サミール・ハンダノヴィッチ
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スロベニア代表時代のハンダノヴィッチ (2015年) | ||||||
名前 | ||||||
ラテン文字 | Samir Handanovič | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | スロベニア | |||||
生年月日 | 1984年7月14日(39歳) | |||||
出身地 | ユーゴスラビア リュブリャナ | |||||
身長 | 193cm | |||||
体重 | 88kg | |||||
選手情報 | ||||||
ポジション | GK | |||||
利き足 | 右足 | |||||
ユース | ||||||
2002-2003 | ドムジャレ | |||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
2003-2004 | ドムジャレ | 7 | (0) | |||
2003-2004 | → ザゴリェ (loan) | 11 | (0) | |||
2004-2012 | ウディネーゼ | 182 | (0) | |||
2005-2006 | → トレヴィーゾ (loan) | 3 | (0) | |||
2006 | → ラツィオ (loan) | 1 | (0) | |||
2006-2007 | → リミニ (loan) | 39 | (0) | |||
2012-2023 | インテル・ミラノ | 380 | (0) | |||
代表歴 | ||||||
2002-2003 | スロベニア U-19 | 6 | (0) | |||
2004-2006 | スロベニア U-21 | 7 | (0) | |||
2004-2015 | スロベニア | 81 | (0) | |||
1. 国内リーグ戦に限る。2023年7月5日現在。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
サミール・ハンダノヴィッチ︵Samir Handanovič, 1984年7月14日 - ︶は、ユーゴスラビア (現:スロベニア)・リュブリャナ出身の元サッカー選手。元スロベニア代表。現役時代のポジションはゴールキーパー。
サミル・ハンダノビッチと表記されることもある[1]。
クラブ経歴[編集]
ウディネーゼ[編集]
スロベニア国内のクラブを経て、2004年7月1日にイタリアのウディネーゼへ移籍。ただし当時はモルガン・デ・サンクティスが不動の守護神として君臨していたため出番は少なく、2005年7月1日にセリエAに昇格したトレヴィーゾへレンタル移籍した。しかし、3試合しか出場できずに1年でセリエBに逆戻りとなってしまった。 2006年1月31日、マッテオ・セレーニと入れ替わる形で今度はラツィオへレンタル移籍した。だが、アンジェロ・ペルッツィとマルコ・バロッタの両ベテランの前に1試合の出場にとどまった。 7月1日、セリエBのリミニにレンタル移籍。ようやくポジションを射止め、39試合に出場した。 2007年6月1日、ウディネーゼに復帰。ベテランのアントニオ・キメンティを抑えて、セビージャFCに移籍したデ・サンクティスの後継者として正GKの座を掴んだ。復帰初年度は7位だったが、コッパ・イタリアの決勝戦が既にUEFAチャンピオンズリーグ出場権を手にしていた、リーグ優勝のインテルと準優勝のローマの組み合わせだったためUEFAカップ1回戦の出場権を手に入れた。 1回戦では、ドイツのボルシア・ドルトムントと対戦。2008年9月18日に敵地ズィグナル・イドゥナ・パルクで行われた1stレグでは2-0で勝利したが、10月2日にホームスタディオ・フリウーリで行われた2ndレグでは逆に0-2で敗北。トータルスコアで並んだため延長戦に縺れ込んだが、そこでも決着がつかずPK戦に持ち込まれた。PK戦では1人目のハイナル・タマーシュと4人目のヤクブ・ブワシュチコフスキのキックを止めて4-3で勝利。本選進出を果たした[2]。本選ではイングランドの強豪トッテナム等と同じ組になったが、首位で決勝トーナメントに進出した。ラウンド16では前年度優勝のゼニトを破ってベスト8に進出したが、準々決勝ではドイツのブレーメン戦は負傷の影響で欠場し、チームも敗北した。 2011年2月5日のサンプドリア戦から3月20日のカターニア戦まで7試合連続完封を記録。この年は4位に躍進し、チームのチャンピオンズリーグ出場権獲得に寄与した。これらの活躍を受けて、夏の移籍市場ではマンチェスター・ユナイテッドやバイエルン・ミュンヘン等のビッグクラブが関心を寄せたが[3]、最終的には残留を決断。6月30日にウディネーゼとの契約を2016年まで延長した[4]。インテル[編集]
