ジャコバイト
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概要[編集]
ジャコバイトとそれを支援する勢力[編集]
前述のとおり、名誉革命後も王位は世襲によって守られるべきであり、議会が王位継承に関与すべきでないという考え方は依然根強かった。このイデオロギーはイングランド内外で一定の支持をあつめ、ジェームズ2世とその後裔が核となった。ジャコバイトは特にスコットランドやフランスで強く、イングランドの外側からうかがう形が多かった。ここでは、イングランド、スコットランド、アイルランド、そしてブリテン諸島以外のジャコバイト、および支援した勢力・イデオロギーなどについて言及する。イングランドのジャコバイト[編集]
イングランド内では、ジャコバイトが高度に組織化されることはあまりなかったものの、ウィリアム3世・メアリー2世両王よりジェームズ2世を依然支持する声もあった。特に保守派であったトーリーに多かったといわれるが、その中でも公然とジャコバイトであると言明する者から、板挟みになって悩む者、名誉革命を支持する者など多様な反応に分かれた。 これはトーリーは世襲君主政の原則を尊重しており、この意味では正嫡継承を主張するジャコバイトの立場に近かったためである。一方でトーリーは国教会維持の性格も併せ持っており、カトリック信者のジェームズを王に戴くことへの疑問もあった。しかし議会での反対勢力であるホイッグのウォルポールがおしすすめた﹁ジャコバイトは危険分子である﹂というキャンペーンや国際情勢から、公然とジャコバイトを名乗ることは次第に政治生命を危険にさらす行為となっていった。 またこれとは別に、その時々の体制に不満を持つ者や失地回復を望む者が、ホイッグ・トーリーに関わらず、亡命したステュアート家に希望を託すためにジャコバイトとなる例もあった。スコットランド・アイルランドのジャコバイト[編集]
ジャコバイトの最大の支持基盤がスコットランド、特にハイランド地方であった。もともとスコットランドにはイングランドとの根深い対立意識があったばかりでなく、ステュアート家がスコットランド出身ということもあって、スコットランド人はジェームズに同情的であった。特に1707年に批准されたイングランド・スコットランド合同法は、歴史的・宗教的対立を抑えこんで経済的利益を優先させたものであったが、すぐにはスコットランド側が期待していたほどの利益をもたらさず、イングランドに対する不満は高まっていた。1715年の反乱ではマー伯ジョン・アースキンという指導者を得て、スコットランドのほとんどが反乱軍の手に落ちた。 一方アイルランドでは、宗教的側面からジェームズが支持された。清教徒革命以降、アイルランドは少数の国教徒が多数のカトリック信徒を支配する構図が成立しており、カトリックに対する宗教的寛容を求めてジャコバイトとなる者が少なくなかった。ジェームズ2世からアイルランドの統治を任されたティアコネル伯リチャード・タルボットは、カトリック支配の浸透とジャコバイトの拡大に尽くしてアイルランドの大半を制圧、アイルランドをジャコバイトの拠点に変えていった。国外の支援[編集]
ジェームズ2世はカトリックであった。このためカトリック国でもあり、大同盟戦争におけるイングランドの敵対国でもあったフランスは、ジャコバイトを積極的に支援した。特にルイ14世はこの支援に熱心であり、その在位中はジャコバイト運動が盛んであった。ルイ14世没後は、ジャコバイトやステュアート家に冷淡になったフランスに代わって、イタリア諸都市やスウェーデン、スペインなどが後ろ盾となった。ジャコバイト運動の経緯[編集]
ジャコバイトはフランスなど海外勢力の後押しを受けて、イングランド内外で大小さまざまな政治的・軍事的行動を起こし、ステュアート朝の復活を企図した。特に1715年と1745年の反乱はそれぞれ﹁the Fifteen﹂﹁the Forty-Five﹂と呼ばれ[1]、イングランドの人々の記憶に長く残る事件となった。後述するこうした反乱などに、17世紀末から18世紀前半の革命政府はすくなからず動揺した。しかし1745年の反乱以降、ジャコバイトが組織化されることはほぼなくなり、名誉革命転覆の危機はひとまず去った。ウィリアマイト戦争[編集]
ウィリアム3世暗殺未遂事件(1696年)[編集]
別名フェンウィック陰謀事件とも呼ばれるこの事件は、1696年当時、大同盟戦争で不利な状況にあったフランスが黒幕であった。ジェームズの庶子ベリック公がその任を受け、イングランドに渡りジャコバイトを組織化してクーデターを計画したが、2月22日に露見し、300人以上が逮捕されることとなった。しかし、このクーデターに参加した者ないし積極的に反対しなかった者の中には大物政治家・軍人が多数含まれており、名誉革命体制がいまだ砂上の楼閣であることを印象づけた。
1715年の反乱[編集]
アタベリ陰謀事件︵1722年︶[編集]
1745年の反乱[編集]
ジャコバイト運動について[編集]
ジャコバイトは名誉革命を批判し、ステュアート朝を復興させることを目的としていたが、それが結果的に野党や反体制派を、名誉革命転覆を狙うジャコバイトとしてレッテル貼りをするという事態をまねき、彼らを封じ込めたのである。ジャコバイトと見なされたトーリーはもはやウォルポール政権に対抗しえず、ホイッグ対トーリーという対決の図式はより複雑なものとなっていった。ホイッグ党の政略[編集]
