アメリカ麻雀
アメリカ麻雀︵アメリカマージャン︶は、アメリカ合衆国で遊ばれている麻雀である。英語では Mahjong, Mah-Jongg など、さまざまにつづられ、また Maj と略されることもある。
アメリカの麻雀牌
以下の説明は NMJL ルールに従い、Sandberg (2010) を元にしている。
アメリカの麻雀牌は、筒子(dots)・索子(bamboos, bams)・萬子(characters, craks)・風牌(winds)・三元牌(dragons)に加えて、8枚の花牌(flowers)と8枚のジョーカーを加えた152枚を使用する。三元牌は紅中を red dragon、緑発を green dragon、白板を white dragon︵または soap︶と呼ぶ。白板には四角い模様が描かれていることが多い。
筒子・索子・萬子の三つの種類をスートと呼ぶ。三元牌は紅中が萬子、緑発が索子、白板が筒子のスートに属する。風牌・花牌・ジョーカーはどのスートにも属さない。スートは役を作るときに重要になる。
中国麻雀と異なり、花牌を一枚だけさらすことはない。花牌もほかの牌と同じように扱われる。
通常、牌のほかにドミノと同様のラックを用いる。ラックは壁を作るためにも使われる。ラック上部は副露のために使われる。通常、点棒は使われない。
牌の上には通常インデックスが書かれており、数牌には 1-9 の数字、風牌には N E W S、三元牌には R G 0︵白板︶と書かれる︵三元牌には異なる字が書かれていることもある︶。花牌は赤と緑の二色にわかれ、それぞれ1から4までの数字が書かれるが、NMJL のルールでは花牌の色や数字に意味はない。
面子には同一牌の1枚(single)・2枚組(pair)・3枚組(pung)・4枚組(kong)・5枚組(quint)・6枚組(sextet)がある。したがって上がりの型は伝統的な四面子一雀頭の形をしていない。また、順子(chow)は存在しない。ジョーカーは3枚組以上でのみ使える︵5枚組・6枚組では必ずジョーカーが必要になる︶。ひとつの面子にジョーカーを何枚使ってもよく、ジョーカーだけの面子も認められる。他人が捨てた牌を使えるのは3枚組以上のとき︵または上がるとき︶のみである。捨てられたジョーカーを他人が使うことはできない。
歴史[編集]
アメリカ合衆国に麻雀がもたらされた最古の記録は、1893年のシカゴ万国博覧会において、当時イギリスの駐朝鮮公使で、中国のカードゲームの収集家として有名なウィリアム・ヘンリー・ウィルキンソンが麻雀を展示したことにはじまる[1]。このときは麻雀という名は知られておらず、中国式ドミノの一種の﹁Chung-Fat︵中発︶﹂として紹介されている。あくまで展示にすぎず、麻雀が実際に遊ばれたわけではない。ウィルキンソンの1895年の論文では﹁麻雀(ma chioh)﹂の語が出現するが、これは現在の麻雀とは別のゲームを指すようである[2]。 1920年以降に麻雀はアメリカ合衆国へ輸入された。当時の麻雀牌は主に牛骨で作られ、アメリカから牛の脛骨を輸出し、中国で加工して輸入した[3]。高価なものであったが、1920年代に麻雀はアメリカで大流行した。1924年にはエディ・カンターらが﹁Since Ma Is Playing Mah Jong﹂を歌い[4]、同年のブロードウェイ・ミュージカル﹃Sweet Little Devil﹄︵ジョージ・ガーシュウィン作曲︶でも﹁マージャン・ブルース﹂という曲が歌われている[5]。 スタンダード・オイルの社員として中国で働いていたジョゼフ・バブコックは、1920年に英語の麻雀ルールブック︵表紙の色から﹁Red Book﹂と呼ばれた︶を作り、輸入麻雀セットに添付した。この本に記されたルールは役などが単純化されていた。バブコックはハイフンつきでGが2つある﹁MAH-JONGG﹂を商標登録した。 ただし、必ずしもアメリカ合衆国でバブコックのルールが広く使われたわけではなく、バブコック以外の人の書いた本では中国のルールとほぼ同じルールになっていた。1924年にバブコックら数人によって公式ルール(American Official Laws of Mah-Jongg)が出版された。このルールは基本的に当時の中国ルールと同一だったが、七対子(Seven Twins)や緑一色(All Green)などの役を含んでいた。また、安上り対策として一飜縛り(One-Double game)と一色縛り(Cleared-Hand game)のオプションが設けられていた。 1930年代になると麻雀の流行にかげりがさした。その一方、ルールにさまざまな変更が加えられた。安上り対策として順子は数を制限するか、または禁止した。