ、このガイドラインから自分の主張に有利な一文を切り取ってきて、改名提案の議論の場で錦の御旗のように振りかざす利用者が少なくない中、提案されているようなガイドライン改稿はいたずらに混乱を大きくする事態になりかねない。また、WP:Vでは名称の存在を示すことはできても、一般性を示せることはあまり期待できない︵呼称・表記に関して信頼できる文献で、…の呼称が最も一般的であると断ずるものは、そうあるものではないと考える︶。--Peccafly 2010年2月1日 (月) 20:08 (UTC)
現状が問題だからこそよりよくするためにガイドラインを変えようとしているわけで、そのことに目をつぶって問題をそのままにしておくというのはいかがなものかと考えます。そもそも正式名を採用するというのは一見合理的であるかのように思えますが、何が正式名か不明なものは数多くありますし︵ネーミングライツの施設名など︶、正式名を適用するのに相応しくない記事も多くあります︵ビル・クリントンを始めとした人物記事などはその典型でしょう︶。--Web comic 2010年2月2日 (火) 00:23 (UTC)
コメント えーっと、先に述べたことの繰り返しになるのですが、別に改名議論において対立がある事例まで一般名を使うべきと言っているわけではないのです。端的に言えば、正式名称は安定ですが扱いづらく、一般名称は不安定な場合もありますが扱いやすいですから、一般名が不安定でないような場合においては、あえて扱いづらい正式名称を使うのは不便ですよね? なお、一応みなさんの意見を踏まえて文案を変更しましたので、ご確認ください。--Kurz 2010年2月2日 (火) 03:34 (UTC)
●︵コメント︶ノート:環球貿易広場のような中国語を翻字しただけでは日本人に意味が分かりにくいので日本語に翻訳しべきという主張もありましたので、ガイドラインに入れることは慎重にすべと考えます。それに何が平易かは個人差があるので、正式名称で記事名は作成しリダイレクトを多用すれば提案の目標とする状態が達成できると思います。また英語と日本語の言語的な差異もありまして﹁閉所恐怖症﹂と日本なら中学生レベルで確実に理解できる単語ででも、英語だと﹁claustrophobia﹂と大学生でも理解できない例もありますので、英語版の内容を日本語にそのまま適用する必要性についても考慮してもいいかも知れません。--Yonoemon 2010年2月2日 (火) 07:28 (UTC)
コメント﹁現状が問題だからよりよくするため﹂との御意見がありましたが、ここでのこれまでの議論も拝見してきた限りにおいては、他記事からのリンクに際してパイプ処理が煩雑だという点にやや共感をおぼえる他には正式名称を記事名とすることの問題を感じません。何が﹁最も一般的﹂かで揉め事になる事態を想像すると、まだ、何が﹁正式﹂かに関して揉めるほうが消耗度は低いのではないかと思います。﹁ビル・クリントン﹂はリダイレクト処理等によって検索性が保たれているのなら、記事名が﹁ウィリアム・ジェファソン…﹂になっていても、少なくとも私には、特に困ることはありません。--JSBB 2010年2月2日 (火) 08:34 (UTC)
コメント 中国語については日本語と同じ漢字を使っているという中国語特有の問題があるので、ここではなくて個別の分野で検討したほうがよさそうなのと、基本的には先に追加した部分で対処可能ではないかなと思います。
あとはおっしゃるとおり、現状でも記事名は正式名称とし、文章内では一般的な名称を使っていまして、その矛盾をリダイレクトやパイプで解決しているのが実際なんですが、そのようなややこしいことをするなら、素直に記事名に一般的な名称を使うとしたほうが、やり方としては自然なんですね。またリダイレクトやパイプを使った場合リンクをクリックすると、クリックした名称ではなくて、︵正式とは言え︶違う名称に飛ばされることになるので、利用者を困惑させないというウェブユーザビリティの原則からすれば好ましいとはいえず、リダイレクトだらけになる現行方式は好ましいとは言えません。あとはそうですね、困るのはカテゴリの一覧でわかりにくい正式名称が羅列されることでして、これはリダイレクトでは解決できません。︵例‥Category:クラウディウス氏族︶
まぁ、正式名称という方法が定着して長く、皆さんリダイレクトやパイプを多用している現状をもはや当然視していて違和感を持たれることはあまりないので、合意形成は無理そうですね。当初から予想していたことではありますが。--Kurz 2010年2月2日 (火) 11:26 (UTC)
コメント 記事名に争いがある場合にまでこの原則を適用しない、というのはKurzさんの個人的な思いとしてあったとしても、文面はそのようにはなっていない。提案された文面は、このガイドラインを金科玉条のように振りかざす輩による悪用を否定していないばかりか、そのような場合の記事名の決定方法を頭ごなしに決め付けるような下線部の追加提案が付け加えられており、とうてい許容できない。--Peccafly 2010年2月3日 (水) 20:19 (UTC)
上の文案はルール上の問題が少なくなるよう修正しているつもりでしたので、それほど否定されるとは意外でした︵元々英語版を参考にした文面でもあります︶。もはや合意形成は難しいだろうと思っていますのであまり議論を続ける気がないのですが、多少気になる意見でしたので質問させていただきます。たとえばどのような内容なら納得していただけるのでしょうか。
誤解があるといけないので説明しますが、﹁原則として︵手法A︶、利用者間で対立があれば︵手法B︶﹂という手法は、Wikipedia:曖昧さ回避の﹁平等な曖昧さ回避﹂で用いられているものを参考にしたものです。これは﹁対立があれば﹂という条件は論争が始まってまとまらなければその時点で自明のことなので、合意形成のように議論が長引くことはまずなく、安定性を損なうことも実際にほとんどありません。つまり、この場合には手法Aでは利便性は高いが対立が起きる可能性があるので、その場合対立の起きない手法Bに誘導するとすることで安定性を確保して、全体として利便性と安定性のバランスを取るつもりなんですね。--Kurz 2010年2月5日 (金) 10:34 (UTC)
コメント というか、もうすでに日本語版にこの方針は移入されているんじゃないの?反対意見を述べている人は最近改訂されたWikipedia:ウィキペディアは何ではないかを読んでないとか。文書ステータスがこの文書より上位の方針文書のWP:NOTで﹁記事名には専門用語ではなく[[:en:Wikipedia:Naming conventions (common names)|一般的な用語]]を使用するべきです。﹂と書かれている。WP:NOTの改訂で反対はなかったのだろうか?--Afaz 2010年2月4日 (木) 10:13 (UTC)
コメント 上の﹁閉所恐怖症﹂の例なんかもそうなんですが、正式名称 (専門用語) と一般的な名称との隔たりが、英語と日本語ではちがうとおもうんです。
日本語話者の間では、﹁この字はどういう意味?﹂というききかたをよくします。識字率が高く、一方で漢字制限が浸透していることもあり、漢字の意味がわかればかなり難しい概念をあらわす言葉でも一応意味が取れるのですね。たとえば衝は天文学の専門用語ですが、字の意味さえわかればある程度意味がとれます。いっぽう英語ではen:Syzygyという用語の意味は、﹁そもそもこの言葉はギリシア語で天秤棒を意味する語に由来し……云々﹂、と説明してもらわないと、絶対にわかりません。だからen:oppositionに言い換えよう、というのが、英語版での﹁専門用語ではなく一般的な用語を使うべき﹂ということの趣旨だとおもっています。ちなみに同語源の用語が、数学の日本語では﹁シチギー﹂ないしは﹁シジジー﹂として用いられます。片仮名で書かれるとさっぱりわからない。
そういうわけで、﹁英語版から日本語版へは単純に移入できない﹂とコメントしたわけです。 --Hatukanezumi 2010年2月4日 (木) 13:27 (UTC)
なるほど。英語版の意図についてはともかく、日本語の場合は正式名称はさほどわかりにくくはないというのはおっしゃるとおりだと思いますので、そうなると一般名称を推す根拠は多少弱くはなります。ただ正式名称と一般名称に乖離があること自体は変わらず、またカナ表記の外来語については当てはまらない話なので、検討の必要は引き続き残るかと。--Kurz 2010年2月5日 (金) 10:34 (UTC)
議論が進展しなくなり合意形成にも至らなそうなので、とりあえずいったん提案を撤回します。余談ですが、命名にあたっては、ふだんは常識に基づいて項目名を一般的な名称とし、名称について争いがある場合にはじめてこの文書が参照されて正式名称が使われるというパターンが多いように思うので、そうなると﹁原則として一般名称、利用者間で対立があれば正式名称﹂という手法に近いといえ、実際にはそれほど現状と差はないのかもしれませんね。新規参加者にはわかりにくいかなぁという気はしますが。--Kurz 2010年2月23日 (火) 10:25 (UTC)
Wikipedia:記事名の付け方の冒頭文において、﹁まず何よりも…そしてのその次に…﹂と、優先されるべきことが明確な順序とともに示されています。その意味で、提案されている事柄は現状と差がないはずだと思いますし、その一方で正式名称というのがやや一人歩きをしている観があると思いますが、あらためて現行で具体的に何が困るのかと言われると、たとえばノート:がいしの様な場合位ではないかとも思います。こういう事情で困る、という事例がもっと積み上がると意見も出せるのですが、そうした積み上げが明確でない状況では意見表明が難しいとともに、そうした事例が積み上がっていないなら、そもそも現行でさしたる問題はないということなのではないかとも思います。難しいですね (のでコメントしませんでしたが、ってのはあまりにズル?)。--Jms 2010年2月23日 (火) 11:56 (UTC)
ズルくはないです、同じことは思います。ただルールの整合性・わかりやすさという面から言えば多少難があるのもまた確かなので、一応提案してはみようと。予想通り無理でしたけどね。--Kurz 2010年2月23日 (火) 12:48 (UTC)
﹁事例の積み上げ﹂は、とても重要だと思います。が、その反面﹁現行の方針ではスムーズに解決可能だったが、異なる方針では揉めたであろう︵揉めたかもしれない︶案件﹂というのもあるかと思いますので、そちらについても出来るだけ見落とさないよう情報収集することも大事だろうと思います。もちろん﹁歴史に﹃もし(if)﹄はない﹂というのと同様、本当に異なる方針下で揉めることになったかどうかは、あくまで予想の域を超えるものではない、ということには留意する必要がありますが。
参考までに、過去に私個人が経験した範囲ですが、ノート:化膿レンサ球菌、ノート:肺炎レンサ球菌、ノート:バシラス属、ノート:酪酸菌、ノート:エンベロープ_(ウイルス)、Wikipedia‐ノート:ウィキプロジェクト 生物#Aspergillus nidulansの改名について、ノート:サルモネラあたり︵やや間接的にはノート:BCGも︶で、日本細菌学会監修の用語集や、医科細菌学の専門書などが採用しているものを﹁正式な名称﹂として記事名に採用する︵あるいは、それに類した︶議論を行いました。そのいずれにおいても、非常に短期間で話がスムーズにまとまり、かつ︵おそらくですが︶議論参加者のほとんどが、一応なりとも納得できる結果︵=後から改名議論の蒸し返しなどがない︶になった、と考えてます。これが﹃もし﹄正式な名称の採用、という方針がなければ、これだけ短時間でスムーズにまとめることはできなかっただろうと、実際に関わった私自身、そう確信してます…というか、﹁正式な名称を優先する﹂という方針があり﹁これなら話をまとめられそうだ﹂という目算が立ったからこそ、これらの改名議論に参加したという面も大きいのですが (^^; まぁともあれ…これらは分野的には細菌学/微生物学という狭い分野に偏ってますが、専門化が進んだ自然科学分野においては、概ね同じような傾向があるのではないか、と考えてます。
そもそもこういった分野では﹁正式名称﹂を、WP:Vが推奨するような、︵その分野において定評のある︶﹁信頼できる情報源﹂がきちんと定義しているのに対して、﹁一般名称﹂はマスメディアなどによって好き勝手に付けられてしまうことがあります。元々、新聞やテレビなどのマスメディアは﹁社会的に今起きている事件を扱う﹂ことについては専門性が高い分野ですが、例えば医学分野から見ると、怪しげな健康情報を掲載したりすることが多く、﹁医学においての﹃定評のある信頼できる情報源﹄とは言えない﹂ものに相当するでしょう。このため、一般名称を採用してしまうことが、本来の定義とは異なるものになり一意性を大きく損ねたり、倫理的/社会的な問題になる場合もあります。例えば、昨今のブタインフルエンザという名称や、以前の牛海綿状脳症と狂牛病の名称についての騒動はご存知の方も多いでしょう︵この手のケースでも結局、最終的に残るのは大抵﹁正式名称﹂の方です…ウィキペディア内のみならず一般社会においても︶。
ノート:がいしのようなケースは確かに大変だとは思いますし﹁大きな問題﹂に見えます。が、それが本当に﹁大きな﹂問題なのか、単に﹁目立っていて、大きく見える﹂だけの問題なのかについては、もう少し時間をおいてから、もう一度冷静になって見つめ直す必要があるんじゃないかと思います。もし、単に目立っているだけの﹁目先の問題﹂だけに囚われて、場当たり的に方針を変えてしまうと、その結果として﹁これまで目立たなかった、トラブルが事前に回避されていたケース﹂が新たな火種になるようなことも起こりうると思います。今後、ケーススタディを行うに当たっては、その辺りも踏まえてやっていただけると助かります。--Y tambe 2010年2月24日 (水) 02:06 (UTC)
どうでしょう、生物分野の方は体系的な命名慣習があるのでそれを優先するのがよいと思えるかもしれませんが、生物学事典ならともかく百科事典であるということを考えると微妙ですね。たとえばモルモットは学名にしたら異論が多いでしょう。実際には、著名な生物は一般名称、マイナーな生物は生物学的名称という流れに落ち着くのではないかと思います。
今までの議論を検討しつつ思ったのですが、一般的な指針についてはあまり厳密かつ機械的なルールを定めると例外が多すぎて返って不都合なのかもしれないですね。本文書が﹁ガイドライン﹂であって拘束力が弱いのも、英語版の一般的な指針には機械的なルールが見当たらないのも、それが理由なのかも。その辺は案でまずそうなところはちょっと消しておきます︵もう必要ありませんが︶。--Kurz 2010年2月24日 (水) 10:22 (UTC)
後日の参考までに、正式名称についての先行議論について挙げておきます。
●/過去ログ1
●#日本語の正式名称
●#正式名称とカテゴリの問題
●#正式名称を使う事が望ましいのか
●/過去ログ2
●#﹁正式な名称を使うこと﹂を変更することについて
●/過去ログ3
●#正式な名称を使うことの改訂
前からある議論のようですね。--Kurz 2010年3月3日 (水) 11:49 (UTC)
記事名に使用可能な文字
こんにちは。記事名で使うことのできる文字について確認させてください。Wikipedia:記事名の付け方やHelp:ページ名によりますと、一部の例外︵MediaWikiで制限されている文字、印刷不能文字など︶を除き、記事名にはUnicodeの基本多言語面︵BPM、U+0000からU+FFFFまで︶にある文字が使用可能、となっています。ですが実際の運用では、例えば﹁♡﹂︵U+2661︶や﹁Ⓐ﹂︵U+24B6︶といった記号は避けられているようで、そのような記号を含まないように命名されたり、それらを名前に含む記事が投稿された場合はそれら記号を含まない記事名に移動され、移動後に{{記事名の制約}}などのテンプレートが貼り付けられることが多いようです︵例‥﹁みんなあげちゃう♡﹂→みんなあげちゃう、﹁呪って♡あっこちゃん﹂→呪ってあっこちゃん、﹁藤子不二雄Ⓐ﹂→藤子不二雄A︶。Unicode一覧 2000-2FFFにある他の多くの有用そうな文字も同様に避けられているようです。方針・ガイドライン文書やヘルプなど、いろいろ調べてみましたが、その理由を見つけることができませんでした。歴史的経緯に基づいた、あるいは、様々な利用環境に配慮した、︵単なる?︶慣例でしょうか?唯一、Wikipedia:記事名の付け方#人名で﹁一般に機種依存文字に区分される漢字は用いない﹂という条文を見つけましたが、これは人名に限られていると認識しています。
これら記号文字を避けている根拠をご存知の方がいらっしゃれば、教えてください。あるいは、それら記号文字の使用に関するご意見︵積極的に使用すべき?使用すべきでない?ケース・バイ・ケースで運用対処?ガイドライン文書で規定すべき?等︶があれば、お願いいたします。--Penn Station 2010年1月30日 (土) 12:57 (UTC)
漢字は JIS X 0208 の範囲に制限されているのに BMP の範囲は可、と解釈するのはおかしいでしょう。技術的には BMP の範囲外は保証されていない、運用的には、見出しは原則的には日本語の範疇であるべきなのでハートマークやまるエーなどの記号は記事名には用いられるべきではない、ということでしょう。文字自体に関する項目はこの原則の例外でしょうが、記号類については基本的にその記号の名前が記事名となっている様です (Category:約物参照)。--Jms 2010年1月30日 (土) 13:20 (UTC)
記事名をつけるについては、Wikipedia:表記ガイドも見ておいてください。これはおもに記事本文に対するガイドラインですが、記事名の付け方のガイドラインではこれに加えて記事名独特の制限 (Jmsさんがおっしゃっているようなこと) がある、という感じです。で、表記ガイドでは、丸つきとか括弧つきとか、複数の文字の組み合わせとかで一文字になっているものは使わないよう推奨しています。 --Hatukanezumi 2010年1月30日 (土) 15:46 (UTC)
﹁略記号﹂について
Jmsさんに一度削除されてしまった略記号ですが、例示されている以外で記事名に使用されている合字として﹁℃﹂がありますね︵ナイロン100℃、℃-ute関連、ほかにあるかは確認していません︶。表記ガイドでは使用を認めていますが、基本的には使用すべきではない︵°Cとすべき︶文字だと思うのですが……。--KAWASAKI Hiroyuki 2010年5月4日 (火) 11:29 (UTC)
