ジャコバイト

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ジョン・ペティ画『ジャコバイト』、1874年作

: Jacobite16882Jacobus

[]

2
3

16882223231701

2

2


[]


2

[]


322




[]


17071715

2

[]


21414

[]


17151745the Fifteenthe Forty-Five[1]17181745

[]

2

322168921514553169071169110

2

ウィリアム3世暗殺未遂事件(1696年)[編集]

別名フェンウィック陰謀事件とも呼ばれるこの事件は、1696年当時、大同盟戦争で不利な状況にあったフランスが黒幕であった。ジェームズの庶子ベリック公がその任を受け、イングランドに渡りジャコバイトを組織化してクーデターを計画したが、2月22日に露見し、300人以上が逮捕されることとなった。しかし、このクーデターに参加した者ないし積極的に反対しなかった者の中には大物政治家・軍人が多数含まれており、名誉革命体制がいまだ砂上の楼閣であることを印象づけた。

1715年の反乱[編集]

ジェームズ・フランシス・エドワード(老僣王)

the 'Fifteen15171411112523

171517131

117159610611131114121324

1722[]


1722

1721172211722419


1745年の反乱[編集]

チャールズ・エドワード・ステュアート(若僭王)

1745姿

173917401742174321745318


157the 'Forty-Five126退17464162Butcher

1746

[]



[]


1688

20


[]


姿2142

[]


18861889192621

ジャコバイト王位請求者[編集]

熱心なジャコバイトは1745年以降も独自の王を立て、現在も引き継がれている。しかし王位を主張したのは18世紀の間のみであり、それ以降は少数のジャコバイトによって信奉されるにとどまっている。

ジェームズ2世の直系は1807年に断絶した。以後、形式上の継承者は存在しているが、いずれも王位を主張していない。

文学作品[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 山本正『図説 アイルランドの歴史』河出書房新社、2017年、70頁。ISBN 978-4-309-76253-1 

参考文献[編集]

  • 今井宏編『世界歴史大系 イギリス史2 近世』、山川出版社、1990年。 ISBN 4-634-46020-3
  • 大久保桂子「名誉革命体制とジャコバイト問題」『史学雑誌』94編12号、1985年
  • 同「いまなぜジャコバイトなのか」『イギリス史研究』37号、1985年
  • 浦田早苗「ジャコバイト史観(1) - (5)」、駒澤大学法学部
    1. 『政治学論集』第50号、pp137-157、1999年
    2. 『法学論集』第60号、pp77-100、2000年
    3. 『政治学論集』第52号、pp1-22、2000年
    4. 『法学論集』第62号、pp33-56、2001年
    5. 『駒澤法学』第2号、pp29-48、2001年
  • 同「1715-45年におけるジャコバイトと英国の議会政治」、『政治学論集』第38号、駒澤大学法学部、1993年
  • 近藤和彦編『長い18世紀のイギリス その政治社会』、山川出版社、2002年。 ISBN 4-634-64710-9
  • 浜林正夫『イギリス名誉革命史』(上・下)、未來社、1981-83年(上)ISBN 4-624-11055-2(下)ISBN 4-624-11056-0
  • 松園伸『イギリス議会政治の形成』、早稲田大学出版部、1994年。 ISBN 4-657-94422-3
  • 村岡健次・川北稔編著『イギリス近代史 宗教改革から現代まで』、ミネルヴァ書房、1986年。 ISBN 4-623-01649-8
  • 森護『英国王室史事典』、大修館書店、1994年。 ISBN 4-469-01240-8

外部リンク[編集]