出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
さんさ時雨︵さんさしぐれ︶とは、日本の宮城県に伝わる民謡のひとつ。
1589年、伊達政宗は会津地方の戦国大名、蘆名氏を、﹁摺上原の戦い﹂で撃破した。この戦いにより、蘆名氏は滅亡した。﹃さんさ時雨﹄は、伊達軍による勝ち戦の直後、伊達軍の将兵によって作られ、歌われたとされる民謡のこと。
また、一方で以下の記録も残されている。
1930年(昭和5年)3月20日、仙台協賛会発行﹁わしが国さ﹂第20号には、藤原非想庵︵藤原相之助︶が非想生という著名で﹁さんさしぐれの研究(1)﹂を投稿している。この研究では、この民謡は﹁地方の民謡﹂ではなく、中央から全国的に唄われていた小曲で、それが奥州で残っていた、というのである。発生時代は室町の頃であり、東北に伝達されたのも室町時代の末を下らない、と断言している。蘆名氏時代の会津若松でも唄われた形跡があり、伊達軍の将兵が作ったことを否定している。当時と現在︵昭和5年を指す︶では唄い方も曲風も大きく変わり、原形を留めていないのを嘆いている。
また、一番の歌詞の説明もこれに続く号に載せており、﹁時雨﹂と﹁濡れかかる﹂は一体的なもので、男女の濡れ場を表したものであるという。それ故、ご祝儀での祝い唄ということになったとも言っている。
関連項目[編集]
外部リンク[編集]