﹁略記号﹂が未定義なので話がややこしくなるのですが、﹁JIS X0208に定義されていない記号は使用しない﹂だと考えます。﹁℃﹂はJIS X0208の附属書4表7の単位記号にあるので使用可能、cm、︵株︶などはJIS X0208に定義されていないので使用しない、と解釈すれば明確です。ただし、少し問題もあるようで、検索では﹁℃﹂や﹁Å﹂は正しく扱われないようです。--アルビレオ 2010年5月5日 (水) 00:01 (UTC)
﹁略記号﹂というのは﹁省略記号﹂の意味だと理解しています。﹃編集者の組版ルール基礎知識﹄ISBN 4-88888-338-6 では、省略記号はまた商用記号として円記号、ドル記号、セント記号、ポンド記号、パーセント記号、パーミル記号が例示されています。﹁cm﹂は単位記号です。括弧株が省略記号はまた商用記号に該当するかどうかは疑問です。固有名の一部である場合にどうすべきかは個別事情に依存する (﹁ナイロン100℃﹂は摂氏温度を表す記号と同じ読みだが、﹁℃-ute﹂のマルは文字ではなく書体の一部だと考えないと意図されている様には読めない) 一方固有名以外で登場するとは考えにくいこと、また例示は既に指摘のある通り JIS X 0208 範囲外で既に除外されているので、当該条項は除去するのが適当だと思います。--Jms 2010年5月5日 (水) 01:52 (UTC)
表記ガイドの﹁略記号﹂という記載が不正確で見直しが必要、という認識でいいでしょうか。ノートの過去ログを﹁略記号﹂で検索したかぎりでは、今まで議論の対象にはなっていないようですね。
記事名に使用可能な文字ですが、とりあえず﹁℃﹂はやむを得ないとして、JIS X 0208に言及しているのはWP:NC#漢字を適切に使うことだけなので、WP:NC#全角と半角の使い分けで﹁略記号﹂の記述を除去し、記号に関しての項目として、
●波ダッシュを除き、︵←誤解を避ける目的だが、必要かどうか?︶JIS X 0208の範囲外のいわゆる︵←くどい?︶全角記号は、その記号自体の記事名以外には︵←すべてリダイレクトのはずなのでこの表記は不要?︶使用しない。
とすればいいでしょうか? --KAWASAKI Hiroyuki 2010年5月6日 (木) 15:00 (UTC)
こういう議論に参加するひとはJIS X 0208にどんな﹁文字﹂が収録されているか知っているので、﹁JIS X 0208の範囲﹂と書けば説明を尽くせていると考えがちなのだとおもいます。が、一般に編集者は﹁JIS X 0208に収録されているかどうか﹂を意識して文字を選択するわけじゃないとおもいます (たとえば、ローマ数字や丸付き数字がJIS X 0208に収録されているかどうかを、わかっていないと編集できないわけではない)。
説明のわかりやすさのためには、﹁略記号﹂﹁括弧付き文字﹂﹁丸付き英数字﹂﹁ローマ数字﹂﹁組文字﹂といったふうに具体的な文字種を想起できる言葉を列挙すべきで、ユニコードの収録範囲でみたときにそれらの説明にJIS X 0208収録外の文字が含まれるかどうかは気にしなくていいようにおもいます。
ちなみに、℃ (セルシウス度) とÅ (オングストローム記号) はSI単位 (ないしは併用単位) の﹁単位記号﹂としてJIS X 0208に収録されているので、上記の﹁略記号﹂にふくまれないのではないでしょうか。 --Hatukanezumi 2010年5月6日 (木) 16:17 (UTC)
﹁一般に編集者は﹃JIS X 0208に収録されているかどうか﹄を意識して文字を選択するわけじゃない﹂というのは真ですが、その一方で調べ物のためのウィキペディアなので、知らなければ調べるべきだという考え方もあるでしょう。とはいえ、具体的な文字種を列挙しただけでは調べない人はやっぱり調べないでしょうから、(文字種ごとに?) 利用者:Suisui/機種依存文字テストの如く具体的な文字を列挙ないし例示する方が現実的だと思います。これは全角と半角の使い分けの問題ではないので、位置をどうしたものか…。尚、JIS X 0208 への言及はWP:NC#漢字を適切に使うことの他にWikipedia:表記ガイド#項目名があります。WP:NC 内では使用可能な文字とでもしてWikipedia:表記ガイド#項目名を参照し、Wikipedia:表記ガイド#項目名側に前記列挙/例示を含めるという手もありましょう。--Jms 2010年5月6日 (木) 18:21 (UTC)
以前MediaWiki‐ノート:Common.js/記事名チェッカでやりました。具体的な文字の列挙ないし例示はMediaWiki‐ノート:Common.js/記事名チェッカ/仕様にあります。 --Hatukanezumi 2010年5月6日 (木) 22:11 (UTC)
それは、﹁文字種についてはMediaWiki‐ノート:Common.js/記事名チェッカ/仕様を参照させればよい﹂という主張でしょうか、それとも﹁記事名チェッカで実装すべき﹂という主張でしょうか。どちらでもないとは思うのですが、しかし、MediaWiki‐ノート:Common.js/記事名チェッカ/仕様は﹁﹃JIS X 0208に収録されているかどうか﹄を意識して文字を選択するわけじゃない﹂への回答にはならないのではないかとも思います。文字種の名称を示されて対応できる人 は JIS X 0208 と言われても基本的に対応できるでしょうし、仮にそうだとすると、その対偶は、 JIS X 0208 と言われて対応できない人は文字種の名称を示されても対応できない、です。﹁JIS X 0208の範囲﹂では十分に伝わらない編集者が想定対象ならば、使うべきでない文字種の名称ではなく、文字そのものを示す必要があると思います。--Jms 2010年5月6日 (木) 22:54 (UTC)
記事名チェッカに関して言えば、編集者への説明用にはHelp:記事名のチェックがありますね。[[/仕様に言及したのは、﹁具体的な文字の列挙を本気でやるとこうなるから、一般の編集者に参照してもらうのには向かない﹂と言いたかったのです。利用者に﹁仕様書を読んでから使え﹂と要求するソフトウェアなんて、ないでしょう。
それはともかく、Penn Stationさんの求めた﹁理由﹂は、上記のノートでの議論を読んでいただければ、得られるのではないでしょうか。いくつかのガイドラインや、MediaWiki実行上の技術的な理由で、記事名に使用できる文字の種類は制限されています。
あとついでに言っときますが、Penn Stationさんのもともとの提議は﹁当ガイドラインの説明が誤解を招いている﹂といったものではなかったです。当節の議論が、ガイドラインの文言を書きかえようという方向にすすむのには違和感があります。そこそこうまくいっているものをいじる必要はないと考えます。 --Hatukanezumi 2010年5月7日 (金) 12:06 (UTC)
Penn Station さんの書いたこと (1月末) と、KAWASAKI Hiroyuki さんの言及している今回の件 (5月頭) は、直接関係していないと考えています (その意味では、なぜ新規項目としなかったのかがよくわかりません) が、そこを共有できていないかもしれません。Penn Station さんの疑問に対して﹁記事名チェッカ/仕様﹂や関連ノートを参照という対応関係や、その意味で﹁具体的な文字の列挙を本気でやるとこうなるから、一般の編集者に参照してもらうのには向かない﹂というのはよくわかります。利用者:Suisui/機種依存文字テストを例に挙げたのは、今回追加された﹁略記号﹂箇所の意図がどこにあるのかわからないからです。--Jms 2010年5月7日 (金) 14:25 (UTC)
なるほど。節を分けてみました。 --Hatukanezumi 2010年5月7日 (金) 15:44 (UTC)
新規項目としなかったために誤解を招いてしまい、申しわけありません。
念のために説明しておくと、もともとは表記ガイドに基づく追加に対する﹁略記号﹂が記事名に使用されることはないのではとの指摘に関して、﹁略記号﹂が記事名に使用されうる例を示すのが目的でした。﹁℃﹂は除外するにしても、(有) 椎名百貨店やスターどっきり︵秘︶報告のように組み文字を使用したくなりそうなケースはあります︵コメディNo.1やプリズナーNo.6や100メートル競走に組み文字を使用しようとする人がいるかどうかは分かりませんが︶。今後も固有名詞の表記に組み文字が使用されるケースはあるでしょうから、公式の文字表記に関係なく組み文字は使用しない、ということを示しておくメリットはあると思います。 --KAWASAKI Hiroyuki 2010年5月15日 (土) 14:05 (UTC)
表記ガイドが排除していることは、Wikipedia:記事名の付け方冒頭の﹁その記事へのリンクを作成しやすいもの﹂要請で基本的に排除される (そうでないと余分なパイプが必要になるから) ので、固有名中の、JIS X 0208 の範囲にある組文字で表記ガイドが排除しているものは同様に排除されます。従って、組み文字について述べる必要はないでしょう。述べる必要があるとすれば、その対象者に理解してもらうためには直接的な例示レベルである必要があると思います。なお、元々の件は、リダイレクトが﹁表記ガイド﹂や﹁記事名の付け方﹂に厳密に従う必要があるかどうか、という問題です (その点は見落とされている様ですが)。正式な名称を使うことには﹁よく使われる略称、別名、別表記などは記事名に使うのではなく、正式な記事名へのリダイレクト︵転送︶ページにしましょう。﹂とあり、記事名として採用されなかった別表記、つまり、記事名の付け方に必ずしも合致しない別表記などはリダイレクトとして作成することを奨励しています。このことは、リダイレクトには記事名の付け方に従わないものもあるということですから、表記ガイドに対応した規程を記事名の付け方に追記しても、必ずしもそもそもの発端に対応したことにはならないのではないかと思っています。--Jms 2010年5月15日 (土) 17:21 (UTC)
コメント Jmsさんの意見前半に同感です。で、この節がローマ数字を含むリダイレクトを発端としていたことにはじめて気づきました。
かつて記事名の付け方のガイドラインでは、表記ガイドの用字基準が前提にあり、それに記事名特有の技術的制約がのっかる、という形だったようです。が、だんだん両ガイドラインの同期がとれなくなってきて、いまにいたるようです。つまり、前者では﹁用字については原則として表記ガイドにしたがう﹂という意図の記述がだんだんへっていって、用字基準がほとんどないことになってしまっています (このことは、同ガイドラインを過去の版と現在の版で読みくらべてみるとわかります)。
議論のうえで、﹁記事名の用字の原則は表記ガイドによる﹂という形にもどしたほうがいいとおもいます。基準がはっきりしないと、何度でもおなじような問題が蒸し返されますから。 --Hatukanezumi 2010年5月17日 (月) 13:17 (UTC)
日本の歴史人物名の漢字表記
●︻提案︼Wikipedia:記事名の付け方#一般的な指針#漢字を適切に使うことの4項目目に、﹁*日本の歴史人物名では常用漢字を用い、常用漢字がない場合は、正字を用いる。﹂を加える。
●︻要旨︼日本史学・日本文学研究などにおいて日本の歴史人物を表記する場合の慣例に従う。慣例として成立している証明は下に記す。
●︻想定される問題点-1︼存命人物が死んだ後、いつから歴史人物として扱うのか。
●︻想定される問題点-2︼上記慣例に従わない例外的な扱いを認めるのか。
︻明治時代から現在まで歴史人物名の表記の変遷︼
●A. 手書きと木版から活字印刷に移行することにより、正字体に統一する慣例が成立した。例えば、﹁渡邊﹂﹁渡邉﹂﹁(その他字体のワタナベ)﹂は正字体の﹁渡邊﹂に統一。﹁曾我﹂﹁曽我﹂は正字体の﹁曾我﹂に統一。例証として﹃新撰大人名辞書﹄︵平凡社、1937~1941年︶がある︵現在、﹃日本人名大辞典1~6﹄平凡社、1979年、として戦前のままの文字使いで復刻されている︶。
●B. 当用漢字の告示︵1946年︶から10年ほど経過した頃、現在の表記に移行した。日本歴史学会﹃日本歴史﹄を通覧すると、1953年末まで旧漢字のみ。1956年6月以降、当用漢字の全面使用となる︵その間、表紙や目次は旧漢字で、記事本文は当用漢字という過渡期があった︶。戦前版につづき戦後初めて編まれた﹃岩波講座 日本歴史﹄︵第二次、1962年~1966年︶は、その新慣例に従っている。人名辞典では、﹃日本人名大辞典 現代﹄︵平凡社、1979年︶が例示となる。この巻では1938年9月~1978年8月の物故者を新たに編纂し収録しており、ワタナベは﹁渡辺﹂︵当用漢字︶に統一し、ソガは﹁曾我﹂︵当用漢字のないものは正字体︶に統一している。﹃国史大辞典﹄︵吉川弘文館、1979年~1995年︶も同様である。
︻明治時代の存命人物は当時どのように活字表記されたのか︼
●現在、財務省印刷局刊﹃職員録﹄では、ワタナベは﹁渡辺﹂﹁渡邊﹂﹁渡邉﹂﹁渡︵邉の﹁八﹂の上が水平線で繋がった字体︶﹂の四種を区別している。ところが、明治時代の内閣印刷局刊﹃職員録﹄ではワタナベは﹁渡邊﹂に統一されている。旧華族にワタナベ家はつぎの6家ある︵﹃平成新修旧華族家系大成﹄霞会館、1996年︶。
(一)渡辺千秋宮内大臣---﹁渡邊伯爵家﹂
(二)渡辺国武大蔵大臣︵千秋の兄︶、渡辺千冬︵千秋の三男︶---﹁渡邊子爵家﹂
(三)渡辺昇会計検査院長---﹁渡︵邉の﹁八﹂の上が水平線で繋がった字体︶子爵家﹂
(四)﹁渡邊子爵家﹂旧諸公、和泉伯太、13000石余。
(五)﹁渡邊男爵家﹂旧名古屋藩家老。
(六)渡辺清元老院議官、渡辺汀海軍大佐・貴族院議員---﹁渡︵邉の﹁八﹂の上が水平線で繋がった字体︶男爵家﹂
●上の出典﹃平成新修旧華族家系大成﹄は、各家の子孫から回答を得た家名の漢字表記に依拠している。しかし、アジア歴史資料センターで、明治時代に本人たちが署名した文書を閲覧すると、子孫が﹁渡邊﹂だとしている渡辺千秋と渡辺国武が﹁渡邉﹂と署名しているものもあり、渡辺昇が﹁渡辺﹂と簡字体で署名している公文書も散見される。手書きでの表記にはかなりの揺らぎがあり、﹃職員録﹄など当時の活字印刷物に人名を収録する際に、正字体の﹁渡邊﹂に統一していた事情が存在していたことが判る。
●現在のウィキペディアで、﹁正式な表記だから﹂という理由で、正字体に項目名を改めようとする傾向が散見されるが、これは、活字印刷に際してやむなく正字体に統一していたものを﹁正式な表記﹂と誤解した上での編集だと言える。天皇が法令などを公布する際の﹁御署名原本﹂は、最上の公式な文書である。第一次桂太郎内閣の大蔵大臣﹁曾禰荒助﹂︵職員録の表記︶は、大臣副書に﹁曽禰荒助﹂と署名している。﹁曽﹂は常用漢字ではないので、現在も人名辞典は正字体の﹁曾禰荒助﹂で項目を立てているが、存命人物だった当時に用いていた公式な表記は﹁曽禰荒助﹂であった。
︻上記慣例に従わない例外的な扱いを認めるのか︼
●原則として認めるべきでないと考えます。福沢諭吉を福澤諭吉と表記するのは、組織としての慶應義塾とその卒業生などに見られる傾向です。山県有朋を山縣有朋と表記する場合があるのは、子孫が﹁財団法人山縣有朋記念館﹂を設立したことに影響されています。過去の人物に対して、あたかも存命人物に接するような近さで接したいという気持ちから旧字体表記を選択しているのでしょう。しかし、Wikipedia:中立的な観点から考えても、過去の時代の歴史的人物として扱う場合には﹁福沢諭吉﹂﹁山県有朋﹂と表記すべきです。研究的扱いの場合はそうなっています。
︻存命人物が死んだ後、いつから歴史人物として扱うのか︼
●死去後、3カ月~1年程度の後︵と決め︶、歴史人物に編集するというのが実務的には現実的かと思う。
存命中から歴史的人物としての統一的表記で扱うという実例さえ存在する。衆議院・参議院編﹃議会制度百年史 衆議院議員名鑑﹄﹃同 貴族院・参議院議員名鑑﹄(大蔵省印刷局、1990年)がある。例えば、ワタナベについて見ると、帝国議会時代の在職者は﹁渡邊﹂に統一し、帝国議会から国会時代を通じた在職者、並びに、国会時代のみの在職者は﹁渡辺﹂で統一している。ウィキペディアに項目ができる程度の著名性のある人物は、死後、その項目名の表記が歴史人物の通則に従うのは当然と考えていい。
︻この提案で改名することになる人名項目︼
●例えば、総理大臣経験者では、山縣有朋→山県有朋、若槻禮次郎→若槻礼次郎、濱口雄幸→浜口雄幸、東條英機→東条英機、小磯國昭→小磯国昭、宮澤喜一→宮沢喜一。
以上、提案とその説明でした。--rshiba 2010年2月28日 (日) 08:01 (UTC)
規定する位置としては、﹁漢字を適切に使うこと﹂よりも﹁人名﹂の﹁日本人﹂ないし必要に応じて﹁中国人、韓国人などで名前の表記が通常漢字である場合﹂の方が適切かと思います。﹁日本の歴史人物名﹂の範囲が明確ではない気がしますが、たとえば歌舞伎役者や落語家は含まれますか。含まないなら文化史を除外するなどの旨を書くべきだと思います。また、例外としてたとえば坂本龍馬の場合も﹁坂本竜馬﹂でしょうか、文献を調べた範囲では前者が少なからず使われている様ですが。--Jms 2010年2月28日 (日) 08:38 (UTC)
お答えします。
●学会の公的な場での共同の仕事では、原則通り﹁坂本竜馬﹂となっています。項目名﹁坂本竜馬﹂は、戦後に編纂された﹃明治維新人名辞典﹄︵吉川弘文館、1981年︶、﹃国史大辞典﹄︵吉川弘文館、1985年︶、﹃朝日日本歴史人物事典﹄︵朝日新聞社、1994年︶に共通です。﹃岩波講座日本歴史14近代1﹄︵1962年︶所収、池田敬正﹁幕府の東海と戊辰戦争﹂︵269頁︶も﹁坂本竜馬﹂としています。ところが、一人での著作だと、研究者といえどもファン心理を抑えがたいのでしょう。飛鳥井雅道﹃坂本龍馬﹄︵平凡社、1975年→講談社学術文庫︶、松浦玲﹃坂本龍馬﹄︵岩波親書1159、2008年11月︶は、原則を踏まえたうえでの﹁崩し﹂だと思います。老練な幕末史家が判った上でわざと旧字体を用いることで、叙述対象に対する親近感を匂わせている。︵なお、ここでは、2次情報・3次情報レベルの話ですので、1次情報の史料集のタイトルが﹃坂本龍馬関係文書﹄となっていることは別件です。また、龍馬ファンの方々が﹁龍馬会﹂を結成しているのも別の話です︶。
●落語家の代表として﹁三遊亭円朝﹂を調べると、﹁円朝﹂としているのは、﹃明治維新人名辞典﹄︵1981年︶、﹃国史大辞典6﹄︵1985年︶、﹃日本百科全書10﹄︵小学館、1986年︶、﹃朝日日本歴史人物辞典﹄︵1994年︶と軒並みです。CiNiiを検索すると、学会誌は﹁円朝﹂で、一般紙は﹁圓朝﹂という区分けが鮮明です。学会誌に、1~2割﹁圓朝﹂が混じっていますが、日本史学・日本文学研究に分野を限ると﹁円朝﹂で統一されていることがわかります。
