イナ・バウアー
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生誕 |
1941年1月31日 クレーフェルト | |||
死没 | 2014年12月13日(73歳没) | |||
選手情報 | ||||
代表国 | 西ドイツ | |||
引退 | 1960年 |
イナ・バウアー=ツェーネス︵Ina Bauer-Szenes , 1941年1月31日 - 2014年12月13日[1]︶は、1950年代に活躍した旧西ドイツのフィギュアスケート選手。
経歴[編集]
1957-1959年の3年間、ドイツチャンピオンとなり、1959年欧州選手権4位、1958年世界フィギュアスケート選手権4位、1959年も4位だった。 1968年までのフィギュアスケート競技会は規定の得点が6割も占め、彼女はコンパルソリーを苦手としていたので国際大会でメダルに手が届かなかった。米国コロラドスプリングスで、エドゥアルド・スコルダンのもとでスケートを学び、そこでムーヴズインザフィールドのひとつ、イナバウアーを生み出す。 1960年の欧州選手権のコンパルソリーを終えた時点で、父親からのプレッシャーに耐えられずにショートプログラム前に大会を棄権して、アマチュアを引退した。当時スキャンダルと騒がれた。 現役引退後は映画に出演したり、アメリカでアイスショー﹁アイス・フォリーズ﹂に出演した。ここで滑ったことで、イナバウアーが広く知られるようになった[2]。ハンガリーのフィギュアスケーター、イシュトヴァン・セネシュと結婚。[3]後に地元のクレーフェルトで手工業ビジネスを立ち上げたり、クレーフェルトのフィギュアスケートクラブでコーチを務めるなどした。 2014年12月13日に死去。73歳[1]イナ・バウアー杯[編集]
彼女の地元、クレーフェルトのアイスリンクでは彼女の名前を冠した大会Ina-Bauer-Pokal︵イナ・バウアー杯︶があり、2012年で33回目になる。この大会は国際大会とは違い、ノービス、ジュニア、初心者などの愛好者を対象としている。しかしこの大会で2005年に優勝したニコル・ショットはドイツ選手権でも優勝している。[4]戦績[編集]
大会 | 1955-56 | 1956-57 | 1957-58 | 1958-59 | 1959-60 |
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世界選手権 | 20 | 11 | 4 | 4 | |
欧州選手権 | 13 | 10 | 4 | 棄権 | |
ドイツ選手権 | 2 | 1 | 1 | 1 |