名誉革命は1688年に起こったが、すべての人々に支持された革命ではなく、議会が王位継承問題にまで口出しすることの正当性を疑問視する声も小さくなかった。こうした言説は主にトーリー議員たちから発せられた。さらに相次ぐ国内・国外の武力衝突など、名誉革命後の権力体制は盤石とはほど遠い状態にあった。革命を支持する人々は、革命を称揚し、反対勢力を封じ込める必要に迫られていた。 そこで政権は、敵対国フランスなどカトリック勢力とジャコバイトを結びつけ、イギリスの共通の敵というキャンペーンを張った。とりわけウォルポールは政敵に﹁名誉革命体制の転覆を狙う危険分子﹂というレッテルを貼りつけ、異端化することにより、20年以上にわたる長期政権の安定を得た。 こうしたキャンペーンは、ジャコバイトに同情的であった人々をも変化させていった。ジャコバイトと見なされることは政治生命にかかわることになり、たとえステュアート家に想いを寄せていても、それを公言することはできなくなっていった。政治家たちの対立軸は名誉革命体制対ジャコバイトから、どちらがより名誉革命体制の忠実な後継者であるかを争う図式となっていき、結果的に名誉革命体制は強化され、ジャコバイトの存在感は急速に薄れていった。そして、議会内の対立構図はホイッグ対トーリーからコート対カントリという図式も交え、複雑に交錯してゆくことになった。ジャコバイト運動失敗[編集]
ジャコバイト運動が成功しなかった理由は第一に、イングランドの人々がカトリックの君主を拒否し続けたことである。ジャコバイトのシンボルであるジェームズ老僣王らステュアート家の後継者はカトリック信仰を捨てようとしなかったが、こうした姿勢はイングランドでは到底支持され得ず、ジャコバイトをも落胆させた。第2に、ルイ14世以降のフランスに、ジャコバイトを本格的に支援する熱意と余力がなかったことである。名誉革命以降、フランスは局地戦において豊かな戦闘経験を活かして勝利をえたことはあったものの、財政基盤がイギリスに比べてはるかに脆弱であり、長期戦になると息切れしていった。こうしてイギリスはアメリカ独立戦争を除いてフランスとの﹁第2次百年戦争﹂でおおむね勝利をかちとることができた。ネオ・ジャコバイト[編集]
1886年に白薔薇団と称するジャコバイト団体が結成された。1889年にはヴィクトリア女王をはじめとする王室メンバーからの出品も受けたステュアート朝に関する展示会がロンドンで開かれてステュアート朝についての関心が高まったこともあって、ザ・フワールウィンドというジャコバイトの新聞も発刊された。これらネオ・ジャコバイトは、カトリック解放やアイルランドやスコットランドのナショナリズムを支持する人々の一部からの支持を集めた。しかし、第一次世界大戦でこれらのネオ・ジャコバイトの動きは雲散した。運動再興のため、1926年にロイヤル・ステュアート・ソサエティが結成されたが、この結社は21世紀においても活動している。ジャコバイト王位請求者[編集]
熱心なジャコバイトは1745年以降も独自の王を立て、現在も引き継がれている。しかし王位を主張したのは18世紀の間のみであり、それ以降は少数のジャコバイトによって信奉されるにとどまっている。
- ジェームズ2世/7世(在位:1685年 - 1701年)
- ジェームズ3世/8世(“老僭王”、在位:1701年 - 1766年)
- チャールズ3世(“若僭王”、在位:1766年 - 1788年)
- ヘンリー9世/1世(在位:1788年 - 1807年)
ジェームズ2世の直系は1807年に断絶した。以後、形式上の継承者は存在しているが、いずれも王位を主張していない。
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| マージョリー・ブルース |
| デイヴィッド2世 |
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エリザベス・ミュア |
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| (2)ロバート3世 |
| アナベラ・ドラモンド |
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| (3)ジェームズ1世 |
| ジョーン・ボーフォート |
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| メアリー・オブ・グエルダース |
| (4)ジェームズ2世 |
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マーガレット・オブ・デンマーク |
| (5)ジェームズ3世 |
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| ヘンリー7世 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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| (6)ジェームズ4世 |
| マーガレット・テューダー |
| アーチボルド・ダグラス |
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| ヘンリー8世 |
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メアリー・オブ・ギーズ |
| (7)ジェームズ5世 |