●歌舞伎俳優の代表として﹁市川団十郎﹂を調べると、﹁団十郎﹂としているのは、﹃国史大辞典1﹄︵1979年︶、﹃明治維新人名辞典﹄︵1981年︶、﹃日本百科全書2﹄︵小学館、1985年︶、﹃朝日日本歴史人物辞典﹄︵1994年︶と、これまた軒並みです。一方、同様にCiNiiを検索すると、円朝の場合と同様に、学会誌は﹁団十郎﹂で、一般紙は﹁團十郎﹂という区分けが存在します。日本史・日本文学とは少し離れた書誌学系の論考に1点、﹁團十郎﹂を使ったものがあるのみです。
●学会的と一般社会的︵ないしファン的︶の間に、文字の使い方についてこれだけの慣例の落差が存在する場合、どう考えたらいいのでしょうか。ウィキペディアの社会的位置づけについてどう考えるかによって、判断が分かれます。︵卒業論文を指導する教員が、﹁学術論文の地の文では歴史人名は常用漢字がある場合は常用漢字で、ない場合には正字体で書くのだ﹂と、繰り返し学生を指導している様が思い浮かんできます。学生は、一般のファン向けの図書や雑誌に旧字体で出てくるのがふつうな人名を論文ではどうして常用漢字で書かねばならないのか不信に思う。殊に、一部の常用漢字体のない文字を正字体で書いているために、正字体を使うのが正式なような気になっているからなおさら︶。
●わたくしとしては、これらの分野を含めて一括日本の歴史人物名全体とした方がいいと考えます。規定のどこに加えるかについては、アドバイスに従います。--rshiba 2010年2月28日 (日) 10:13 (UTC)
対象分野を限定するかどうかはさておき、対象が歴史人名だけとなると、歌舞伎役者や落語家については、当代については﹁圓朝﹂﹁團十郎﹂だが物故者は﹁円朝﹂﹁団十郎﹂となりましょう。これでは百科事典として使いにくいと思います。どちらかに統一しておく方が良いのではないでしょうか。分野や執筆者層によってはどちらをとるか議論が紛糾する場合もあろうかと予想しますが、まとまらなければ、何代目というのは名跡であって人名ではない、というやりかたもあるかもしれません。--Jms 2010年2月28日 (日) 10:29 (UTC)
挙げられた例は専門性の強い日本史学・日本文学研究のものであって、より一般性が求められると思われる百科事典のそれではないので、百科事典の凡例が示されれば判断がつけやすいかと。 --Kurz 2010年2月28日 (日) 10:40 (UTC)
刊本の小学館﹃日本百科全書﹄は先に列記したなかにありました。また、パソコンの中に、平凡社﹃世界大百科辞典﹄第2版があります。ともに、﹁市川団十郎﹂﹁三遊亭円朝﹂﹁曾我﹂﹁渡辺﹂﹁坂本竜馬﹂で見出しとしています。小学館﹃日本国語大辞典2版﹄も見ました。国語辞典ですので坂本竜馬の項目はなく、他の4項目は同様の表記です。--rshiba 2010年2月28日 (日) 10:53 (UTC)
私が希望したのは事例でなくて凡例、つまり表記の方針ですね。私の知る限り正字体周りの問題は、関心を持つ方が多い一方で議論がわかりにくいためにまとまりにくいので、論理展開したり事例から帰納したりするよりか、既存の百科事典の方針を参考にするとしたほうが納得されやすく、方針として安定的かなと。--Kurz 2010年3月1日 (月) 10:07 (UTC)
手元にある一種類だけ示します。小学館刊﹃日本大百科全書1﹄︵1984年︶冒頭の﹁凡例﹂は、﹁項目の示し方﹂﹁項目の並べ方﹂﹁本文について﹂﹁年代の表記﹂﹁外国語の表記と転写﹂﹁参考図書︵文献︶﹂の6項目からなる。漢字表記については、第一項﹁項目の示し方﹂に﹁(3) 日本人名は漢字で姓名を記し、その下に読み方をひらがなで示し、生没年︵生年-没年︶を西暦で記入した。ただし、近代以前の俳人、画家などで、名または号だけが一般に使用されているものは、姓を省略した。僧は法名で示し、禅僧に限りおおむね号と名で示した。﹂とあり、また、第三項﹁本文について﹂に﹁(6) 漢字の表記は原則として﹁常用漢字表﹂︵昭和五六年内閣告示︶に準拠した。固有名詞、歴史的用語、専門用語および慣用語などでひらがな書きでは読みにくいもの、理解しにくいものは例外とし、本文の初出のところで読みがな︵ルビ︶をつけた。学術用語は原則として文部省の﹃学術用語集﹄に準拠した。﹂とある。他はあす図書館で調べてからにします。--rshiba 2010年3月1日 (月) 11:03 (UTC)
ありがとうございます。私も以前にそのあたりを確認したことがありますが、おおよそ同様の方法を採っていたと記憶しています。一般的に表記の基準はそれほど精密に定められていないことを考えると、このように大枠を定めてあとは個別の判断に委ねるほうがベターなのかなと感じます。--Kurz 2010年3月1日 (月) 12:08 (UTC)
wikt:Wiktionary:人名用漢字の一覧によると、1951年に人名用漢字として﹁龍﹂が指定され、1981年に常用漢字に﹁竜﹂が追加され、﹁龍﹂は人名用漢字から削除された︵許容字体表に追加された︶とあります。日本史学の分野では1981年以前から﹁竜馬﹂の表記が用いられていたのでしょうか。あと、現在、たとえば橋本龍太郎なども書き換えられているのでしょうか。
名跡については、当用漢字︵または1949年の字体表︶告示前に引退している場合は当用・常用漢字体に書き換え、以後もあえて表外字を使用している場合は書き換えない、というのはどうでしょうか。代ごとの表記が一致しないという問題点はありますが、もともとありえないことではないので︵実際に亭号以外の表記が違うケースがあるかどうかは確認していませんが︶、無理に避ける必要はないと思います。名跡自体の記事名は当代または先代の正式表記、ただし先代が告示前に引退している場合は書き換える、ということでいいと思います。名跡に限らず、人名以外の固有名詞全般に適用可能だと思うのですが、どうでしょうか。--KAWASAKI Hiroyuki 2010年2月28日 (日) 17:37 (UTC)
さすがにそれは複雑過ぎ、行き過ぎた正式名称優先主義に似たものを感じます。その一方で、﹁学会がこうだから﹂というのも、没後一定期間で記事改名とまでなると、何が﹁正式名称﹂かという基準の違いだけでやはり行き過ぎた正式名称優先主義と言えなくもないでしょう。日本史学・日本文学研究などでの慣例がなぜそうなっているのかというのがわかると良いのですが、現時点で示されているBからすると漢字制限政策との関係を無視できず、統合基準が正字体から当用漢字に置き換わっただけに思えます。それに加えて当用漢字が廃され常用漢字となっている現状、さらに常用漢字では固有名詞が対象から除外されていることもあわせて考慮すると、﹁学会の慣例だから常用漢字﹂という論自体の説得力は弱いと思います。今回の提案を採用しないとこういう点で困るという積極的理由があれば、正式名称主義のバリエーションとは一線を画せると思うのですが、そうした積極的理由はありましょうか。当代と先代以前とで表記が異なるのは使いにくいと書いておいてこういうことを述べるのもどうかと自分でも思いますが、ウィキペディアは紙媒体の辞典類と異なりリダイレクトの利用が容易ですから、見出し語の揺らぎに対する耐性は既存の辞典類に比べ高いでしょう。その意味では統一されていなくとも構わないとさえ言えるかもしれません。なお、常用漢字を基準として持ち出すとそれだけで話がまとまらないかもしれないので、簡体字を別としてCJK統合漢字の正規化コードポイントに対応する文字を基準とする、とする手はあると思います。この場合でも、なぜ統一する必要があるのか、その積極的理由の提示が必要だという点では変わりはありません。--Jms 2010年2月28日 (日) 20:46 (UTC)
一言でいうと、歴史上の人物について、なにが正式な表記であるかをその存命時代に遡って調査しても決めることは実務的に不可能だからです。明治時代に活字印刷で歴史叙述の出版が始まる時点で﹁正字体に統一﹂というその当時の現代人による標準化が始まり、この﹁正字体に統一﹂という基準は現在まで存続している。戦後、その上に﹁但し、当用漢字のあるものは当用漢字に統一﹂という但し書きが付加された。︵Dosの上に、Win3.1が乗っているようなもの︶。
(1) 不可能なものを可能だと信じて﹁正式な表記﹂を追い求める編集による混乱防止
(2) 過去における標準化の結果を﹁正式な表記﹂と誤認することの防止
従来の紙の辞典だと、朝日新聞社や平凡社がやったように﹃歴史人物辞典﹄と﹃現代人物辞典﹄を別冊にすることが可能だったが、ウィキペディアではシームレスにつながっている分だけ、接続部分の断層が顕在化することになったのでしょう。--rshiba 2010年3月1日 (月) 03:04 (UTC)
﹁なにが正式な表記であるかをその存命時代に遡って調査しても決めることは実務的に不可能﹂というのは実に説得力のあるポイントなのですが、そこから﹁常用漢字﹂というのが合意形成という点で難しいところで、﹁正字体に統一﹂ないし﹁CJK 統合漢字の正規形に従う﹂という方が、まだ漢字政策アレルギーを惹起しないだけ良いのではないかと思います (結果はほぼ同様になると期待しつつ)。統一した表記として何を用いるかはさておき、﹁正式な表記﹂の追求が現実的でないので何らかの基準をエイヤっと採用してしまう、という部分についてまず総論での合意をとるのが現実的ではないでしょうか。﹃歴史人物辞典﹄と﹃現代人物辞典﹄を別冊にすることが可能だったが云々というのは、物理的実体すなわち書籍として分離されているか、時間的に分離されている (没後これこれの期間で云々) という違いでしかないと思います。別の言い方をすれば、改訂頻度の問題に帰着するのではないかと思います。--Jms 2010年3月1日 (月) 10:40 (UTC)
ウィキペディア外と同じ方式の標準化でなくとも構わないという点に同意します。印刷媒体の世界から﹁ウィキペディアは別の世界だ﹂と思われていようが、何らかの安定した標準化の基準が存在すればいい。﹁CJK 統合漢字の正規形に従う﹂とは、どの辺を読めば、理解しイメージできますか。--rshiba 2010年3月1日 (月) 11:29 (UTC)
CJK 統合漢字の正規形に関する具体的な話は、Unicode standard の、特に漢字に関するモデルの節をお読みいただくのが適切だと思います。一般論としてはUnicode正規化あたりでしょうか。--Jms 2010年3月1日 (月) 11:43 (UTC)
コメント 一言だけ。Unicodeの漢字での正規形は字形の参考になりません。採字元の各ナショナルボディが参照している規格相互と整合させるために複数の字形を包摂するいっぽうで、特定の規格では包摂すべき字形を他の規格に従って分離している場合もあります。またこのようなUnicodeでの字形異体の標準としては現在IVDを参照すべきとされており、正規形でない互換漢字はもはや使用を推奨されない (このこと自体は異体字セレクタに十分対応できていないメディアウィキなどにとってはたいへん困ることですが) ため、正規形の代表的例示字形が字形の規範あるいは参考となることはありません。そもそも、字形の包摂規準などは採字元の規格ごとに異なるのですから、コンピュータ上で字形を正確に同定できるUnicodeの文字の範囲は一般にその使用する言語の (あるいは地域で準拠する) 規格の範囲に限られると考えるべきです。たとえば日本での日本語の文脈であればたいていはJIS X 0213:2004がそれに相当するでしょう。要するになにが言いたいかというと、この場では文字コードの話をしているのではないということです。長い一言ですみません。 --Hatukanezumi 2010年3月8日 (月) 07:55 (UTC)
情報 長々と演説だけして去るのは気が咎めるので文献紹介。符号化文字集合に関連して正字原理主義 (は言い過ぎか) に距離を置く論考として、次のものは読まれたほうがよいとおもいます。
●小形克宏﹁印刷文字から符号化文字へ﹂﹃活字印刷の文化史﹄勉誠出版、2009年、pp. 365-492頁。ISBN978-4-585-03218-2。
ごぶれいしました。 --Hatukanezumi 2010年3月8日 (月) 08:18 (UTC)
Unicode の統合 CJK における正規形が字形の参考になる、などと誰か言っているのですか。Unicode standard を読んでいればそういう発想は出てこない (互換性のためのなんだかなぁは別として) 筈ですが。この場で文字コードの話をしているのではないのは当然のことです。参照しているのは Unicode の文字モデルであって、そこでの正規形なら当用漢字/常用漢字に対する反感とは無縁であり得るかもしれない、というだけのことです。--Jms 2010年3月8日 (月) 11:17 (UTC)
KAWASAKI Hiroyukiさんへ。﹁坂本竜馬﹂の初出は、塩見薫﹁坂本竜馬の元治元年﹂︵日本歴史108、1957年6月︶です。先に例示した通り、第二次﹃岩波講座日本歴史﹄も﹁竜馬﹂でした。CiNiiでの﹁坂本龍馬﹂の初出は、関家新助﹁﹃藩論﹄と坂本龍馬﹂(社會事業の諸問題 : 日本社會事業短期大學研究紀要22、1975年)です。二つ目は、大谷恵弥子﹁坂本龍馬の書簡について﹂︵大正史学24、1995年︶です。﹁橋本龍太郎﹂は、文部科学省検定高等学校日本史教科書に載るときには、﹁橋本竜太郎﹂と表記されるはずです︵後ほど事実確認して加筆します。下の方に記したように﹃もういちど読む 山川日本史﹄に﹁龍太郎﹂を確認--rshiba 2010年3月9日 (火) 02:31 (UTC)︶。当然歴史上の人物として論文や研究書に登場する際には﹁橋本竜太郎﹂と表記されると理解します。なお、﹃月刊自由民主﹄﹃日本医師会雑誌﹄などは存命時代に﹁橋本竜太郎﹂と表記しています。﹃職員録﹄は﹁橋本龍太郎﹂。--rshiba 2010年3月1日 (月) 03:26 (UTC)
梅田の旭屋書店本店では﹁現在、学校配布期間なので、4月下旬にならないと教科書は入荷しない﹂とのことでした。--rshiba 2010年3月1日 (月) 06:48 (UTC)
遅くなりましたが、ご教示、どうもありがとうございます。
議論の本筋からずれるかもしれませんが、いろいろと示していただいている例から考えると、固有名詞の字体︵場合によっては字形も︶の相違を問題視するのは基本的に当用漢字字体表の告示後の現象のように思えてくるのですが、どうなのでしょうか。だとすれば、それ以前は署名の字体はデザインとしか意識されていなかったということになり、署名の字体をもって正式な表記とするのは無理があるように思います。それを︵特にワープロの普及後?︶やたらと区別するようになってしまったので話がややこしくなっているような……。--KAWASAKI Hiroyuki 2010年3月8日 (月) 16:02 (UTC)
︵インデント戻し、異議︶全ての日本人ならともかく、歴史人物のみというのはWikipedia:中立的な観点に反するのではないでしょうか。適用するなら歴史人物ではない現存の人物にも適用すべきでしょう︵例‥長澤まさみ→長沢まさみ、國府田マリ子→国府田マリ子︶。また人名用漢字の場合はどうすればいいのでしょうか︵例‥高坂正堯と高坂正尭、小尾信彌と小尾信弥…但し高坂先生は歴史人物、小尾先生は存命人物です︶。--コバルトブルーとターコイズブルー 2010年3月1日 (月) 04:23 (UTC)
CiNiiの﹁論文名﹂に両者の名を入れて検索した結果では、存命人物の間は人名用漢字を用いた表記を行い、死後は、人名用漢字を用いない歴史人物としての表記に移行していく、という慣例になっているようです。移行に何年かかるのかは、当該人物の活躍した分野によって時間の長短があると予想されます。存命人物中曽根康弘は、すでに、歴史人物中曾根康弘としても扱われています。--rshiba 2010年3月1日 (月) 07:43 (UTC)
︵インデント戻し︶rshibaさんは人名表記で発生するトラブルを誇大に考えておられるような気がします。項目名に関して正式名称に拘る極端な意見が出てもノートで話し合って処理すればいいだけです。妥当なら採用され、妥当でなければ拒否されます。見たところだいたいそれで処理されており、その発生数も極端に多くはないと思います。逆にrshibaさんの提案を実施した場合に、多くの利用者たちから違和感が持たれより大きなトラブルが起こることを危惧します。端的な例が坂本龍馬で、今時、﹁竜馬﹂なんて表記している本はないです。なまじ、司馬遼太郎の﹁竜馬がゆく﹂が有名なだけに、﹁竜馬﹂ではなく﹁龍馬﹂であると拘る人が多いのです。要は項目名なんて、文字化けしない文字であればよく、その時、その時に世間で一般的に使われている名称を使えばいいだけだと思います。
Wikipediaはrshibaさんが属されておられる、アカデミックの世界ではなく、それからほど遠い、不特定多数が何の資格もなく誰でも参加できる世界です。統一的な規範を設けても、正常に機能できません。なぜアカデミックではないかと言うと、私が今手がけている坂本龍馬の項目にはフリーメイソン陰謀説に基づく記述が本文中に紛れ込み、それが2年近く放置されていたのです。これと大同小異のことを他の項目の加筆の際にも見つけており、翻訳した英語版にもかなり怪しげな記述が多々あります。こんなもの学問でも仕事でも使えません。こんな世界ですからかなりアバウトに接された方がいいと思います。規範がアバウトだとトラブルは起きますが、トラブルはその都度処理すればいいだけです。そんな訳ですので、﹁坂本龍馬﹂を﹁坂本竜馬﹂にすることは反対しておきます。--野島崎沖 2010年3月1日 (月) 10:53 (UTC)
野島崎沖さん。告知タグを坂本龍馬に貼りに行ったのは、ここでの私の主張がそのまま通るなどということが起こらないように、コメントをどなたかに頂きたかったからです。Category‐ノート:大使#下位項目の改名提案がだれの反対もなく通ってしまって却って困ったという経験を教訓にしています。--rshiba 2010年3月1日 (月) 11:51 (UTC)
●難しい問題ですね。一律に新字体に改めるのは良くないかと。例えば山縣有朋の場合は御子孫は現在でも﹁山縣﹂姓ですし。また新字体に改めた家とそうでない家がありますしね。ただし現在では全く使用されなくなった旧字体については新字体に改めてよいと思います。--118.243.237.148 2010年3月2日 (火) 14:54 (UTC)
コメント百科事典の凡例を調べてきましたので、上でrshibaさんの示したものと含め、以下に示します。
●﹁漢字は、常用漢字表・人名漢字表に掲げられたものは一般にその字体を用い、それ以外は慣用のあるものを除いて正字ないしは通用の字体を用いた。﹂︵﹃世界大百科事典﹄︶
●﹁漢字の字体は、常用漢字ならびに人名用漢字はいわゆる新字体を、他は広く通用している字体を採用した。﹂︵広辞苑︶
