ウィリアム・ハミルトン (好古家)
ウィリアム・ハミルトン︵英語: William Hamilton、1630年代 – 1724年︶は、スコットランド出身の好古家。著作に﹃Account of the Shyres of Renfrew and Lanark﹄︵レンフルーとラナーク2州の記述︶がある[1]。
生涯[編集]
ウィリアム・ハミルトン︵William Hamilton、1636年没、ジョン・ハミルトンの息子︶とビアトリクス︵Beatrix、旧姓ダグラス︵Douglas、ジェームズ・ダグラスの娘︶の三男として、1630年代に生まれた[2]。兄ジェームズ︵1654年までに没︶とジョン︵1666年没︶が息子のないまま死去したため[3]、ウィリアムは1666年にラナークシャーにおけるウィショーの地所を継承した[1]。 弁護士業に向けた教育を受け、1662年よりエディンバラで法廷外弁護士︵Writer to The Signet︶として開業した[2]。好古家と系譜学者としての名声があり、同時代の歴史学者・系譜学者ジョージ・クロフォードはハミルトンを﹁名高い好古家﹂︵that fam'd antiquary︶と呼称したほか[1][3]、好古家アレクサンダー・ニスベットは著作﹃紋章学の制度﹄︵System of Heraldry、1722年︶でハミルトンに恩義を感じると記述している[2][3]。 現存する著作は﹃Account of the Shyres of Renfrew and Lanark﹄︵レンフルーとラナーク2州の記述︶という手稿︵スコットランド国立図書館所蔵[2]︶1件のみであり、その成立時期は1696年から1710年までとされる[1]。クロフォードとニスベットにとってこの著作は参考になったが、著作自体は長らく手稿のまま出版されず、1831年にウィリアム・マザーウェルの編集を経てメイトランド・クラブから出版された[1][4]。 1724年に死去、1人目の妻との間の息子ロバートの息子ウィリアムが領地を継承した[2]。著作[編集]
●Hamilton, William (1831). Descriptions of the Sheriffdoms of Lanark and Renfrew (英語). Glasgow: Hutchison and Brookman.家族[編集]
1660年にいとこにあたるアン・ハミルトン︵Anne Hamilton、1671年没、ジョン・ハミルトンの娘[2]︶と結婚、6男1女をもうけた[1]。 ●ウィリアム︵1661年5月4日 – 1724年以前︶ - 生涯未婚[3] ●ロバート︵1664年7月6日 ウィショー – 1724年までに没︶ - 1686年にジーン・ハミルトン︵Jean Hamilton、ロバート・ハミルトンの長女︶と結婚、5男をもうけた[3]。 ●ウィリアム - 早世[3] ●ウィリアム︵1690年2月2日 – 1756年4月16日︶ - 1724年に祖父からウィショーの地所を継承した[1]。ウィリアムの息子ロバート︵1731年5月3日 – 1784年3月27日︶はベルヘイヴン=ステントン卿位の継承規定に基づき1777年に爵位を継承したが、爵位の称号を使用したことはなく、その息子ウィリアム︵1765年1月13日 – 1814年10月29日︶がはじめて爵位の称号を使用した[3] ●ロバート︵1691年3月3日 – 1765年7月13日︶ - 1721年3月9日、セシル・ボーランド︵Cecil Borland、1765年までに没、フランシス・ボーランドの娘︶と結婚、3男2女をもうけた[3] ●ジョン︵1692年9月27日[3] – ?︶ ●ジェームズ︵1700年9月25日 – 1769年11月28日埋葬︶ - 1736年11月10日にアンドルー・ベイリー︵Andrew Baillie︶の娘︵1758年4月22日埋葬。名はヘレン︵Helen︶かネリー︵Nellie︶とされる︶と結婚、5男をもうけた。その後、エリザベス・カニンガム︵Elizabeth Cunningham、ウィリアム・カニンガムの娘︶と再婚[3] ●ジェームズ︵1666年1月10日 エディンバラ – ?︶ - 子供なし[3] ●アーチボルド︵1667年1月22日 エディンバラ – ?︶ - ハミルトン氏︵Miss Hamilton︶と結婚、子供あり[3] ●ジョン︵1667年11月30日 エディンバラ – ?︶ - 子供なし[3] ●トマス︵1669年10月9日 ウィショー – ?︶ - 早世[3] ●マーガレット - クリーランド氏︵Cleland︶と結婚[3] 1676年8月31日、メアリー・アースキン︵Mary Erskine、1694年没、第19代マー伯爵ジョン・アースキンの息子サー・チャールズ・アースキンの娘︶と再婚、5男6女をもうけた[2][1]。
