アン・エリザベス・ボール
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アン・エリザベス・ボール Anne Elizabeth Ball | |
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![]() 左から右へ:兄ロバート、アン本人、義弟ベント、妹メアリー | |
生誕 |
1808年 アイルランド、コーク県コーヴ[1] |
死没 |
1872年(63 - 64歳没) アイルランド、ダブリン |
国籍 |
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研究分野 | 藻類学、植物学 |
プロジェクト:人物伝 |
アン・エリザベス・ボール︵英: Anne Elizabeth Ball, 1808年–1872年︶は、アイルランドの植物学者、藻類学研究者、植物画家。1808年、コーヴ生まれのボールには兄ロバート Robert Ball︵ナチュラリスト1802年 - 1857年︶と妹メアリー Mary Ball︵動物学者1812年 - 1898年︶がおり、3人とも父親ボブ・ストーウェル・ボールがそそいだ情熱を通じて博物学に興味を持った[2]。
経歴[編集]
1818年、ボールは家族に連れられて生まれ故郷のコーヴから県下のやはり港町のヨール Youghal に引っ越した。20歳を過ぎて海藻の収集と研究を始めた地である。1837年に妹メアリーと父と3人でダブリンに移り、残りの人生を過ごす。ダブリンでも藻類の収集を続け、当地の科学者の団体にこそ正会員として認められなかったものの、藻類学者として地歩を固めている[3]。ただし当時の習慣にしたがい、アン・ボールの研究成果は男性のナチュラリスト、つまり兄の友人ウィリアム・ヘンリー・ハーヴィーあるいは探検家ジェームズ・マッケイを著者として出版された。それでも誰が研究して誰が成果の発表者になるか、その関係は一方的ではなく、ハーベイはボールの仕事を支えて励し、属と種の命名にあたり﹁バリヤ﹂Ballia[4] と﹁シオグサバリアナ﹂Cladophora balliana を献名した。ボールは後者のタイプ標本を1843年5月16日にダブリンのクロンターフで 採取した[4] [5]。またハーベイの﹃ブリタニカ百科事典﹄︵1846年–1851年︶にも協力している。ボールが力を貸した相手にはウィリアム・トンプソンもおり、ハイドロイドの図解を添えた記録を寄稿し、﹃アイルランド自然史﹄第4巻︵1856年︶に掲載された。レガシー[編集]
ボールは1872年にダブリンのベルモント通りの自宅で亡くなる。独身であり遺されたコレクションはユニバーシティ・カレッジ・コークの植物標本室に保管された。グラスネヴィンの王立植物園︵後のアイルランド国立植物園︶ではボールの海藻と菌類の絵を入手、アルスター博物館にも収蔵される。キューガーデンはボールの書簡と植物標本を所蔵 [2]、受託した標本はおそらくモートン協定︵Morton Agreement︶の条件により1961年頃にロンドン自然史博物館に移管された[6]ものである。脚注[編集]
(一)^ Chesney, Helena C. G. (2004). "Ball, Robert (1802–1857), naturalist". Oxford Dictionary of National Biography (英語) (online ed.). Oxford University Press. doi:10.1093/ref:odnb/56445. 2012年10月19日閲覧。 (要購読、またはイギリス公立図書館への会員加入。)
(二)^ abBDWS 2000, p. 73.
(三)^ Ó Nuallain, Fiann (2016年2月27日). “A look back on Cobh's horticultural heroine, Anne Elizabeth Ball”. Irish Examiner 2019年8月27日閲覧。
(四)^ ab“Anne Elizabeth Ball”. herbaria@home. Botanical Society of Britain and Ireland. 2014年2月4日閲覧。
(五)^ Stevens, Haines 2001, p. 17.
(六)^ “Ball, Anne Elizabeth (1808–1872)”. JStor Plant Science. 2012年10月19日閲覧。