●﹁(6) 漢字の表記は原則として﹁常用漢字表﹂︵昭和五六年内閣告示︶に準拠した。固有名詞、歴史的用語、専門用語および慣用語などでひらがな書きでは読みにくいもの、理解しにくいものは例外とし、本文の初出のところで読みがな︵ルビ︶をつけた。学術用語は原則として文部省の﹃学術用語集﹄に準拠した。﹂︵﹃日本大百科全書1﹄小学館、1984年︶
以上参考までに。--Kurz 2010年3月6日 (土) 12:34 (UTC)
﹃もういちど読む 山川日本史﹄︵五味文彦・鳥海康=編、山川出版社、2009年8月、ISBN 978-4-634-59064-9︶を見ると、政党・政派の変遷に総理大臣名があり、﹁中曽根康弘﹂﹁宮沢喜一﹂﹁橋本龍太郎﹂と記されています。﹁曽﹂と﹁龍﹂は人名漢字。﹁澤﹂は正字体。﹃広辞苑﹄と同じ原則を適用していると推測されます。4月下旬以降、梅田の旭屋本店、神保町の三省堂本店において2010年度版の教科書を確かめてみます。この原則だと﹁坂本龍馬﹂となるはずですが、前記﹃山川日本史﹄には名前が出ていません。--rshiba 2010年3月8日 (月) 07:08 (UTC)
●戦前の人物は必ず旧字体なので一律に新字体に改めて良いと思います。戦後の人物は戸籍名で良いかと。--118.243.237.148 2010年3月8日 (月) 13:57 (UTC)
私は大学を卒業する時にある国家試験を受験しましたが、戸籍抄本を願書に添付したところ、姓の文字が願書と戸籍で違うと言われました。当用漢字内の文字ですし、正字だ略字だというほどの難しい字ではありません。以前は戸籍は手書きです。誰が書いたかというと、両親が婚姻の届けをした時に書き写した市役所の職員です。父ではありません。その職員がどんな字体で書いたかが﹁戸籍の文字﹂です。そんなものに左右されたくありません。速攻で俗字から正字への改正手続きをしました。ちなみに祖父の戸籍は筆で綺麗な楷書で正字を書いてありました。同じ字が姓に含まれる友人3人にたずねたところ、2人が手書きで同じ俗字体、残る1人は漢字タイプライターによる正字体でした。今になって考えると、行書体を楷書っぽく書いた字体でしたから、手書きしやすかったのでしょう。その後まもなく戸籍が電子化され、私の本籍地の市では常用漢字は自動的に字体を改正することになりました。ところが私が結婚して後、妻の父の戸籍名を見る機会がありましたが、電子化されているにもかかわらず、俗字体の文字をわざわざ作ってありました。小学1年生で習う5画の字です。人の一生のうち、戸籍が改製されることは何回かあります。そのうちどこかの時点で自分が知らないうちに文字が替わっていたりもします。当用漢字時代より前に生まれた人物の戸籍なら、書いた役場職員のクセで字体が違うことなどザラでしょう。だから同じ家系のワタナベさんでも戸籍の字が違うなど驚くに値しないことだと思います。何が言いたいかというと、ごく簡単な文字でさえ﹁戸籍の文字﹂は信用できないということです。署名はデザインですし、活字は欲しい字体がなくてしかたなく代用しているかもしれないし、故人に﹁あなたの名前はどの文字で書くのが正しいか﹂と聞くわけにもいかない。人名に﹁正しい文字﹂を追求するのは不可能だと思います。
だったら、﹁どの字体が正しいか﹂ではなく、﹁どういう方針で字体を選ぶか﹂ということだと思います。常用漢字を基準にしても良いし、康煕字典を基準にしても良いし、常用漢字以外も常用漢字に準じた略字体を用いるという選択肢もありますし、文字コードの範囲だけ基準を決めて字体は決めないという方法もあります。公文書でも検定教科書でも学術論文でもないのだから、どれでも良いと思います。--60.40.218.55 2010年3月9日 (火) 03:35 (UTC)
言葉足らずでした。必ずしも戸籍名をという訳ではなく、やはり正式名称の方が良いのではと言いたかったのです。沢と澤等の様に現在でも両方通用する漢字が沢山あります。一律に変更すべきではないと思います。--118.243.237.148 2010年3月9日 (火) 16:20 (UTC)
当初の提案者です。上記の応答のなかで、私自身当初の意見を変更していますので、冒頭の文章はそのまま現在も維持されているわけではないことをご理解ください。最終的には個々の項目のノートで、漢字の使い方について意見交換し合意を得ることになるのだろうとも承知しています。ただ、この場で﹁記事名の付け方﹂として一括意見交換し、コンセンサスを得られる範囲はあるのではないかとも考えています。そこで、日本の歴史上の人物の項目名の漢字表記について、︻なにが正式な表記であるかをその存命時代に遡って調査しても決めることは実務的に不可能︼という私見について、皆様のご意見を伺いたい。これについて、疑問、反対、賛成などはどうでしょうか?
なお、つぎの質問として念頭にあるのは、︻存命人物についてはなにが正式な漢字表記であるのかを調査し決めることは可能か︼です。これについては、本人が希望し、あるいは、本人が容認している表記を確かめることは可能という答えになりそうです。だとすると、そのつぎの質問は、存命人物と歴史上の人物の境目はどこになり、どう接続させるのかです。これは、その人物の属した分野ごとに事情が違うでしょうから、個々の項目ごと、あるいは、プロジェクトごとに合意を得るほかはないということになりそうです。こうしたつぎに続く質問へのスタート地点として、歴史上の人物名の漢字表記は︻なにが正式な表記であるかをその存命時代に遡って調査しても決めることは実務的に不可能︼という把握でよろしいでしょうか。--rshiba 2010年3月15日 (月) 07:05 (UTC)
不可能な場合と可能な場合もあると思います。--118.243.86.74 2010年3月15日 (月) 14:45 (UTC)
﹁可能な場合﹂とは、例えばどのような場合でしょうか。--rshiba 2010年3月21日 (日) 06:23 (UTC)
︵インデントを一段戻します︶︵コメント︶字体を一つに決めにくいから、共通の基準を定めよう、という提案趣旨はわかります。しかし、﹁歴史上の人物﹂という分類は避けたほうが賢明かと思います。提案者さんも述べていますが、﹁歴史上の人物﹂とするかどうかの境目を一義的に定めることは難しいです。また、この分類による場合、ある日突然﹁歴史上の人物﹂扱いとなったから字体が変わる、ということが起こりえますが、そうした変更は、︵﹁没後十年﹂のような明確な基準が無い限りは︶説得力に乏しいです。
>“歴史上の人物名の漢字表記は︻なにが正式な表記であるかをその存命時代に遡って調査しても決めることは実務的に不可能︼という把握でよろしいでしょうか。”
前提条件が省略されていますが、﹁人物の名前に含まれる漢字に、字体が複数存在する﹂ことが前提ですよね?
どの字体で書くのが正式、と見定めることは難しい場合が多いだろうと私も思います。︵可能な場合としては、当該漢字について一般によく知られている字体が一つだけだった/その人物名ではほとんど特定の一字体が用いられていた、が考えられます。︶
また、本ガイドライン中﹁正式な名称を使うこと﹂は名称自体に関するもので、用いる漢字に関しては﹁正式な﹂という条件は無いですよね。じつは私、記事﹁濱口雄幸﹂のタグから本件議論にたどり着いたのですが、この人物の記事を検索する際、﹁濱﹂は想起せずに﹁浜口雄幸﹂と入力し、結果リダイレクトで転送されました。でも、仮に特定の一字体︵﹁濱﹂︶を用いるのが正式表記であるとしたところで、それを知ることが読者にとって特段利益になるわけではなく、また、より一般的な字体︵﹁浜﹂︶をウィキペディアが採用することが当該人物︵濱口雄幸︶の名誉や関係者の利益を害する可能性も低い、と私は思います。
>“﹁曽﹂と﹁龍﹂は人名漢字。﹁澤﹂は正字体。”
>“4月下旬以降、梅田の旭屋本店、神保町の三省堂本店において2010年度版の教科書を確かめてみます。この原則だと﹁坂本龍馬﹂となるはずですが、前記﹃山川日本史﹄には名前が出ていません。”
その山川出版社が2004年3月に発行した教科書﹃詳説日本史﹄︵2002年検定済、日B001︶が手元にありましたので、調べてみました。凡例には漢字の表記に関する基準は見当たりませんでした。そこで、上で例挙された人物名の表記における、字体が複数存在する漢字︵下で太字︶の使用字体を確認しました。
ご承知のように人名用漢字はどんどん増えています。下で︻範疇︼を︻人名用(2004)︼とした字体は、この教科書が発行された時点では人名用漢字に含まれていなかったようです。︵その︻範疇︼の判定には新旧二機種の電子辞書を使用︶。
字体A︻範疇︼︵比較字体︶/字体B︵この教科書の使用字体︶︻範疇︼.
市川團十郎 (初代)︻人名用(2004)︼/市川団十郎 (初代)︻常用︼.
市川團十郎 (9代目)︻人名用(2004)︼/市川団十郎 (9代目) ︻常用︼.
小磯國昭︻人名用(2004)︼/小磯国昭︻常用︼.
坂本龍馬︻人名用(2004)︼/坂本竜馬︻常用︼.
東條英機︻人名用(2004)︼/東条英機︻常用︼.
中曾根康弘︻人名用(2004)︼/中曽根康弘︻人名用(2004)︼.
橋本竜太郎︻常用︼/橋本龍太郎︻人名用(2004)︼.
濱口雄幸︻表外︼/浜口雄幸︻常用︼.
福澤諭吉︻表外︼/福沢諭吉︻常用︼.
宮澤喜一︻表外︼/宮沢喜一︻常用︼.
山縣有朋︻人名用(2004)︼/山県有朋︻常用︼.
若槻禮次郎︻人名用(2004)︼/若槻礼次郎︻常用︼.
参考までに‥前出した“曽”はかつて人名用漢字に含まれていませんでしたが、2003︵平成15︶年12月25日の最高裁判所決定を受けて、翌2004年2月に追加されました。この決定を一つの契機として、同月に法務大臣が法制審議会に人名用漢字拡大について諮問、それが同年9月の大幅拡大につながりました。
>“﹁日本の歴史人物名では常用漢字を用い、常用漢字がない場合は、正字を用いる。﹂を加える。”
>“日本史学・日本文学研究などにおいて日本の歴史人物を表記する場合の慣例に従う。慣例として成立している証明は下に記す。”
常用漢字表は、記事名の人物名表記における字体の標準として妥当かとは思います。ただ、同表は本来は、︵前書きにも“科学,技術,芸術その他の各種専門分野や個々人の表記にまで及ぼそうとするものではない。”“固有名詞を対象とするものではない。”などとあるように、︶強力な規範としての広範な利用は想定していません。ところで、証左として挙がっている資料は、大半が当用漢字表の時代のものですね。これでは、ご指摘の分野で﹁常用漢字表を字体の標準とする慣例がある﹂とは言えないです。仮にあるとしてそれは、規範性が強かった当用漢字表を標準としていた慣例を、引き継いだものかもしれませんよ。
ここで、ここまでの議論をざっと読んで、論点を並べてみます︵拾い忘れたら御免︶。
字体の標準とするデータベースは、常用漢字表だけか、人名用漢字の表も含むか、それら以外か。
︵芸能人を含む︶現存人物にも適用すべきかどうか。
︵名跡などの︶代の間での不統一にどう対処するか。
﹁歴史上の人物﹂という分類は妥当か、用いるならその分類基準をどうするか。
--Dumpty-Humpty 2010年3月26日 (金) 22:56 (UTC) -- 下線部を補記。2010年3月26日 (金) 23:12 (UTC)
最初の頃とは意見が変わりつつある当初の提案者です。Dumpty-Humptyのご発言を読みつつ気づいたことが二つあります。第一に﹁あれ﹂と思ったのは﹁本ガイドライン中﹁正式な名称を使うこと﹂は名称自体に関するもので、用いる漢字に関しては﹁正式な﹂という条件は無いですよね﹂という部分です。人名表記に用いる漢字について正式ながそもそもガイドラインの定義外であるとすると、事態はずいぶんと単純になります。第二は、紙ベースの人名辞典等は、人名用漢字の増大以降発行されたものがあまりなく︵あるかも知れないけど気づかず︶、Wikiepediaが最初にそうした事態への対応を考えねばならない位置に置かれているらしいということ。文部省検定教科書が紙ベースのものとしては同時代的に同じ課題に直面しつつある。こんなことでしょうか。--rshiba 2010年3月28日 (日) 05:01 (UTC)
記事名の技術的制限 - 斜字
記事名によく上文字、下文字、斜字などが入った項目を作成している者ですが、斜字も適用できるようにはできませんでしょうか?ja版での{{記事名の制約}}では反映されない状況です。ただし、en版ではTemplate:Italic titleを使うことで可能のようです︵en:Nature (journal)︶。--akane700 2010年5月7日 (金) 05:03 (UTC)
曖昧さ回避の括弧に関する変更提案
Wikipedia‐ノート:曖昧さ回避#曖昧さ回避の括弧を末尾に限定する提案でも提案しましたが、Wikipedia:記事名の付け方に関しても一部変更が必要だと思いますのでこちらでも提案します。提案内容は
(一)#全角と半角の使い分けの﹁記事名の後に半角のスペースを入れ、﹂を﹁記事名の末尾に半角のスペースを入れ、﹂に変更する。
(二)#団体名の﹁半角括弧による曖昧さ回避を用いる。﹂を﹁記事名の末尾に半角括弧を用いた曖昧さ回避を付加する。﹂に変更する。
の2点です。理由は﹁Wikipedia:曖昧さ回避やWikipedia:記事名の付け方において末尾以外の曖昧さ回避の括弧は想定されていないが、現実には曖昧さ回避の括弧が末尾以外にある記事が多数存在し、それを明確に規制するため﹂です。こちらも、1か月間の余裕を見て変更することにします。--59.190.189.128 2010年7月6日 (火) 06:21 (UTC)
1. については項目名と記事名の区別 (項目名に﹁ (○○)﹂は含まれないが記事名には含まれる) が曖昧になりかねないので反対します。2. については﹁半角括弧による曖昧さ回避﹂が項目名に後置されたものの意味なのでそもそも不要な変更であり、反対します。--Jms 2010年7月6日 (火) 09:58 (UTC)
﹁項目名と記事名の区別が曖昧になりかねない﹂ということは、﹁項目名﹂と﹁記事名﹂は区別されると考えておられるようですが、Wikipedia:ウィキペディア用語集#か行には﹁記事﹂の項に﹁項目とも言う。﹂と記載されています。ほかの文書にも﹁項目名﹂と﹁記事名﹂を別の概念として説明しているものは見つけられませんでした。﹁項目名﹂と﹁記事名﹂の違いを理由に本提案に反対されるのであれば、﹁項目名﹂と﹁記事名﹂は違うものであるということについての出典をお願いいたします。--59.190.189.128 2010年7月8日 (木) 08:24 (UTC) typo修正--59.190.189.128 2010年7月8日 (木) 08:25 (UTC)
項目名と記事名という書き分けが厳密に行われてはいないというのは事実ですが、Wikipedia:曖昧さ回避#曖昧さ回避後の項目名では
﹁項目名 (分野)﹂のように、項目名の後に半角括弧で分野や分類を表す語を付け加えます。
としており、この表現では﹁ (○○)﹂部分は項目名には含まれない、ということが明確です。では﹁項目名 (分野)﹂という全体 (これは、ウィキペディアの記事なりページなりの名前ではあるわけです) を何と呼べば良いか、となると、記事名とでも呼ぶしかないでしょう。--Jms 2010年7月8日 (木) 11:50 (UTC)
﹁項目名﹂と﹁記事名﹂についてのコメントです。そもそもの提案についてのコメントではありません。
ページの名前としては、﹁ページ名﹂が使えます。(例 Help:ページ名) また、Wikipedia:ページの改名#その他には﹁3. Wikipedia:改名提案を経ていて、項目名に曖昧さ回避のための括弧書きを含むもの。﹂とあり、ここでは﹁ (○○)﹂部分が明確に項目名に含まれるとされています。
むしろWikipedia:曖昧さ回避#曖昧さ回避後の項目名は、﹃項目名﹁hogehoge﹂の記事を分割した後のそれぞれの記事の項目名は﹁hogehoge(分野)﹂とできます﹄と読み、﹁項目名 (分野)﹂の項目名は分割する前の記事の項目名を指す、と解釈する方が、他と整合すると思います。
﹃﹁項目﹂と﹁記事﹂が同じものを指すにも関わらず、﹁項目名﹂と﹁記事名﹂が同じものでない﹄という主張は、私には奇異に感じられます。--アルビレオ 2010年7月9日 (金) 11:54 (UTC)
奇異に感じられるというのは理解できますが、現実問題として用語がバラバラな一方、曖昧さ回避について説明する場合には曖昧さ回避部分を含んだ全体と含まない部分とを区別して記述する必要があるのも事実です。曖昧さ回避に関わる部分に手を入れるならそのあたりの利便性と全体の整合性をも検討した上で手を入れるべきだと思います。--Jms 2010年7月9日 (金) 15:55 (UTC)
曖昧さ回避における﹁項目名﹂については、Wikipedia‐ノート:曖昧さ回避#﹁項目名﹂の明確化に提案しましたので、そちらで議論したいと思います。--アルビレオ 2010年7月9日 (金) 21:30 (UTC)
取り下げ 59.190.189.128と同一人物です。賛同が得られませんでしたので、本提案は取り下げます。--60.56.186.192 2010年8月11日 (水) 03:56 (UTC)
「記事名の書式」について(不親切な点、「全角と半角の使い分け」について、「表記ガイド」由来の部分)
ここで言う﹁記事名﹂﹁ページ名﹂﹁項目名﹂﹁題名︵タイトル︶﹂は全て﹁内部リンクで利用する識別子と同じ物﹂を指すと仮定して話をします。
サイドバーの特別:新しいページや﹁履歴タブ﹂では﹁ページ﹂という表現が使われている。
表示されるのは新規作成された項目であり、項目≒ページであると解釈できる。ページ参照に使える名前は項目名なので、ページ名≒項目名と解釈できる。
新規作成の場合は﹁項目﹂﹁項目名﹂と言う表現が使われている。
作成できるの記事であり、記事≒ページであると解釈できる。
Wikipedia:記事名の付け方では、﹁記事名﹂﹁題名︵タイトル︶﹂と言う表現が使われている。
﹁システム上の制約~﹂の下りから、項目名≒記事名≒題名≒タイトルだと解釈できる。
Wikipedia:表記ガイドでは﹁項目﹂と言う表現が使われている。
リンク先がWikipedia:記事名の付け方であるため、項目名≒記事名だと解釈できる。
などが根拠です。
関連しそうな名称のノートです。
●Wikipedia‐ノート:表記ガイド#疑問符・感嘆符の使い分けについて
●Wikipedia‐ノート:表記ガイド/過去ログ1#疑問符・感嘆符の半角・全角
●Wikipedia‐ノート:表記ガイド/過去ログ1#疑問符・感嘆符を使える場合の拡張
●Wikipedia‐ノート:表記ガイド/過去ログ1#疑問符・感嘆符: 文案
●Wikipedia‐ノート:表記ガイド/過去ログ3#﹁文字コード﹂を﹁使用可能な文字﹂に
●Wikipedia‐ノート:記事名の付け方/リダイレクトページ名についての改定
●Wikipedia‐ノート:記事名の付け方/過去ログ4#技術的制限ではないのに技術的制限?
