キャスリーン・ネスビット
キャスリーン・ネスビット Cathleen Nesbitt | |
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本名 | Cathleen Mary Nesbitt |
生年月日 | 1888年11月24日 |
没年月日 | 1982年8月2日(93歳没) |
出生地 | イングランド・バーケンヘッド |
死没地 | イングランド・ロンドン |
国籍 | イギリス |
職業 | 俳優 |
ジャンル | 舞台・映画・テレビ |
活動期間 | 1910年 - 1981年 |
配偶者 | セシル・ベレスフォード・ラメージ(1920年 - 1982年) |
備考 | |
大英帝国勲章(CBE) |
キャスリーン・ネスビット︵Cathleen Nesbitt、1888年11月24日 - 1982年8月2日︶は、イングランドの女優。ミュージカル﹃マイ・フェア・レディ﹄のブロードウェイでの初演︵1956年︶でヒギンズ教授︵レックス・ハリソン︶の母親[1]を演じるなど、知的な老貴婦人役で知られる。
俳優のトム・ネスビット︵1891年 - 1927年、本名‥Thomas Nesbitt Jr. ︶は実弟[2]。娘のジェニファー・ラメージはラジオドラマの女優。
略歴[編集]
1888年にイングランド北部のバーケンヘッドで生まれる。フランスのリジューで教育を受けた後、クイーンズ大学ベルファストとソルボンヌ︵パリ大学︶で学ぶ。 1910年にロンドンの舞台で女優デビュー、翌1911年にアメリカに渡り、ブロードウェイデビューする。 1912年に詩人ルパート・ブルックの恋人となり婚約するが、ブルックは第一次世界大戦で戦死する。 1919年にサイレント映画﹃A Star Over Night﹄で映画デビュー。 1920年に俳優セシル・ベレスフォード・ラメージ[3]と結婚。2人の子をもうける。その後、長年に渡り別居生活を送ったが、ネスビットが亡くなるまで離婚はしなかった。 1930年のイギリスのロマンティック・コメディ映画﹃Canaries Sometimes Sing﹄でトーキー初出演。1954年の映画﹃愛の泉﹄でハリウッドデビューする。 1982年に老衰で死去。主な出演作品[編集]
- ピグマリオン Pygmalion (1938)
- 激情 Fanny by Gaslight (1944)
- 悪魔と寵児 The Life and Adventures of Nicholas Nickleby (1947)
- 赤い百合 Jassy (1947)
- 愛の泉 Three Coins in the Fountain (1954)
- デジレ Désirée (1954)
- めぐり逢い An Affair to Remember (1957)
- 旅路 Separate Tables (1958)
- 罠にかかったパパとママ The Parent Trap (1961)
- 大強盗団 The Trygon Factor (1966)
- ふたりは恋人 Staircase (1969)
- フレンチ・コネクション2 French Connection II (1975)
- ファミリー・プロット Family Plot (1976)
- ジュリア Julia (1977)
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脚注[編集]
(一)^ 映画版︵1964年、オードリー・ヘプバーン主演︶では同じ役をグラディス・クーパーが演じている。
(二)^ 俳優としての活動は1925年の映画﹃The Last Witness﹄のみ。心臓発作で死去。
(三)^ ネスビットと結婚後に選挙に立候補し、政治家︵自由党︶になる。法廷弁護士でもある。
外部リンク[編集]
- キャスリーン・ネスビット - allcinema
- キャスリーン・ネスビット - KINENOTE
- Cathleen Nesbitt - オールムービー(英語)
- Cathleen Nesbitt - IMDb(英語)
- Cathleen Nesbitt - TCM Movie Database(英語)
- Cathleen Nesbitt - インターネット・ブロードウェイ・データベース(英語)
- Cathleen Nesbitt - Find a Grave(英語)