アンナ・ボック
表示
アンナ・ボック Anna Boch | |
---|---|
1900年以前 | |
誕生日 | 1848年2月10日 |
出生地 | ベルギー エノー州サン=ヴァ |
死没年 | 1936年2月25日 (88歳没) |
死没地 | ベルギー ブリュッセル・イクセル区 |
国籍 | ベルギー |
運動・動向 | 新印象派、印象派 |
芸術分野 | 画家 |
アンナ・ボック︵Anna Rosalie Boch、1848年2月10日 - 1936年2月25日︶は、ベルギーの画家。
1890年
テオ・ヴァン・ライセルベルヒ筆﹁アトリエのアンナ・ボック﹂
︵1893年︶
1903年からブリュッセルのイクセル区に住み、1936年同地で没した[1]。
ジュリエット・サミュエル・ブラム﹁ アンナ・ボックの 胸像﹂
生涯[編集]
1848年、ロイヤル・ボック陶磁器社の創立者でビレロイ&ボッホ社の役員でもあった父ヴィクトル・ボックのもとに生まれた。弟は画家・詩人のウジェーヌ・ボック。 風景画家ピーター・ルートヴィヒ・キューネン、ユーフロジーヌ・ベールナールトの下で絵を勉強した。また友人イジドール・ヴェルヘイデンからも助言を受けた。1885年、20人展グループに唯一の女性会員として加入した。1886年、同グループの会員であったテオ・ファン・レイセルベルヘと知り合い、交友を深めた。同年から1993年にかけて20人展に出品する[1]。作品[編集]
新印象派のジョルジュ・スーラの理論と点描による明るい色彩に触れ、1889年-1890年頃の作品にはその顕著な影響が見られる。1890年代には、クロード・モネのような色彩分割による﹁風景の中の女性﹂︵1890年-1892年頃、アムステルダム市立美術館︶を描いている。その後、レイセルベルヘ、アルフレッド・フィンチ、ポール・シニャックのように色面を広げる手法を試み、﹁ブルターニュの海岸﹂シリーズ︵1900年-1902年︶を制作した。同シリーズの最も有名なものは1902年にベルギー政府により買い取られベルギー王立美術館に収蔵されている[2]。 20人展が解散し、レイセルベルヘもパリへ移住してしまうと、ボックの作風は少しずつ旧来の印象派に回帰していった。1914年以降は外出を控えるようになり、静物画や肖像画を主に描くようになった[3]。-
「ブルターニュの海岸」1900年-1902年頃。油彩、キャンバス、62 × 84 cm。
-
「シャクナゲの茂みで読書をする女性」
芸術家の支援[編集]
ボックは、無名の芸術家への支援を惜しまず、様々な画家の作品を買い取った。1927年、彼女はジェームズ・アンソールの﹁ロシアの音楽﹂︵1881年︶をベルギー王立美術館に寄贈している。また、シニャックの﹁岩の入江﹂︵1906年︶、スーラの﹁セーヌ川のグランド・ジャット島﹂︵1888年︶、ポール・ゴーギャンの﹁野原の会話﹂︵1888年︶を遺贈している。そのほか、エミール・ベルナール、アルベール・マルケ、ジョルジュ・レメン、フィンチ、ヤン・トーロップ、ギヨーム・ヴォーゲルス、Jefferys、ルイ・アルタン、アンリ・ド・グルー、フィンセント・ファン・ゴッホなどの作品を収集していた[4]。ゴッホは、弟ウジェーヌの友人であり、ゴッホから買い取った﹁赤い葡萄畑﹂は、ゴッホの生前に売れた唯一の作品であると一般に言われている︵他に売れた作品があるとする説もある︶。
脚注[編集]
参考文献[編集]
- Gaze, Delia (1997). Dictionary of women artists. 1. Taylor & Francis. pp. 281-283. ISBN 978-1-884964-21-3 2013年3月9日閲覧。
関連項目[編集]
外部リンク[編集]
- Anna Boch.com(英語)