●Wikipedia‐ノート:記事名の付け方/過去ログ6#検索時の全角・半角を正規化するスクリプト
●Wikipedia‐ノート:記事名の付け方/過去ログ9#疑問符・感嘆符の全角と半角の使い分け
その上で、問題があるのではないかと思う点です。
漢字を適切に使うこと
●Wikipedia:記事名の付け方 (漢字の使用)の項目が過去現在問わず存在しない事。
削除と移動の記録を見ても有効な内容が見当たりませんが、Wikipedia:基本方針とガイドライン#考慮すべきガイドラインとしては不適切ではないでしょうか。
●Wikipedia:表示できない文字の代替画像一覧が参考に挙げられている事。
﹁項目名﹂ならば、代替画像は使う余地がないように思います。不適切ではないでしょうか。
全角と半角の使い分け
●Wikipedia:表記ガイドに従うとある。
ところがWikipedia:表記ガイド#項目名によると、Wikipedia:記事名の付け方を参照しており、内容が定義できない。
●﹁記号はコンマ、コロン、スペース、!、?、&、@、=など半角にあるものは半角を使用。﹂とある。
Wikipedia:表記ガイド#使用可能な文字の
ラテン文字︵英字︶やアラビア数字など、JIS X 0201のラテン文字類︵いわゆる半角英数字︶で規定されているものはそれを用います。そうでない漢字、平仮名、片仮名などは、JIS X 0208に規定されているもの︵いわゆる全角文字︶があればそれを用います。JIS X 0201の仮名文字類︵いわゆる半角カナ︶は使わないでください。
が根拠だと思われるが、補足が省略されてしまっている。
補足によれば
JIS X 0201のラテン文字類の記号のなかには、場合によっては全角形を用いる必要があるものや、全角形を用いてよいか意見が分かれているものもあります。詳細はそれぞれの記号についての説明を参照してください。
となっている。
Wikipedia:表記ガイド#具体例による説明では
全角形も用いるかどうかについて、意見が分かれている文字もあります。
? ! を疑問符・感嘆符として使う場合については、Wikipedia:表記ガイド#疑問符・感嘆符を参照してください。
となっている。
そこでWikipedia:表記ガイド#疑問符・感嘆符を参照すると
全角・半角のどちらを使うかは直前の文字に従います。
となる。
つまり、Wikipedia:表記ガイドに従うならば﹁疑問符・感嘆符は全角・半角のどちらを使うかは直前の文字に従う﹂事になり、どちらかが間違っている事になるのではないでしょうか。
権限がありません
﹁公式な方針﹂ではなくあくまでも﹁考慮すべきガイドライン﹂が、あやふやな点を含んだ状態にもかかわらず﹁ルール﹂に昇格してしまっています。
そもそも﹁!﹂は全角英数字ではなく全角英記号ではないかと思うのですが、警告メッセージとしては問題があるように思います。
本ガイドラインがリダイレクトにも厳格に適用されてしまっている問題
他にも色々議論したノートがあるようなので、それらを参照してください。
以上を踏まえての提案です。
●各項目における﹁項目名﹂と同等の単語を統一する。
●記事名の書式を﹁項目名として適切な書式﹂﹁組版上・表記上の方針﹂﹁システム上の制約﹂﹁リダイレクト﹂のように分割すること。
●﹁項目名として適切な書式﹂としては、フリガナについてなど名称としての指針をまとめる。
●﹁組版上・表記上の方針﹂としては、全角半角の使い分けなど組版を意識した結果として生まれた指針まとめる。
●﹁システム上の制約﹂としては、特殊記号や文字数などのシステム上の問題へのの指針まとめる。
●﹁リダイレクト﹂としては、リダイレクトが別名・誘導としての役割を果たす為に本ガイドラインから逸脱できる範囲の指針まとめる。
●その際に、Wikipedia:表記ガイドとの依存関係を明確にする。
●上記の﹁組版上・表記上の方針﹂として﹁Wikipedia:表記ガイドに従った上で本ガイドラインを満たす項目名にする﹂などとする。
正直なところ半角全角が違ってもMediaWiki側で処理して項目を表示してもらえるのが一番閲覧ユーザには優しいとは思いますが、負荷的に難しい話だと思うので提案しません。
と、非常に冗長でしたが、以上が私の項目名に関する疑問と提案です。
あまりWikipediaの文化に馴染めていないので見当違いのことを書いているかもしれませんが、もしそうならば理解の助けになる説明に誘導していただけると助かります。
私は問題提起で精一杯ですが、この問題に思うところがある方々で議論を進めてガイドライン本文を改善して欲しいと思っています。
--文月師走 2010年9月3日 (金) 18:46 (UTC)
曖昧さ回避のために記事名の括弧内にフリガナをいれることの許容について
提案内容
Wikipedia:記事名の付け方#正式な名称を使うことにある
﹁括弧内に別名、原語や読み仮名を併記してはなりません。記事名でなく本文で行うようにしてください。﹂を
﹁曖昧さ回避ために必要な場合を除き、括弧内に別名、原語や読み仮名を併記してはなりません。記事名でなく本文で行うようにしてください。﹂に変更する。
Wikipedia:記事名の付け方#漢字を適切に使うことにある
﹁フリガナを含めてはなりません。フリガナは記事本文に入れましょう。 ﹂を、
﹁曖昧さ回避のために必要な場合を除き、フリガナを含めてはなりません。フリガナは記事本文に入れましょう。﹂に変更する。
提案理由
日本語には同じ漢字でも読み方で指す内容が変わるものがある。
色紙(いろがみ/しきし どちらも色紙)、姓(せい姓/かばねカバネ)、大臣(だいじん/おおおみ どちらも大臣 (日本))、大連(だいれん大連市/おおむらじ大連 (古代日本))、大麻(たいま大麻/おおぬさ大麻 (神道))、白衣(はくい白衣/びゃくえ白衣 (巡礼用品)/しろぎぬ白装束)、鈴(すず鈴/りん鈴 (仏具))、雪洞(せつどう/ぼんぼり どちらも雪洞)
これらは、読みがなで区別すれば、曖昧さはゼロになるのに対し、読み仮名を使わないルールのため、分かりにくい状況になっている。特に﹁色紙﹂はまったく別の物が同じ記事に同居せざるを得なくなっているし、﹁姓﹂は﹁カバネ﹂とカタカナ表示になってる。こういった不合理を無くすため、ルールの変更を提案したい。218.216.99.67 2010年12月15日 (水) 00:39 (UTC)
大麻 (たいま)と大麻 (おおぬさ)のような記事名にするということですね。すべてが読みでうまく回避できれば良いのですが、中には大麻 (たいま・植物)、大麻 (たいま・薬物)と更に回避させる必要が出てきます︵実際、大麻に関しては﹁アサ﹂を使っているので問題となっていません︶。読みで分けられる事例数が限られている上に、更なる回避の可能性は通常どおり残されているため、ご提案はそれほど効果が上がらないのではと感じています。それに私自身は﹁読み﹂よりも﹁分野名﹂のほうが区別しやすいと思っています。--Triglav 2010年12月15日 (水) 01:49 (UTC)
ありがとうございます。全ての場合にフリガナで曖昧さ回避をしようという提案ではなく、フリガナで曖昧さ回避をする方法も選択肢として許そうという提案です。もちろん分野で区別する方が良いケースも多くあると思いますし、それについて規制するつもりはありません。しかし、例えば色紙(いろがみ/しきし)のような場合、分野で区別するのは困難で、﹁色紙(いろがみ)﹂﹁色紙(しきし)﹂という記事名にして区別する方が分かりやすいのではないかという提案です。218.216.99.67 2010年12月15日 (水) 01:58 (UTC)
改訂文に一考の余地はあるかもですが、提案者の﹁フリガナで曖昧さ回避をする方法も選択肢として許そう﹂という点には賛同します。事例数が限られる上に更なる回避化が必要な事例もあるとのご指摘はもっともなのですが、現行﹁してはならない﹂規定だと例外は一切認められないように受け取られ︵多分そうなんでしょうが︶、ここで挙げられている﹁色紙﹂のように読み仮名で分類した方が単純かつ明快な場合もあるので、例外について触れる文言はあっても良いように思います。参考までに過去に﹁木綿︵もめん︶﹂とは異なる﹁木綿︵ゆう︶﹂をどうしましょうという話し合いがもたれ、当初は﹁括弧内に︵略︶読み仮名を併記してはなりません﹂という文言に例外規定がないためにそれとの兼ね合いが問題とされましたが、侃々諤々して結局﹁木綿 (ゆう)﹂を例外として許して貰いましょうという形で落着しました︵詳しくは﹁ノート:木綿 (ゆう)﹂をご参照願います︶。--胡亂堂 2010年12月16日 (木) 03:10 (UTC)
218.216.99.67氏の提案については﹁日本鬼子 (二次元)﹂の改名提案︵同氏は﹁日本鬼子 (ひのもと おにこ)﹂への改名を主張しています︶に絡んだ話でもありますので、ノート:日本鬼子 (二次元)での議論もお読み頂きたく思います。--KAMUI 2010年12月16日 (木) 12:42 (UTC)
改訂により読みによる曖昧さ回避が意図した範囲を越えて増えてしまうリスクと、記事名の付け方冒頭文を根拠に実現できることのバランスを考えると、改訂案には反対です。現状の﹁記事名の付け方﹂冒頭文の運用で対処すべき範囲だと思います。--Jms 2010年12月16日 (木) 19:05 (UTC)
ありがとうございます。﹁記事名の付け方冒頭文を根拠に実現できる﹂ということの意味が分からなかったのですが、現状のルールでも﹁色紙(いろがみ)﹂や﹁姓(かばね)﹂という記事名が可能だという意味でしょうか?218.216.99.67 2010年12月16日 (木) 23:39 (UTC)
現行の﹁記事名の付け方﹂(ルールではない) でも、ノート:木綿 (ゆう)の様に議論を経て合意がなされれば可能です。提案されている改訂は、議論なしに行なおうとする場合に必要となりましょう。--Jms 2010年12月16日 (木) 23:47 (UTC)
曖昧さ回避のためにフリガナを使うことが、﹁議論を経て合意がなされれば可能です﹂と断言いただきましたが、多くの人が﹁ガイドライン違反であり、例外は認められない﹂と考えていることは、﹁ノート:木綿 (ゆう)﹂を見ても﹁ノート:日本鬼子 (二次元)﹂を見ても明らかです。現状では、﹁Jmsさんの意見が正しい﹂とも﹁他の意見が正しい﹂とも言えない状況ではないでしょうか。そこで、この場で議論を行い、本当にJmsさんの意見が正しいのか、今後どのような考え方で編集を進めるべきかを合意形成すべきではないかと思います。218.216.99.67 2010年12月17日 (金) 04:29 (UTC)
正しいかどうかという議論ではありませんし、ノート:木綿 (ゆう)とノート:日本鬼子 (二次元)は質が全く異なると思いますが、それはさておき。いずれにせよ記事依存であり、一般化するのは時期尚早でしょう。--Jms 2010年12月17日 (金) 08:51 (UTC)
記事依存という点は全く同感です。しかし、﹁一般化するのは時期尚早﹂というのは認識が逆だと思います。現状において﹁フリガナを含めてはなりません。﹂と一般化された禁止ガイドラインがある訳です。これを﹁フリガナも許容する﹂と変えて、個別の記事に応じて最も良い曖昧さ回避を決めようというのが今回の提案です。また、﹁議論を経て合意がなされれば可能です﹂という点は、全員で共有されている認識でしょうか。もし本当にそうであれば、ここで改めて議論する必要もないかもしれませんが、どこかに書いてあるのでしょうか。できればJmsさんに出典を示していただきたいと思います。218.216.99.67 2010年12月17日 (金) 11:53 (UTC)
﹁提案されている改訂は、議論なしに行なおうとする場合に必要となりましょう。﹂とのことですが、通常、記事名を変える場合は改名提案を行い、ノートで議論して改名するのですが、なぜ今回の提案を行うと、議論なしに改名を行うことにつながるのでしょうか。Wikipedia:ページの改名218.216.99.67 2010年12月17日 (金) 12:03 (UTC)
(インデントレベルが錯綜しているけれど) そもそも曖昧さ回避の括弧の内側が記事名の一部なのかどうかという点について曖昧だったりするのでまずそこから確定しないとなりませんが、それはひとまず置きます。﹁議論を経て合意がなされれば可能です﹂は、Wikipedia:記事名の付け方が考慮すべきガイドラインであることによります (Template:Guideline参照)。効いてくるのはフリガナ云々よりはWikipedia:曖昧さ回避#曖昧さ回避後の項目名の﹁分野や分類を表す語﹂の﹁分類﹂の解釈でしょう。読みが分野でないことは明らかですが、平仮名表記が一律分類ではないと言いきれる訳でもありません。﹁色紙 (いろがみ)﹂﹁色紙 (しきし)﹂は括弧内が概念でもあり他の簡潔な表現を探すのも難しいでしょうから、分類を援用できる可能性があります。﹁木綿 (ゆう)﹂も、他に適当かつ簡潔な表現がなかったという意味でその類でしょう。﹁日本鬼子 (ひのもと おにこ)﹂はその点で異なりましょう。﹁議論なしに行なおうとする場合に必要﹂というのは、議論の結果であるならば今の規程でも可能だと考えているからです。--Jms 2010年12月17日 (金) 12:16 (UTC)
JMSさんとの議論ですが、﹁フリガナによる曖昧さ回避は許容される﹂﹁記事名は議論を経て決められるべきだ﹂という実質的主要点は一致している訳で、対立点はないように思えます。﹁曖昧さ回避が意図した範囲を越えて増えてしまうリスク﹂とありますが、記事名変更はトークページでの議論が必要ですので、そのような心配はないと思います。現行のルール、ガイドラインでも﹁フリガナによる曖昧さ回避は許容される﹂との解釈が可能との説明を頂きましたが、それは﹁解釈が可能﹂という物であって、みんなが合意した﹁解釈﹂ではありません。この点はJMSさんも理解頂いていると思います。私も﹁現行のルール、ガイドラインでもフリガナによる曖昧さ回避は許容される﹂と思っていますので、ここでも対立点はないのですが、私はこの際、議論して参加者全員による合意を作成したいと思っています。﹁時期尚早﹂とありましたが、こういう物は何年待ったからといって期が熟するものでもなく、議論の途中で見切り発車するのであれば﹁時期尚早﹂でしょうが、議論を進めているのであれば時期尚早という批判は当たらないと思います。もしリスクがあるというのであれば、﹁どういう文言がガイドラインとして良いか﹂を出していただければと希望します。218.216.99.67 2010年12月20日 (月) 00:43 (UTC)
文面は今のままで良いと思います。現段階で総論として議論するよりは、まずは曖昧さ括弧内に平仮名を用いる必要があり、かつそれが許容され事例を集め、何が許容されるべきなのかという範囲が見えてきてから改訂を検討すべきでしょう。解釈として合意ができていない段階で具体例の蓄積なく解釈の議論をするのは適切ではないと思います。わたくしは前述の様に﹁木綿 (ゆう)﹂や﹁色紙 (しきし/いろがみ)﹂の場合と﹁日本鬼子 (ひのもと おにこ)﹂の場合とでは異なり、前者は許容されるが後者については許容されるとは言い難いと考えていますが、そうした判断の、合意に基づいた蓄積なくして﹁平仮名オッケイ﹂という議論すべきではないと思います。個別で合意が成立しないならば、総論としても合意できないでしょう。--Jms 2010年12月20日 (月) 01:52 (UTC)
要するに﹁ガイドライン破りが常態化したときに、ガイドラインの変更を討議し始めれば良い﹂という意見ですね。独自の意見として拝聴しました。何か﹁判例が積み上がったら、国会は法律を変更できる﹂という考えと似ていますね。でも、ここで議論してガイドラインを変更してはいけないという理由もないですよね。過去にあったガイドラインの変更で、﹁ガイドライン破りが常態化﹂して行われたものがどの程度あるのでしょうか。また、﹁ガイドライン破りの常態化﹂がガイドライン変更の前提条件だという暗黙の了解があるのでしょうか。218.216.99.67 2010年12月20日 (月) 04:20 (UTC)
いいえ、ガイドラインに反していないと考えている立場からすれば、そもそもガイドライン破りではありませんから、﹁ガイドライン破りが常態化したときに、ガイドラインの変更を討議し始めれば良い﹂という意見ではあり得ません。﹁判例が積み上がったら、国会は法律を変更できる﹂という考えでありません。法律だとは思っていません。慣例が積み重なったものがガイドラインだと考えています。また、わたくしが述べているのは、変更の必要がないから、そもそも変更の必要がない、です。--Jms 2010年12月20日 (月) 10:09 (UTC)
﹁慣例が積み重なったものがガイドラインだと考えています。﹂独自の見解ありがとうございます。過去のガイドライン変更の議論を拝見しましたが、常にその独自の見解を持ち出して変更をつぶしてきた努力には敬意を表します。しかし、Jmsさんに賛同する意見は、探した範囲では過去ログには見当たりませんでした。218.216.99.67 2010年12月20日 (月) 12:36 (UTC)
