ガストン・ティサンディエ
人物情報 | |
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生誕 |
1843年11月21日 フランス王国・パリ3区 |
死没 |
1899年8月30日(55歳没) フランス共和国・パリ11区 |
居住 | フランス・パリ |
国籍 | フランス |
出身校 |
リセ・コンドルセ フランス国立工芸院 |
配偶者 | あり |
子供 | ポール・ティサンディエ |
学問 | |
時代 |
フランス帝国 フランス共和国 |
活動地域 | フランス |
研究分野 | 航空工学 気象学 物理学 化学 |
研究機関 | フランス航空協会 |
主な業績 |
科学雑誌「ラ・ナテュール」編集長 フランスにおける気球航空の先駆者 |
学会 |
フランス航空協会 フランス気象学会 フォトクラブ・デ・パリ |
主な受賞歴 |
フランス航空協会金メダル アルフォンス・ペノー賞 フランス国民産業振興協会金賞 レジオンドヌール勲章シュヴァリエ |
署名 | |
ガストン・ティサンディエ︵Gaston Tissandier 、1843年11月21日 – 1899年8月30日︶はフランスの化学者、気象学者、気球乗り、著述家である。1870年、普仏戦争時に包囲されたパリから気球で脱出したことで有名。科学雑誌、"La Nature"の編集者であり、いくつかの著述を残した。
兄はイラストレーターのアルベール・ティサンディエ︵Albert Tissandier 、1839年-1906年︶であり、息子のポール・ティサンディエ(Paul Tissandier 、1881年-1944年︶も航空の分野で活躍した。
1883年10月8日の電気駆動の飛行船
1883年10月8日にティサンディエは飛行船に電気機で駆動するプロペラを取り付け、これが史上最初の電動航空機による飛行となった。
フランス科学アカデミーに気象学分野の報告書を提出した。1873年には週刊の科学雑誌、ラ・ナテュールを創刊し1896年まで編集を行った。この雑誌はその後も発行が続けられた。
経歴[編集]
1843年にパリに生まれた。化学を学び、1864年にUnion nationalesの実験室の室長になった。工学協会の教師も気象学への興味から、気球に乗り始めた。1868年、クロード=ジュール・デュフール︵Claude-Jules Dufour ︶とともに初めてカレーから気球に乗った。気球は風によって海に流されたが、上空の逆向きの風に乗って陸に戻ることができた。1870年には普仏戦争で包囲されたパリから気球で脱出した。1875年4月にはJoseph Croce-Spinelliと Théodore Sivelとともに気球で8,600mの高さに達したが、2人の同僚は酸素不足で死に、ティサンディエは生き残ったが、聴力を失った。気球による航空記録 (一部)[編集]
著書[編集]
受賞歴[編集]
脚注[編集]
- ^ “En ballon ! Pendant le Siège de Paris - Gaston Tissandier”. 19-11-2021閲覧。.
- ^ Ombres extraordinaires
- ^ Dans les nuages !
- ^ Ascension aérostatique au-dessus des nuages à neige
- ^ Observations météorologiques en ballon
- ^ Observations météorologiques en ballon
- ^ De la montgolfière au dirigeable - Le pouvoir de voler
- ^ La photographie en ballon
- ^ Rue Gaston-Tissandier, Nomenclature des voies de Paris, Mairie de Paris
外部リンク[編集]
- Gaston Tissandierの作品 (インターフェイスは英語)- プロジェクト・グーテンベルク