さらに、花牌やジョーカー︵ワイルドカード︶を加えたり、高い役を作りやすくするための手牌交換︵チャールストンと呼ばれる︶のルールを加えるなどの工夫が行われた。 1937年に全米マージャン連盟︵National Mah Jongg League、略称NMJL︶が成立し、公式ルールを発表した。NMJL ルールの特徴は、役が毎年変わることで、そのため競技者は NMJL が発行するルールブックを毎年購入する必要がある。NMJL のルールはほかの麻雀とは非常に大きく異なっている。 NMJL は毎年クルーズ船の中で1週間にわたる麻雀トーナメントを開催している[6]。 米軍ではこれとは別なルール︵ライト・パターソンルールと呼ばれる︶が知られる。こちらは花牌やジョーカーを使用しないが、チャールストンは含まれている。また多くの特殊な役がある[7]。 アメリカの麻雀の特徴として、競技者の多くがユダヤ人であること、主に女性によって競技されることが挙げられる[8]。道具・用語[編集]
ゲームの進行[編集]
アメリカの麻雀では親と子の点数計算上の区別がなく、連荘もないため、誰が最初の東家になるかは適当に決めてよい。 各人は壁牌として19枚を二段に重ねる。東家が2個のサイコロを振って開門位置を決める。手牌の枚数は日本の麻雀と同じ13枚︵東は14枚︶である。 手牌を得たのち、手牌交換︵チャールストン︶を行う。各人が同時に、以下の3段階で行われる。 (一)手牌のうち、不要な3枚を右隣︵下家︶に渡し、左隣︵上家︶から3枚を得る。 (二)手牌のうち、不要な3枚を対面に渡し、対面から3枚を得る。 (三)手牌のうち、不要な3枚を左隣︵上家︶に渡し、右隣︵下家︶から3枚を得る。 最後の段階で、手牌のうちに他人に渡したい牌が3枚に満たない場合は、受け取った牌をそのまま渡すことも可能である。このときは受け取った牌をめくって見てはならない。 チャールストンは2回行う。2回目は誰かがやりたくないと言えば省略されるが、普通は省略されない。2回目のチャールストンは1回目とは逆の手順を踏んで行われる。 チャールストン終了後、さらに合意があれば対面と手牌を交換することができる︵最大3枚︶。 以降は日本の麻雀とほぼ同様に進行する。上がるときには﹁Mah Jongg﹂と言う[9]。王牌は存在せず、すべての牌を使用する。暗槓をさらすことはないし、加槓もない。ドラや嶺上牌も存在しない。 ジョーカーを含む面子がさらされている時に、さらされているジョーカー以外の牌と同じ牌が手牌中にある︵または引いた︶場合、その牌をさらしてあるジョーカーと交換することができる。交換することによって和了した場合は、自摸とみなされる。点数[編集]
役がなければ上がることはできないが、役は毎年変わり、また NMJL が著作権を持っているため、ここに一覧を示すことはできない。ルールブックに﹁NEWS﹂と書いてある場合は、北・東・西・南を1枚ずつ含むことを意味する。﹁2015﹂とある場合は、同じスートの2・1・5および白板︵0を意味する︶を1枚ずつ揃える必要がある。﹁GGGG﹂とあれば、緑発の4枚組が必要である。役は青・赤・緑の三色で記してあり、たとえば青一色で記されている場合は、ひとつのスートのみを使わなければならない。門前のみの役(concealed hand)のものと、鳴いてよい役(exposed hand)がある。 役の最低点数は25点である。ロンの場合、放銃した者は点数の2倍を、それ以外の2人は点数だけを払う。自摸の場合、3人とも点数の2倍を払う。3枚以上の組をすべてジョーカーなしに作った場合は点数が2倍になる。脚注[編集]
(一)^ Stewart Culin (1895). Chinese Games with Dice and Dominoes. Washington: Government Printing Office. pp. 519-520
(二)^ Wilkinson, W.H (1895). “Chinese Origin of Playing Cards”. American Anthropologist 8 (1): 61-78. JSTOR 658442.
(三)^ Rep (2007) p.22
(四)^ Rep (2007) p.60
(五)^ Cavallaro & Luu (2005) p.50
(六)^ “Mah Jongg Cruise”. Mah Jongg Madness. 2015年11月2日閲覧。
(七)^ Rep (2007) p.90
(八)^ “American Mah-Jongg FAQs”. The MAH-JONGG FAQs. 2015年11月2日閲覧。
(九)^ NMJL の公式ルールでは実際に何と発声するかは定めていない。