もしまだでしたら、Wikipedia:基本方針とガイドライン#方針の位置づけを御覧ください。--Jms 2010年12月20日 (月) 15:31 (UTC)
なるほど誤解の理由がわかりました。ベストプラクティスとは﹁最善の慣行﹂と訳される︵誤訳される︶こともありますが、en:Best practiceにあるように、en:conventional wisdom(=証明されていないが、正しいと思われていること)に基づき最善と思われる方法であり、practiceとは﹁慣行﹂ではなく﹁実務﹂と訳されるべきものです。ベストプラクティスは﹁最良の実務﹂であり通常、業界内で最も進んだ企業のやり方を指し、慣行性が要求される訳ではなく、競争により常に変り、むしろ慣行とは対極にあるものです。本家の英語の方もbest practiceと書いてありますから、そういう理解で良いと思います。218.216.99.67 2010年12月21日 (火) 01:09 (UTC)
﹁ベストプラクティス﹂を検索すると[1][2]など、﹁最も優れた事例﹂とか﹁最も効率的な実践方法﹂とかばかり出てきて﹁慣行﹂とあるのはwikipediaぐらいですね。﹁最良慣行﹂﹁最善の慣行﹂などで検索しても、個人のページばかりで、信頼できるページは出てこないようです。﹁ベストプラクティス﹂には一般にも﹁慣行﹂という意味はないようですね。218.216.99.67 2010年12月21日 (火) 02:02 (UTC)
別途議論を始められたので、そちらで述べておきました。--Jms 2010年12月21日 (火) 08:48 (UTC)
﹁記事名の付け方﹂固有の点に絞って補足しておきます。﹁記事名の付け方﹂におけるプラクティスとは、当然、個々の記事にどの様な記事名を与えるか、ということです。そして﹁ベスト﹂とは、そうしたいろいろなプラクティスつまり多様な記事に対する記事名の付け方のうち、より受け入れられているもの、﹁考慮すべきガイドライン﹂のセンスで広く受け入れられているもの、という意味です。この意味で、﹁慣例が積み重なったものがガイドライン﹂と書きました。その意味ではプラクティスが積み重なった結果慣例となるのですが、そうした分野ごとの慣例が更に積み重なると言う意味を込めて﹁慣例が積み重なった﹂と書きました。--Jms 2010年12月21日 (火) 22:47 (UTC)
コメント 私はこのガイドラインについて﹁記事名には、記事の冒頭のように振り仮名を付ける必要はありませんよ﹂と解釈しています。従ってIP様の要求する曖昧さ回避の選定の結果生まれた読み仮名は、ここに含まれないと考えていますし、Jms氏が説明されているとおり規約の改定の必要性も感じていません。もしIP様が現場の改名議論でこのガイドラインを相手の方から指摘されたとき﹁木綿 (ゆう)や、ここの議論があります﹂と伝えてあげればよろしいでしょう。ただ最初にも申し上げたとおり曖昧さ回避には分野名で探してもらって、適切なものがないと確認してから読み仮名を採用していただきたいと強く願っております。本当に読み仮名しか選択肢がなければ、どのみち曖昧さ回避のために何か一つを選ばなくてはならないのですから、これを採用するしかありません。もし反対が出たら対案を提出してもらいましょう。--Triglav 2010年12月20日 (月) 10:51 (UTC)
コメント 解釈の話になるかと思いますが、基本的に当該文章の述べていることは、︵Triglavさんが言っておられるように︶曖昧さ回避の括弧に対して述べているものではないと考えてよいはずです。そして、それを明確に示す方が良いという218.216.99.67さんの意見は理解できますが、しかし、それは﹁記事名をどうするか﹂ではなく﹁曖昧さ回避の括弧内に何を使うべきか﹂という別の次元の話につながります。そしてその別次元の話をすると、曖昧さ回避の括弧内は極力、分野名にすべきというのが慣習として成立しているように思いますので、このガイドラインで﹁曖昧さ回避の括弧内に読みがなを使用しても良い﹂というような印象をあたえることは避けるべきだと思います。そもそも、﹁ガイドラインは絶対ではない﹂というのは、ある程度慣れた人なら分かっていることだと思いますが、匿名利用者さんのような方々の場合は、なかなかその辺りを理解できず、﹁ここに書いてあるから!﹂と盲信してしまうのでしょう。これらを考えて、落とし所としては、当該文章に﹁原則として﹂や﹁特別な事情がある場合を除き﹂など、﹁全部が全部、絶対に読みを含めるのがダメではない﹂というような説明を挿入するというところではないかと思います。とは言うものの、そもそもガイドラインなのですから、明記する必要はない︵誤解されたらその都度説明すれば良い︶というだけではないかな、というのが個人的な思いです。--青子守歌︵会話/履歴︶ 2010年12月20日 (月) 11:53 (UTC)
ありがとうございます。曖昧さ回避の括弧内に何を使うべきかが別の次元の話というのは、全くの同感で、すでにWikipedia:曖昧さ回避#曖昧さ回避後の項目名という公式な方針があります。それでは︵1︶言い換え︵2︶括弧内に分野名を書く︵3︶修飾語をつける︵4︶括弧内にコンテクストを付ける︵5︶その他、という順位で適切なものを付けることを考えることになっています。フリガナは﹁その他﹂になると思います。﹁﹃曖昧さ回避の括弧内に読みがなを使用しても良い﹄というような印象をあたえることは避けるべきだ﹂とのことですが、避けるべき理由が、フリガナばかりになるということでしたら、記事名変更はトークページでの議論を経て決まるものなので、心配する必要はないと思います。218.216.99.67 2010年12月20日 (月) 12:30 (UTC)
その他、というのはどこに書いてありますか。また、記事名変更は議論を経て決まるものだから、という理由は、改訂しない、という理由にもなるでしょう。--Jms 2010年12月20日 (月) 15:31 (UTC)
曖昧さ回避後の項目名は限定列挙ではないでしょう。例示された方法でうまく﹁曖昧さ回避﹂ができなければ、例示されていない方法でするしかないでしょう。218.216.99.67 2010年12月21日 (火) 01:25 (UTC)
ならば、今回提案されている改訂も必要ありませんね。--Jms 2010年12月21日 (火) 08:48 (UTC)
今回の提案はWikipedia:曖昧さ回避の変更提案ではなく、Wikipedia:記事名の付け方の変更提案ですので、お間違えのないよう願います。218.216.99.67 2010年12月21日 (火) 09:43 (UTC)
公式な方針について﹁例示された方法でうまく…できなければ、例示されていない方法でするしかない﹂ならば、考慮すべきガイドラインについては尚更でしょう、従って括弧内を記事名の読みとする場合は発生するでしょう、﹁木綿 (ゆう)﹂の如く。つまり、改訂せずとも対応できるわけです、それが必要であるならば。--Jms 2010年12月21日 (火) 11:24 (UTC)
﹁例示列挙﹂と﹁限定列挙﹂の違いを理解されていないようなので、容量を食いますがご説明します。例示列挙でA,B,C,Dとあった場合、それ以外のEでもFでも可能です。これに対し限定列挙でA,B,C,Dとあった場合、それ以外のEやFは不可能です。曖昧さ回避後の項目名は例示列挙であるため、本文中に明示されている︵1︶言い換え︵2︶括弧内に分野名を書く︵3︶修飾語をつける︵4︶括弧内にコンテクストを付けるの外に、﹁例示されていないそれ以外の方法﹂が可能でありそれを上のコメントでは﹁︵5︶その他﹂と表現しただけです。これに対しJmsさんのご理解はおそらく﹁公式な方針でも例外が認められるのだからガイドラインでは例外が当然認められる。﹂と誤解されたのだと思います。もしご理解が違えば言ってください。しかし、﹁︵5︶その他﹂が可能なのは﹁公式な方針に例外が認められる﹂からではなく﹁例示列挙なので、例示されていないものも可能﹂だからです。218.216.99.67 2010年12月22日 (水) 03:44 (UTC)
誤解ではないでしょう。その二つは独立です。もう一つメタな段階で検討されたし。﹁︵5︶その他﹂が可能なのは、﹁例示列挙なので、例示されていないものも可能﹂であり、かつ、﹁公式な方針に例外が認められる﹂場合です。例示列挙であっても、もし公式な方針に例外が認められないものであれば、例外は認められない。例示列挙についての例外が認められるなら、公式な方針は例外を認めている。考慮すべきガイドラインが例外を認めるものかどうかは公式な方針よりも緩いので、公式な方針が例外を認めているなら考慮すべきガイドラインも例外を認めている。従って、仰るロジックに従ってもなお、﹁記事名の付け方﹂は例外を認めている。﹁記事名の付け方﹂が例外を認めているならば、例外として対処できる (その程度の適用対象件数しか示されていない) 今回の件についての改訂の必要はない、です。逆にいうと、﹁例外と言うには例が多すぎるよねぇ﹂となれば、改訂しなければならないでしょう、ということでもあります。なお、括弧内にふりがな、というのと、曖昧さ回避の括弧の中で読みを仮名表記するということは一対一に対応するものではないこと、また曖昧さ回避の括弧部分が記事名に含まれるのかどうかも自明ではないこと、この二点についてはなお留保します。端的に言えば、つまり、議論する場所が不適切である、ということでもあります。--Jms 2010年12月22日 (水) 10:14 (UTC)
﹁例示列挙﹂という言葉の意味を上で解説しましたが、正しく理解されているなら﹁例示列挙についての例外が認められるなら﹂などとは言わないものです。--218.216.99.67 2010年12月24日 (金) 04:49 (UTC)
﹁曖昧さ回避後の項目名﹂が例示列挙として成立するためには、公式な方針に例外が認められる必要がありましょう。公式な方針に例外が認められないのに、﹁曖昧さ回避後の項目名﹂が例示列挙であることはあり得ないでしょう。﹁例示列挙についての例外が認められるなら﹂というのは、そういう意味、つまり、﹁例示列挙として成立しているなら﹂という意味です。--Jms 2010年12月24日 (金) 06:12 (UTC)
︵インデント戻し︶曖昧さ回避後の項目名が例示列挙なのは、はじめの文が﹁曖昧さ回避で項目を分割した後の項目名にはいくつかの方法があります。﹂と数を限定しないで方法を挙げているからです。英語版でも、"For disambiguating specific topic pages by using an unambiguous article title, several options are available" と数を限定しないoption︵選択肢︶があることを言っています。このため、その後に続く4つの方法は例示に過ぎず、その他にも﹁いくつかの方法﹂に含まれる方法があることになります。具体的に言えば、﹁多くの方が議論に参加することを歓迎します。AさんBさんCさんの参加を歓迎します。﹂というのが例示列挙であり、この文は別に﹁Jmsさんの参加を歓迎しない﹂と言っている訳ではありませんし、それが例外でもありません。なぜならJmsさんは例示されていなくても﹁多くの方﹂に入るからです。例示列挙の場合は例外と言わないことをご理解いただけましたでしょうか。--218.216.99.67 2010年12月24日 (金) 10:19 (UTC)
日本語で﹁いくつかの﹂とあるからといって、例示列挙であるとは限らないでしょう。指定されている他にも方法があると明示的に述べている訳ではないので、﹁多くの方が﹂とは呼応しないでしょう。で。本論は﹁記事名の付け方﹂は明示的に示されているやり方に限定しているものではないし、明示的に曖昧さ回避部分が記事名の一部であると規定している訳でもないので、曖昧さ回避の括弧内部に読みが入ることを排除してはいない、という点にあるのですが、その点は如何。御自身で﹁フリガナを含めてはなりません。﹂ですが、曖昧さ回避にフリガナを使えないとは書いてありませんと書いていらっしゃるので、問うまでもないとは思いますが念のため。--Jms 2010年12月24日 (金) 10:39 (UTC)
列挙であれば﹁例示列挙﹂か﹁限定列挙﹂のどちらかであり、﹁いくつかの方法﹂と例示列挙を示す語がある一方、限定列挙を示したりする語は何もありませんから、例示列挙という解釈しか成り立ちません。﹁﹃いくつかの﹄とあるからといって、例示列挙であるとは限らないでしょう﹂というのは、﹁太陽が東から昇るとは限らない﹂と言っているのと同じです。限定列挙だと主張されるのであれば、限定列挙である根拠を示していただければ結構です。
後段については、上で﹁私も﹃現行のルール、ガイドラインでもフリガナによる曖昧さ回避は許容される﹄と思っていますので、ここでも対立点はないのですが、私はこの際、議論して参加者全員による合意を作成したいと思っています。﹂2010年12月20日 (月) 00:43 (UTC)と書いていますが、もう一度同じことを書けば良いでしょうか。曖昧さ回避のためのフリガナは許容されると個人的には解釈していますが、それは﹁個人的な解釈﹂であり、そういう解釈で良いことを明確化するためにガイドラインを見直そうというのが今回の提案の趣旨ですが、その点が理解されずにこれだけ長い議論をしてきたのでしょうか。--218.216.99.67 2010年12月27日 (月) 01:48 (UTC)
﹁いくつかの方法﹂を限定列挙に用いても日本語としては成立しますから、﹁いくつかの方法﹂だけをもって例示列挙かどうかを判断することはできません (もちろん例示列挙でないとも言えない)。そのことととは別に、公式な方針において例示列挙が成立するなら、いわんや考慮すべきガイドラインにおいてをや、というのが前半の本論です。曖昧さ括弧内の文字列が読みと一致することは許容ではあっても抑制的運用がなされているのは事実なので、﹁そういう解釈でよい﹂ことを明確化すべき段階にはない (抑制されていることを積極的に書くべきではない) と考えています。--Jms 2010年12月27日 (月) 02:07 (UTC)
IP様の考え﹃多くの人が﹁ガイドライン違反であり、例外は認められない﹂と考えている﹄は、﹃多くの人が﹁自分の考えがガイドラインと一致しているため、例外を認める必要がない﹂と考えている﹄と区別が付かないんですよね。これは一人ひとりにガイドラインを支持する理由などを聞いて回るしかないと思います。
当該ノートを拝見しました。まずIP様には申し訳ありませんが、候補がいくつかある状態の中で読み仮名を採用することはありえない。とお伝えしておきます。皆さんは︵私も︶括弧内の決定に、記事冒頭の定義文末尾をそのまま採用する方法をよく使っていると思いますが、このケースでは
●日本鬼子 (キャラクタ)
●日本鬼子 (萌え擬人化キャラクター)
●日本鬼子 (日本の萌え擬人化キャラクター)
と他の記事と区別が付くまで後ろから順番に採用していくだけでよいと思うんです。それよりも調べものの過程で見つけた、日本鬼子 (萌えキャラ)は︵萌え擬人化キャラクターよりも通用して︶短くていいねぇとは私は思いました。そしてIP様が心配される読みによる検索は﹁ひのもと おにこ﹂と全ての人が区切りがわかっていればよいのですが、分からない人のために﹁ひのもとおにこ﹂というキーワードを本文中のどこかに埋め込んでしまうのも一つの方法でしょう。
ところで記事日本鬼子のOtherusesから日本鬼子 (二次元)が除外されているのですが、どなたか指摘されないんですか?これこそが希望する記事に到達できない最大の障害だと思うのですが何故でしょう?。--Triglav 2010年12月21日 (火) 13:33 (UTC)
﹁キャラクター﹂という表現を使うのを極度に嫌っていた利用者:Hollywood氏により消されていた案内表示を戻しておきました。[3]--雛鳥(Hinadori) 2010年12月22日 (水) 01:40 (UTC)
Triglavさんありがとうございます。最初の文はなぜ区別がつかないのか分かりません。また区別がつかないとして、それが今回の提案とどう関係するのかわかりません。﹁ガイドラインに反しない﹂とここで主張されるかたの根拠を見ていますと﹁ガイドラインに反するが、ガイドライン違反には例外が許容される﹂ということを﹁ガイドラインに反しない﹂と言っているように見えます。しかし、それらは違うことです。また、﹁ガイドライン違反には例外が許容される﹂ことをガイドラインを整備しないことの言い訳にできるとは思いません。不合理なガイドラインは早期に改正すべきだと考えます。日本鬼子についてここで議論するのは遠慮します。218.216.99.67 2010年12月22日 (水) 04:06 (UTC)
わかりました。ではノート:日本鬼子 (二次元)に持ち込みます。--Triglav 2010年12月22日 (水) 04:36 (UTC)
フリガナの許容 第二節