| マーガレット・ダグラス |
| マシュー・ステュアート |
| メアリー1世 |
| エリザベス1世 |
| エドワード6世 |
| フランセス・ブランドン | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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フランス王 フランソワ2世 |
| (8)メアリー1世 |
| ヘンリー・ステュアート |
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| ジェーン・グレイ | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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| (9,I)ジェームズ6世/1世 |
| アン・オブ・デンマーク | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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| ヘンリエッタ・マリア・オブ・フランス |
| (10,II)チャールズ1世 |
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| エリザベス (プファルツ選帝侯妃) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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キャサリン・オブ・ブラガンザ |
| (11,III)チャールズ2世 |
| メアリー・ヘンリエッタ |
| オラニエ公ウィレム2世 (オランダ総督) |
| アン・ハイド |
| (12,IV)ジェームズ7世/2世 |
| メアリー・オブ・モデナ |
| ヘンリエッタ・アン |
| オルレアン公 フィリップ1世 |
| ゾフィー (ハノーファー選帝侯妃) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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| (庶子多数) |
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| (13,V)ウィリアム2世/3世 |
| (13,V)メアリー2世 | (14,VI)アン |
| ジョージ・オブ・デンマーク | ジェームズ (老僭王) |
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| ジョージ1世 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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| (夭逝) |
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| チャールズ (若僭王) |
| ヘンリー・ベネディクト |
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- 凡例
文学作品[編集]
- ロバート・ルイス・スティーヴンソン『誘拐されて』(『さらわれたデービッド』とする日本語版もある)
- ロバート・ルイス・スティーヴンソン『バラントレーの若殿』
脚注[編集]
- ^ 山本正『図説 アイルランドの歴史』河出書房新社、2017年、70頁。ISBN 978-4-309-76253-1。
参考文献[編集]
- 今井宏編『世界歴史大系 イギリス史2 近世』、山川出版社、1990年。 ISBN 4-634-46020-3
- 大久保桂子「名誉革命体制とジャコバイト問題」『史学雑誌』94編12号、1985年
- 同「いまなぜジャコバイトなのか」『イギリス史研究』37号、1985年
- 浦田早苗「ジャコバイト史観(1) - (5)」、駒澤大学法学部
- 『政治学論集』第50号、pp137-157、1999年
- 『法学論集』第60号、pp77-100、2000年
- 『政治学論集』第52号、pp1-22、2000年
- 『法学論集』第62号、pp33-56、2001年
- 『駒澤法学』第2号、pp29-48、2001年
- 同「1715-45年におけるジャコバイトと英国の議会政治」、『政治学論集』第38号、駒澤大学法学部、1993年
- 近藤和彦編『長い18世紀のイギリス その政治社会』、山川出版社、2002年。 ISBN 4-634-64710-9
- 浜林正夫『イギリス名誉革命史』(上・下)、未來社、1981-83年(上)ISBN 4-624-11055-2(下)ISBN 4-624-11056-0
- 松園伸『イギリス議会政治の形成』、早稲田大学出版部、1994年。 ISBN 4-657-94422-3
- 村岡健次・川北稔編著『イギリス近代史 宗教改革から現代まで』、ミネルヴァ書房、1986年。 ISBN 4-623-01649-8
- 森護『英国王室史事典』、大修館書店、1994年。 ISBN 4-469-01240-8