●ヘレン - 1694年3月31日、アンドルー・ベイリー︵Andrew Baillie︶と結婚、1男1女をもうけた[3]
●チャールズ︵1678年12月17日 – ?︶ - 1699年、ユーフェミア・ハミルトン︵Euphemia Hamilton、初代準男爵サー・アーチボルド・ハミルトンの娘︶と結婚、2男2女をもうけたが、息子ウィリアム︵1700年12月28日 – ?︶とアーチボルド︵1703年1月7日 – ?︶は早世した[3]
●ジョン︵1680年11月30日 – 1757年1月25日 エディンバラ︶ - ジャコバイト[3]。ジーン・ガースショア︵Jean Garthshore︶と結婚、2女をもうけた[3]
●キャサリン︵1682年5月13日 – 1758年3月3日︶ - デイヴィッド・ピトケアン︵David Pitcairn、1674年ごろ – 1757年4月18日︶と結婚、子供あり[3]
●ウィリアム︵1685年8月5日 – 1754年1月15日︶ - 弁護士。ヘレン・ヘイ︵Helen Hay、デイヴィッド・ヘイの娘︶と結婚、2男をもうけたが、長男ロバート︵1724年 – 1737年︶は早世した[3]。ウィリアム・ジェラード・ハミルトンの父[3]
●トマス︵1687年8月13日 – 1758年以前︶ - 陸軍士官、生涯未婚[3]
●メアリー - デイヴィッド・バルフォア︵David Balfour、サー・マイケル・バルフォアの息子︶と結婚、子供なし[3]
●クリスチャン - 早世[3]
●アン︵1692年2月11日 – ?︶ - ジェームズ・ボグル︵James Bogle︶と結婚、子供あり[3]
●アレクサンダー︵1693年5月21日 – 1781年︶ - 1人目の妻フランシス・ダルゼル︵Frances Dalzell︶との間に子供はいなかった[3]。2人目の妻バーバラ・リリー︵Barbara Lilley︶との間で5男をもうけ、うち四男アレクサンダーは夭折、次男ジョン・ロバートと五男アレクサンダー・リリーは早世した[3]。三男はコルチェスター大執事アンソニー・ハミルトン︵1739年 – 1812年[3]︶
出典[編集]
- ^ a b c d e f g h Millar, Alexander Hastie (1890). Stephen, Leslie; Lee, Sidney (eds.). Dictionary of National Biography (英語). Vol. 24. London: Smith, Elder & Co. pp. 220–221. . In
- ^ a b c d e f g Millar, Alexander Hastie; Du Toit, Alexander (23 September 2004). "Hamilton, William". Oxford Dictionary of National Biography (英語) (online ed.). Oxford University Press. doi:10.1093/ref:odnb/12135。 (要購読、またはイギリス公立図書館への会員加入。)
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z aa ab ac Paul, James Balfour, Sir, ed. (1905). The Scots Peerage (英語). Vol. II. Edinburgh: David Douglas. pp. 48–55.
- ^ Hamilton, William (1831). Descriptions of the Sheriffdoms of Lanark and Renfrew (英語). Glasgow: Hutchison and Brookman.