いろいろ議論頂いていますが、逆に﹁ガイドラインを変えた場合のデメリット﹂は何かあるでしょうか。Jmsさんからは、﹁改訂により読みによる曖昧さ回避が意図した範囲を越えて増えてしまうリスク﹂との指摘があり、その理由として﹁提案されている改訂は、議論なしに行なおうとする場合に必要となりましょう。﹂と議論なしに記事名が変えられることを上げられましたが、記事名は他の部分と異なり、トークページの議論なしには変更できないので、Jmsさんの議論には誤解があるように思えます。他の方からはデメリットを指摘したコメントはないように見受けられました。﹁こういう解釈をすれば必要ない﹂という議論は分かりますが、それでは分かりにくいですし、デメリットがないのであれば、ガイドラインを分かり易くする意味で、ガイドラインを変えることに意義があるのではないでしょうか。--218.216.99.67 2010年12月24日 (金) 04:21 (UTC) ﹁ガイドラインを変えた場合のデメリット﹂は、曖昧さ回避部分が﹁記事名の付け方﹂の直接の範疇なのかどうか明確でないにもかかわず曖昧さ回避について必要以上に言及してしまうことと、現時点のコンセンサスとしては記事名に読みを併記することに体して抑制的であり、曖昧さ回避部分としては分類ないし分野が想定されていると考えられるが、その状況でどの範囲の読み﹁併記﹂が許容されるのか明らかでない段階で積極的に言及することでミスリードしかねないということです。そしてもちろん、この手のものはシンプルであるべきであり、ごく限られた例外のために文言が長くなるのもデメリットです。--Jms 2010年12月24日 (金) 04:32 (UTC) Wikipedia:曖昧さ回避#曖昧さ回避後の項目名には﹁括弧内の語句についても、記事名に準じた基準で決めるべきです。詳細は、Wikipedia:記事名の付け方やWikipedia‐ノート:記事名の付け方を参照してください。﹂と書いてあるので、﹃曖昧さ回避部分が﹁記事名の付け方﹂の直接の範疇﹄であることは明白です。 しかし、あれだけ明確に括弧内の読みは許容されると言っていたのに、一転して﹁現時点のコンセンサスとしては記事名に読みを併記することに体して抑制的﹂とか﹁どの範囲の読み﹁併記﹂が許容されるのか明らかでない﹂とか言うのは大いに疑問を感じます。﹁括弧内の読み仮名は許容されると解釈されるからガイドラインを変える必要はない﹂か、﹁括弧内の読み仮名は原則許されないので、ガイドラインを変えるべきではない﹂か、どちらか一方に態度を示してもらいたいと思います。--218.216.99.67 2010年12月24日 (金) 05:06 (UTC) 曖昧さ回避部分が﹁記事名の付け方﹂の直接の範疇なのかどうか明確でない、というのは、曖昧さ回避の括弧内の語句のことではなく、曖昧さ回避部分が﹁記事名﹂の一部なのかどうか、ということです。﹁括弧内の読み仮名は許容されると解釈されるが、その運用は抑制的である﹂です。禁じられてこそいないが、奨励されてはいない、ということです。--Jms 2010年12月24日 (金) 05:15 (UTC) おっしゃりたいことが良く分からないのですが、Wikipedia:曖昧さ回避#曖昧さ回避後の項目名では﹁項目名﹂を使い、Wikipedia:記事名の付け方では﹁記事名﹂を使っていることを問題視しているのでしょうか。英語版では、en:Wikipedia:Disambiguation#Naming the specific topic articles"For disambiguating specific topic pages by using an unambiguous article title, several options are available"、en:Wikipedia:Article titlesと、どちらも"Article title"です。 ﹁抑制的﹂とのことですが、提案は、﹁曖昧さ回避のために必要な場合を除き、フリガナを含めてはなりません。﹂と﹁﹁曖昧さ回避のために必要な場合を除き﹂という語句を入れるものです。﹁必要﹂とは﹁必ず要る﹂﹁それなしではできない﹂という意味であり、﹁フリガナ以外では曖昧さ回避を行えない﹂という意味ですから、十分﹁抑制的﹂だと思います。もっとも﹁﹃色紙(折り紙などに使う片面が単色の薄い紙)﹄という記事名が可能だからフリガナは必要とは言えない﹂などという議論は論外ですが。もし抑制の度合いが足りないというのであれは、他の文案を考えれば良いでしょう。--218.216.99.67 2010年12月27日 (月) 02:44 (UTC) 曖昧さ回避部分が﹁記事名の付け方﹂の直接の範疇なのかどうか明確でない、ということについてのポイントは二つ。項目名と記事名の使い分けが (使い分けがあるのかないのかも含めて) 明確でない一方、それが区別されていないと論理的には扱いにくいこと、ならびに、曖昧さ回避部分まで記事名/項目名に含めて考えることが妥当かどうか自明でないこと。もう一つは、﹁曖昧さ回避﹂と﹁記事名の付け方﹂のガイドライン上の位置づけが異なること。この二つです。必要かどうかというのは恣意的に判断されかねないので、現在の運用ほどに抑制的とは言えないでしょう。これだけの数の記事があって、読みと同じ仮名表記による曖昧さ回避が不可避であった記事が極く限られている以上、ガイドラインに明示するのは時期尚早だと考えています。どうしてもというなら、﹁他のいかなる方法によっても曖昧さ回避ができない、そのときに限り﹂くらいでしょうが、それをガイドラインとして示すこともまたためられわれます。個別記事の事情によってうまくやってほしい、だからガイドラインに含めたくない、というのが正直なところです。現時点では判断材料が少なすぎます。--Jms 2010年12月27日 (月) 03:05 (UTC) typo 除 --Jms 2010年12月27日 (月) 05:08 (UTC) ありがとうございます。デメリットがあるかという議論ですので、デメリットがあると思うのであればそう記載していただければと思いますが、デメリットの記載はないと理解いたします。なお、既に上でしていただいた議論を再度書いて頂かなくても良いと思います。回答は単なる繰り返しになりますので省略いたします。--218.216.99.67 2010年12月27日 (月) 04:48 (UTC) デメリットは既に述べました。また、記事名の付け方の問題かどうか自明でないことも既に述べました。--Jms 2010年12月27日 (月) 05:08 (UTC) IP様は無理をして振り仮名を使おうとしていませんか?例題の色紙ですが、記事﹁色紙﹂を見ると全部で4項目あります。もし記事が細分化され起稿されるとしたら、記事名はそれぞれ色紙 (写経)、色紙 (折り紙)、色紙 (和紙)、色紙 (書画)というようなものになるでしょう。IP様が示す、色紙 (いろがみ)、色紙 (しきし)と前後2項目をそれぞれの記事としてくっつけることが出来るのかというところがそもそも疑問なのですが。それよりもです。ノート:日本鬼子 (二次元)にて私の提案した日本鬼子 (萌えキャラ)を許容していただきありがとうございました。このことによって、この提案を通した後の当初の目的をIP様は失ってしまったのではと私は見ているのですが、こちらの議論は続けられますか?--Triglav 2010年12月27日 (月) 03:18 (UTC) ﹁当初の目的を失った﹂訳ではないと思っています。一番最初に書いた色紙、姓、大臣など、フリガナを使うことによって分かりやすい記事名にすることができるものは多くあると思います。色紙について出していただいた案ですが、それらは﹁分野﹂を示すものではなく、﹁コンテクスト﹂を示すものです。色紙は写経に属する訳でも、折り紙に属する訳でもありません。それらは写経や折り紙という文脈の中で連想される色紙を示しています。英語版ではコンテクストの例としてUnion (set theory)=﹁結び(集合論)﹂, Inflation (economics)=﹁インフレ(経済学)﹂を上げていますが、﹁結び﹂は集合論に属する訳ではなく、﹁インフレ﹂は経済学に属する訳ではなく、ただそういった文脈で使われる用語という関係に過ぎません。Wikipedia:曖昧さ回避#曖昧さ回避後の項目名では、﹁コンテクスト﹂による曖昧さ回避は﹁特別な状況﹂とされています。コンテクストでの曖昧さ回避は連想ゲーム的な状況になりますので、あまり推奨されるべきものではないという理由だと思います。﹁色紙(書画)﹂とあったとき、芸能人からサインをもらうときに使う紙と認識するか、というのは連想の問題ですから﹁主観﹂の問題となり、﹁客観﹂的な分野による曖昧さ回避と異なるということだと思います。長々と書きましたが、フリガナ以外の方法では上手く行かない場合はあると思いますし、そういった意味で、フリガナによる曖昧さ回避が必要な場面があると思います。 加えて、曖昧さ回避にフリガナを許容することのデメリットがないのであれば、そうすべきだと思います。--218.216.99.67 2010年12月27日 (月) 04:36 (UTC) つまり色紙については、色紙 (いろがみ・写経)、色紙 (いろがみ・折り紙)、色紙 (しきし・和紙)、色紙 (しきし・書画)といった細分を認めるということでよろしいですね?私が確認したいのはこの部分だけです。--Triglav 2010年12月27日 (月) 04:48 (UTC) 曖昧さ回避の括弧内は簡潔にするので﹁色紙(いろがみ・写経)﹂というのは、基本的にないと思います。もっともそれが最も簡潔で分かり易い表記だとトークページで合意されるのであれば、可能なのでしょうが、常識的に言ってそういうことはないと思います。--218.216.99.67 2010年12月27日 (月) 05:54 (UTC) ではIP様が例としてだされた色紙は﹁実際には使われないがこのようなものを想定している﹂といった、架空のものなのでしょうか?実例を示して検証を重ねていかないと、なかなか話しが進まないと思うのですが。--Triglav 2010年12月27日 (月) 08:23 (UTC) いいえ、実際に使われないだろうというのは、﹁色紙(いろがみ・写経)﹂という分野と読み仮名を併用するような曖昧さ回避に限ったことです。例えば﹁姓(かばね)﹂や﹁大臣(おおおみ)﹂あるいは﹁大麻(おおぬさ)﹂という記事名は使われると考えています。--218.216.99.67 2010年12月27日 (月) 11:13 (UTC) それは大麻 (神道)、大臣 (古代日本)、カバネの改名提案をなさる、ということでしょうか。もしそうでしたら、その結果をみてから記事名の付け方の改訂について議論する方が現実的でしょう。カバネは﹁姓 (称号)﹂という案が出るでしょうが…。そうではなくて、可能性について議論なさっているなら、可能性を検討すると際限がないので、時期尚早でしょう。--Jms 2010年12月27日 (月) 20:32 (UTC) 独自のご意見として承りました。要するにJmsさんにとって判断材料が少なすぎるという話に過ぎないので、判断しかねるのであれば、﹁私には判断付きません﹂とわざわざコメント頂く必要はないと思います。--218.216.99.67 2010年12月28日 (火) 00:39 (UTC) 具体的に上記改名提案を意図して﹁姓 (かばね)﹂﹁大臣 (おおおみ)﹂﹁大麻 (おおぬさ)﹂を例示したのかどうかをお答えください。現状の括弧内読みによる曖昧さ回避に抑制的な運用においては、その抑制をゆるめる方向の改訂は歓迎されないだろう、しかし、事実として、そうした項目が十分な数 (ガイドラインに明記するに値するくらい) 存在するならば、かかる改訂は検討に値するだろう、というのが判断です。改訂を肯定するに値する判断材料が少ない、ということです。明記するに値するくらい、というのは、ざっと言えば﹁万が一﹂は越えるくらい、といったところです。--Jms 2010年12月28日 (火) 00:50 (UTC) fix typo --Jms 2010年12月28日 (火) 10:31 (UTC) 空白補 --Jms 2010年12月28日 (火) 23:53 (UTC) ◆﹁判断材料が少なすぎ﹂というところは私も同感ですので2人目ですね?どうも今回のIP様が提示する提案文の見積もりが甘いような気がします。いくつかの例をだされ﹁読みがなで区別すれば、曖昧さはゼロになる﹂と断言されているのに、既に大麻 (たいま)と色紙 (いろがみ)については回避不可、そのほかについても有力な他候補がある状態では、私はともかく、改名提案の現場で参加者の皆さんを説得するのは無理が出てくると思います。一度取り下げて、事例などを確保して提案を練り直したほうがよいのではないでしょうか?--Triglav 2010年12月28日 (火) 01:45 (UTC) そのように理解されていましたか。大麻については﹁大麻﹂﹁大麻草﹂﹁大麻(おおぬさ)﹂という区別をイメージしていたので。ルールとしても、片方が圧倒的に優位の場合は、優位の方には括弧を付けず、劣位の方にのみ括弧を付けるのですから﹁大麻(たいま)﹂とか﹁大麻(たいま、薬物)﹂というのは念頭にありません。同じように﹁姓﹂と﹁姓(かばね)﹂、﹁大臣﹂と﹁大臣(おおおみ)﹂という曖昧さ回避であって、﹁姓(せい)﹂と﹁姓(かばね)﹂とか、﹁大臣(だいじん)﹂と﹁大臣(おおおみ)﹂という曖昧さ回避は全く考えていません。大麻について回避不可ということはないと思います。 色紙についてですが、﹁いろがみ﹂に写経用紙という意味があるというのはwikipediaぐらいで、他の辞書にはないようです。色の着いた紙に写経するということはあるようですが(写経の種類、写経道具)、﹁色紙経=着色した料紙(=物を書くのに用いる紙)に写経したもの﹂だそうですので、﹁いろがみ﹂というのは色の着いた紙で、写経に限らず物を書くのに用いるものというのが本当の所に見えます。一方﹁しきし﹂の1の﹁種々の色がついた料紙。和紙#色紙を参照。﹂を見ると﹁いろがみ﹂の1﹁写経などに用いられた色染め紙﹂と同じ物を指しているように見えます。さらに﹁色の着いた紙﹂であれば﹁色+紙﹂であって、﹁色紙﹂として記事を作る必要があるとは思えません。このため、﹁色紙(いろがみ)﹂で折り紙などに使う紙、﹁色紙(しきし)﹂でサインなどをもらう紙の記事を作れば良いでしょう。更に必要であれば﹁色紙(料紙)﹂とか﹁色紙(和紙)﹂でもう一つの色紙の記事を作れば良いと思います。﹁色紙(いろがみ)﹂﹁色紙(しきし)﹂﹁色紙(料紙)﹂であれば、迷うことはまずないと思います。--218.216.99.67 2010年12月28日 (火) 10:22 (UTC) では実際に記事のある﹁大臣 (古代日本)﹂を﹁大臣 (おおおみ)﹂に改名してみましょうよ。提案文に﹁ここのルールであるフリガナを使わないはとりあえず無視します﹂と一言付け加えるだけで通常の審議が進められると思います。--Triglav 2010年12月28日 (火) 11:43 (UTC) なぜそうするのか、そうする必要があるのか意味が分かりません。また、﹁ルールを無視します﹂と私が一言言うだけで、ルールを無視できるというのは、なぜでしょう。そのような権限をTriglavさんが私に与えてくれるというのでしょうか?--218.216.99.67 2010年12月28日 (火) 23:38 (UTC) ﹁なぜそうするのか、そうする必要があるのか意味が分かりません﹂を、具体的に上記改名提案を意図して﹁姓 (かばね)﹂﹁大臣 (おおおみ)﹂﹁大麻 (おおぬさ)﹂を例示したのかどうかをお答えくださいに対する回答として受け取ってよろしいでしょうか。--Jms 2010年12月28日 (火) 23:53 (UTC) Jmsさんの言いたいことは理解できません。ガイドラインを改正するために、ガイドライン改正後の状態を前提として改名提案をする必要があるという点の意味が分からないと言っているのです。Jmsさんの問いとは本質的に異なるものです。--218.216.99.67 2010年12月29日 (水) 04:17 (UTC) ガイドラインの改訂が必要になるのは、十分な蓋然性のあるなんらかの不都合が、一定頻度を越えて存在している場合か、または、ガイドラインに矛盾が存在する場合でしょう。既に適切な曖昧さ回避がなされているものや、読みによらない曖昧さ回避で解決できそうなものを例示としても、それはそうした不都合の例とはならないでしょう、ということです。具体的不都合が存在しない状況で、現に行なわれている抑制的運用を覆す改訂は不要です。--Jms 2010年12月29日 (水) 04:56 (UTC) はいはい。ですから逆にガイドラインを変えて何かデメリットがあるのかという話をしているのです。必要に迫られて変えるだけが能ではないでしょう。--218.216.99.67 2010年12月29日 (水) 07:01 (UTC) デメリットは既に述べましたので繰り返しません。--Jms 2010年12月29日 (水) 07:11 (UTC) ◆﹁ルールを無視します﹂の宣言の後、もしそのルールを持ち出してくる相手の方が現れたら、即座に﹁その文章を支持されている理由はなんですか?﹂と聞いてあげることです。もし的確な説明が返ってきたら﹁あなたが指摘したルールの話しをその説明に置き換えましょう﹂と言い、説明できなかったら﹁残念ですが、今回の議論に反映させることはできません﹂とお断りしましょう。もしIP様に、これら相手の方への対応に抵抗があるのでしたら、この部分だけは私が割り込んで代行してもよいです。--Triglav 2010年12月29日 (水) 01:47 (UTC) ﹁私が割り込んで﹂何をするのでしょうか。 ルールがルールであるのは、手続きを踏んで皆の合意を得てルールになったからでしょう。消費税は5%ですが、﹁なぜ消費税は5%なんだ。理由を言わないと消費税を払わない。﹂と頑張ったところで、﹁国会でそう決まった﹂という回答以上のものは出てこないでしょう。Triglavさんの言っていることはこれと同じことではないですか。--218.216.99.67 2010年12月29日 (水) 04:17 (UTC) 以下にお返事します。--Triglav 2010年12月29日 (水) 12:57 (UTC) ◆ 英語版では﹁subject or context﹂であり、Wikipedia:曖昧さ回避#曖昧さ回避後の項目名でいうコンテクストすわち文章的記述 (例としては﹁神話上の人物﹂など) というのは別のことです。混同なさいませぬ様。集合論も経済学も立派に分野であって、Wikipedia:曖昧さ回避#曖昧さ回避後の項目名でいうコンテクストではありません。--Jms 2010年12月27日 (月) 05:08 (UTC) Jmsさんとの議論は、なぜか枝葉末節の議論になりますが、英語版の﹁subject or context﹂と、日本語版の﹁コンテクスト﹂︵文章的記述︶は同じ物を指していて、英語の﹁class﹂や日本語の﹁分野や分類﹂と対をなす概念です。英語の﹁class﹂の例ではMercury (element)、Seal (mammal)ですが﹁Mercury(水銀)はelement(元素)か?﹂﹁Seal(アザラシ)はmammal(哺乳類)か?﹂という問いの答えは﹁はい﹂ですし、日本語の﹁分野や分類﹂の例の﹁ひまわり (プログラミング言語)﹂では﹁ひまわりはプログラミング言語か?﹂という問いの答えは﹁はい﹂です。このように﹁分野﹂の場合は、トピックは括弧内に属する関係になっています。これに対し、英語の﹁subject or context﹂の例であるUnion (set theory)、Inflation (economics)では、﹁Union(結び)はset theory(集合論)か?﹂﹁Inflation(インフレ)はeconomics(経済学)か?﹂の答えは﹁いいえ﹂です。問題の﹁神話上の人物﹂を引用すると﹁もしも、曖昧さ回避をする際に、一般的な用語にするか、コンテクストを付け加えたものにするか迷ったときには、単純な方を選択してください。例えば、﹃神話上の人物﹄よりは﹃神話﹄を選んでください。﹂となっています。﹁アポロ(神話上の人物)﹂と﹁アポロ(神話)﹂とあったとき、﹁アポロは神話上の人物か?﹂と﹁アポロは神話か?﹂の答えは、前者は﹁はい﹂で後者は﹁いいえ﹂で、前者は﹁分野﹂後者は﹁コンテクスト﹂になりますが、引用文の﹁一般的な用語にするか、コンテクストを付け加えたものにするか﹂は、﹁一般的な用語=アポロ(神話上の人物)=分野による曖昧さ回避﹂﹁コンテクストを加えたもの=アポロ(神話)=コンテクストによる曖昧さ回避﹂と対応し、コンテクストである神話の方が単純なのでそちらを選択するということです。一般的には集合論も経済学も分野ですが、トピックとの関係で、コンテクストになっているということです。逆に、同じ﹁神話﹂でも﹁因幡の白兎(神話)﹂という関係であれば、因幡の白兎は神話ですから、分野(class)となります。--218.216.99.67 2010年12月27日 (月) 06:46 (UTC) 分類について﹁属する﹂を求めるのはわかりますが、分野について﹁属する﹂を求めるのはおかしいでしょう。Class に対応するのは分類であって、英語版で分野に対応するのは subject or context でしょう。日本語版では﹁コンテクスト (文章的記述)﹂とあるのですから、文章的記述によらない分野名を﹁曖昧さ回避﹂でのコンテクストに含めるべきではないでしょう。まぁ、いずれにせよ、このノートで議論することでもありますまい。--Jms 2010年12月27日 (月) 07:28 (UTC) ︵29日 (水) 04:17にお返事︶私が割り込んで﹁あなたに出来ないことをするのです﹂。改名提案を実施してみればわかりますよ。もっともそんな私の心配をよそにIP様は議論を上手に乗り切ってしまうかもしれません。 地方の道路は重点的な社会資本整備の恩恵を受けて、とても快適なものに生まれ変わりました。気分良く、アクセルもいつも以上に踏み込むものですから、さっそく月末のポイント不足でいら立っている白バイ隊員の餌食になってしまいます。すかさず言い訳をします﹁横から飛び出す者なんかいるわけない﹂﹁視野も広いし十分手前で止まれます﹂﹁流れに乗ったほうが事故が少ないんですよ﹂みんなこの速度制限に対して不満を持っていたのです。そこでIP様が各現場で問題を提起します。きっと大勢の人から賛同を受け、意見を集約してお望みの提案はあっという間に通ることでしょう。そしてついに念願のルール改定のその日がやってくるのです。 私もたとえ話が大好きです。規制緩和がお題なのですから、それっぽいものを出してみました。どうですか?やってみたくなったでしょ?改名提案。--Triglav 2010年12月29日 (水) 12:57 (UTC)
それで、スピード違反を白バイ隊員に食って掛かって、上手くいった例はあるのでしょうか。Triglavさんの例は、Triglavさんのやり方が間違っていることをいみじくも証明していると思います。--218.216.99.67 2011年1月4日 (火) 04:01 (UTC)
時速60kmから1kも超えたくないというIP様のお気持ちはご立派です。このようにルール厳守というもの自体は、ウィキペディアとしては大変喜ばしいことなのだと思います。IP様のお考えを尊重するために、それでは改名提案の事前議論を立ち上げてはいかがでしょうか?。これなら違反することなく改名提案と同じことを議論することができますよ。私もWikipedia空間などのルール変更にはよく使っています。--Triglav 2011年1月4日 (火) 04:55 (UTC)
すいません。﹁事前議論﹂とは何ですか。--218.216.99.67 2011年1月4日 (火) 23:41 (UTC)
簡単に言うと﹁私はこの記事名をこれこれに変えてみたいのですが、皆様はどの様にお考えでしょうか?﹂と聞いてみることです。改名は出来ませんが、意見は募集できます。--Triglav 2011年1月5日 (水) 11:06 (UTC)
理解を超えた提案ですね。よく使われているそうですが、リンクをいただけますか。正直言って﹁そういうことはガイドラインを変えてからしろ﹂という反応が返ってくると思います。本末転倒と言うのでしょうか。--218.216.99.67 2011年1月5日 (水) 12:12 (UTC)
︵ここの議論から離れて申し訳ないですが︶[4]→[5]、[6]→[7]、[8]→[9]などがあります。議論の冒頭で﹁このルールは無視してください﹂や﹁このルールについてどう考えてますか﹂と条件をつけるか、あるいは相手がこのルールでコメントしてきたら﹁とりあえず考えないでください﹂と反論するか、まったく無視してそれ以外のコメントのみ抽出してルール改定の協議に持ち込むかなど、やり方はいろいろあるでしょう。--Triglav 2011年1月5日 (水) 13:21 (UTC)
聖書に出てくる人名の表記
聖書の登場人物で﹁とりあえず﹃新共同訳﹄の表記に準ずるのがよいかと思います。﹂ということで、﹃新共同訳聖書﹄に準ずることになったようですが、佐波亘著﹃植村正久と其の時代﹄、﹃新聖書辞典﹄、﹃聖書翻訳を考える﹄︵いのちのことば社︶、鈴木範久著﹃聖書の日本語﹄︵岩波書店︶などをみればわかるように、新共同訳は日本語に大きな影響を与えた﹃文語訳聖書﹄の大正改訳の表記と異なっており、広く使われた慣用表現を変えてしまったことに対しては批判があります。新共同訳聖書はWCC系エキュメニズムという戦後一部で盛んであった運動を反映しているに過ぎないのであり、﹁聖書に出てくる人名の表記﹂を日本語に大きな影響を与えた文語訳の大正改訳聖書に準ずる表記にあらため、教会で公式に使われる翻訳聖書のうち、新共同訳一つではなく、複数の翻訳聖書で使われる表記を優先するように提案します。新共同訳でしか採用されていない表記が多くあります。--イザヤ 2011年1月22日 (土) 00:27 (UTC)
記事名の付け方冒頭文からすれば、各翻訳聖書の出版部数も考慮する必要があるかと思います。各翻訳聖書の出版部数情報は入手可能でしょうか。出版部数の確認が難しければ、刷数とその間隔から類推することは可能かもしれません。--Jms 2011年1月22日 (土) 00:37 (UTC)
コメント うーーーん……………
心情的には賛成したいところなのですが…そしてかなりの部分で正論を含んでいるとは思うのですが…
実際、﹁普及している新共同訳に準拠する﹂と言った方が、趣旨としては60点だったとしても、運用はラクだというのがあるのですよね…。逆に、﹁複数の翻訳聖書で使われる表記を優先する﹂とやると、趣旨としては100点だったとしても、運用は困難になるという…
﹁複数の翻訳聖書﹂という中に、何を入れるのかというところで意見が分かれるでしょうし、大変面倒になるのではと思います。日本語ヘクサプラは参考になるかもしれませんが…︵しかしこれには新改訳聖書は入っていません︶。…心情的にも、中立性の観点からも、賛成したいのはやまやまなのですが…
﹁いや、大変じゃない。具体案としてはこれこれ﹂と言われれば、賛成に転じる事は有り得ますが…--Kinno Angel 2011年1月22日 (土) 05:34 (UTC)
コメント﹁複数の翻訳聖書で使われる表記を優先するように提案します。﹂すみません。この言葉の意図が今ひとつ汲めないところがあります。主要日本語聖書を全部精査し一番使われている表記を採用すると言うことでしょうか。だとするとかえって混乱が…現状の私の見解は現在日本語話者にとって入手が容易な﹁一つの日本語聖書﹂に基づいた記事名にした方がすっきりすると思います。ただそれが必ずしも新共同訳である必要はないとも考えています。口語訳だってよいとおもいます。私自身は﹁新改訳﹂を常用していますので、jawpの記事名と違うことが往々にしてあることは承知しています。でも聖書記事に関するネーミングは私も前々から思うところあり、イザヤさんのご提案はいい機会だと思いました。プロジェクト:キリスト教で詰めた方がよいかと思います。--Sillago 2011年1月22日 (土) 06:25 (UTC)
それでは、プロジェクト:キリスト教で議論を継続します。議論に参加して下さりありがとうございました。--イザヤ 2011年2月1日 (火) 17:09 (UTC)
項目名に使用可能な文字
項目名に使用可能な文字について、確認を兼ねて提案します。
Wikipedia:表記ガイド#項目名を理由に記事יをヨッド (ヘブライ文字)へと移動したところ、アラビア文字記事があるからと差し戻されました。この件をめぐるやりとりは会話ページを御覧下さい。Category:アラビア文字とCategory:ハングルは確かに表記ガイドが規定する範囲外の文字が記事名に使われています。探すとルーン文字でÞとダガズ (ルーン文字)が混在、Category:ラテン文字は範囲外文字についても文字自体が記事名、Category:キリル文字及びCategory:ギリシア文字は範囲外文字についてはオト (キリル文字)、スティグマ (ギリシア文字)といった具合でした。これが記号や約物になると俄然アスタリスク、アンパサンドなのですが、その一方で倒置疑問符は¿です。
提案および確認したいことは、
(一)Wikipedia:表記ガイドで規定されている項目名についての使用可能文字範囲の記述をWikipedia:記事名の付け方にも含めること (﹁全角と半角の使い分け﹂あたりか)
(二)文字自体に関する記事を使用可能文字範囲から除外するかどうか、除外するにせよしないにせよ、その旨明示すべきではないか
です。文字自体に関する記事には百科事典的とは言えないものがある、といった指摘は今回の議論の対象外とさせてください。
わたくし自身は、文字の名前は Unicode で容易に調べがつくので文字に関する項目名は文字の名前を基本とし、文字そのものについてはリダイレクトで対処する、あたりが落としどこだと考えています。その場合、﹁項目名に使用可能な範囲外の文字に関する記事は、文字そのものではなく、文字の名前を項目名とします。文字自体は必要があればリダイレクトとしてください。﹂といった文面になりましょう。--Jms 2011年2月5日 (土) 19:42 (UTC) 節タイトル重複につき変更 --Jms 2011年2月5日 (土) 19:44 (UTC)
賛成 1.はアクセシビリティの観点からも妥当かと思います。そもそも既に﹁略号・記号・片仮名語﹂節の﹁略号 (アルファベットなど、頭字語も含む)、記号、片仮名語は基本的に用いず﹂にも該当しているような気もしなくもないです。2.はそもそもウィクショナリー行きじゃないでしょうか。--Kurz 2011年2月6日 (日) 10:00 (UTC)
賛成 ウィクショナリー行きであるかどうかはJmsさんが、議論の対象外とされた範疇であると思いますので、今回は触れません。--ジャムリン 2011年2月7日 (月) 11:34 (UTC)
確かに﹁記号、片仮名語は基本的に用いず﹂の範疇ですね。反対もなさそうですので、具体的改訂案をば。
1. 現行﹁全角と半角の使い分け﹂の指針列挙の第一項 (﹁カタカナは…﹂の前) として次を挿入
●JIS X 0201のラテン文字類、それ以外でJIS X 0208で規定されている文字 (ただし罫線素片、私用領域の文字︿いわゆる外字﹀を除く) だけを用いる。
2. ﹁略号・記号・片仮名語﹂の﹁記号、片仮名語は基本的に用いず﹂を﹁記号 (単独の文字を含みます)、片仮名語は基本的に用いず﹂とする。
いかがでしょうか。ウィクショナリー行きかどうかは議論の対象外だと宣言して始めてしまったので含めていませんが、含めるべきだということになれば、﹁単独の文字を含みます﹂にからめて書く手もあるかと思います。ただ、それは何を百科事典の記事とすべきかの問題であって、記事とすべき対象についての記事名をどうするかという﹁記事名の付け方﹂以前の問題だろう、とも思います。--Jms 2011年2月11日 (金) 04:36 (UTC)
一週間経過しましたが異論がありませんでしたので、本文に反映しました。なお、﹁(単独の文字を含みます)﹂は、直前の略号に関する括弧内にあわせて﹁(単独の文字を含む)﹂としました。--Jms 2011年2月18日 (金) 11:13 (UTC)
表記ガイドのルールは記事名にも適用されるか
見出し通りの件についてお伺いします。
先頃、﹃トロン:レガシー﹄﹃X-MEN:ファイナル ディシジョン﹄など、半角コロン﹁:﹂を名称に含む映画作品の記事が、コロンの直後に半角スペースを挿入した﹃トロン: レガシー﹄﹃X-MEN: ファイナル ディシジョン﹄といった記事名に移動されました。この改名について、移動した方に問い合わせたところ﹁コロンなどの半角記号は、表記ガイドに基づき後ろに半角スペースを入れるべきであり、またスペースがなければ記号としての意味を失う﹂とのお返事をいただいたのですが、確かに記事本文中はそうすべきであっても、記事名、しかも固有名詞である作品名の場合にまでその原則が適用されるのかどうか、今ひとつ納得できかねるところがあり、こちらでルールの解釈を確認させていただくことにしました。
ご参考までに、各作品の公式サイトなどでは﹃トロン‥レガシー﹄のように全角のコロンが使われており[10]、このコロンを半角に変換した表記が当初の記事名ということになります。問題は、半角コロンの後ろにはスペースを入れることになっているのだから記事名︵かつ固有名詞︶であってもそのようにすべきか、それとも元々の表記では全角コロンの後ろにスペースはないのだからコロンを半角にしてもスペースは入れずにおくべきか、どちらが記事名の付け方として適切なのか、ということですが、これについてご意見をお聞かせいただきたいと思います。
なお、上記の質問と回答などのやり取りはプロジェクト‐ノート:映画#事前提案なしに改名された記事の扱いについてにありますので、そちらもご参照ください。よろしくお願いします。--Yasu 2011年3月3日 (木) 14:58 (UTC)
- 一般論としては、リンクしやすいことという条件を通じて記事名は表記ガイドに従うことになります。例示されている映画については、英語の公式サイトを見るとやはりコロンに空白が続いています。原題ではコロンと空白が邦題ではいわゆる全角のコロンに置き換えられている場合、それを文字として扱うべきなのか、ロゴタイプの表現としてのグリフとして扱うべきなのかで違ってくるでしょう。従って、一般的な議論にはなじまないと思います。--Jms 2011年3月3日 (木) 17:54 (UTC)