2012年7月9日、インテルへの完全移籍が発表された[5]。移籍金は約1000万ユーロ︵推定︶[6]。ジュリオ・セザルが付けていた背番号1を譲り受けた。リーグ戦開幕直前の8月17日、練習中に負傷した右膝半月板の内視鏡手術を受ける[7]。これによりセリエAの2試合を欠場するが、9月16日のトリノ戦で復帰しインテル移籍後のリーグ戦初出場を果たした。 2018-19シーズン、2019年2月13日、契約延長交渉が難航したマウロ・イカルディに代わって主将に就任した[8]。2019年4月のジェノア戦でセリエA150回目のクリーンシートを達成した[9]。また、セリエA最多のリーグ戦17回のクリーンシートを記録するなど、同シーズンセリエA最優秀GK賞を受賞した[10]。 2019-20シーズン、2019年9月25日のSSラツィオ戦でインテルでの公式戦300試合出場を達成した[11]。1月20日のアタランタ戦で相手のPKを止め、通算PKストップ回数を24回とし、ジャンルカ・パリューカの持つ最多記録に並んだ[12]。2021-22シーズン、2月14日のラツィオ戦でセリエA500試合出場を果たした。 2022-23シーズン、アンドレ・オナナ加入後も、開幕当初は正GKとして起用されたが、9節以降は控えに回わっている[13]。シーズン終了後、出場機会の減少もあり、チームを退団した[14]。代表歴[編集]
2004年11月7日のスロバキア戦でスロベニア代表デビュー。2007年から正GKとなり、EURO2008予選においてはホームでのオランダ戦を1失点に抑えたが、予選突破はならなかった。 南アフリカW杯予選ではスロベニアを欧州全体で2番目に少ない4失点︵最少は2失点のオランダだが、2試合少ない︶にとどめる原動力となり、ロシアとのプレーオフでも2戦合計1失点に抑え、スロベニアを本戦に導いた。2010 FIFAワールドカップ本大会ではグループリーグ全3試合で先発フル出場したが、グループステージで敗退した。 EURO2012予選でも正GKを務め、2011年10月11日のセルビア戦ではネマニャ・ヴィディッチのPKを止め勝利に貢献[15]。しかし、グループ4位に終わり本大会出場を逃した。EURO2016出場権をかけたウクライナとのプレーオフで敗れ、代表からの引退を宣言した[16]。プレースタイル[編集]
状況判断に優れ、長身を生かしたハイボールの処理能力と俊敏性を兼ね備える[17]。 特筆すべきはペナルティーキックに対する無類の強さで、2010-11シーズンには8本のうち6本を止めてセリエAのシーズン記録を樹立した[18][19][20]。2008-09シーズンからの4シーズンで32本のうち15本を止めており、ストップ率は約46.9%である[21]。2012年のインテル移籍後も高い阻止率を誇り、2014-15シーズンは5本中4本を止め、PKストップ率80%を記録。2015年4月11日のエラス・ヴェローナではルカ・トーニのPKを止め、セリエA歴代2位となる通算21本目のPKセーブを記録[22]。2020年1月20日のアタランタBC戦でPKを止めたことで、ジャンルカ・パリュウカの持つリーグ歴代1位タイとなる24本に並んだ[23]。人物[編集]
●両親はボスニア系の移民。従兄弟のヤスミン・ハンダノヴィッチも同じくスロベニア代表GKであった。 ●若手時代に手本とし憧れたキーパーとしてピーター・シュマイケルとジャンルイジ・ブッフォンの名前を挙げている[24]。タイトル[編集]
クラブ[編集]
インテル ●セリエA : 2020-21 ●スーペルコッパ・イタリアーナ : 2021-22 ●コッパ・イタリア : 2021-22個人[編集]
●セリエAベストイレブン : 2010-11, 2012-13, 2018-19 ●セリエA最優秀ゴールキーパー : 2011, 2013, 2019 ●UEFAヨーロッパリーグベストイレブン : 2019-20 ●スロベニア人選手年間最優秀選手賞 : 2009, 2011, 2012脚注[編集]
(一)^ サミル・ハンダノビッチ - Goal.com
(二)^ ウディネーゼ ドルトムントとのPK戦を制しグループリーグ進出AFP 2008年10月3日
(三)^ マンU・バイエルンが狙っていた ウディネーゼGK代理人‥﹁マンU、バイエルンが狙っていた﹂将来的なビッグクラブ移籍を示唆
(四)^ ウディネーゼ、ハンダノビッチと契約延長
(五)^ メルカート‥ハンダノヴィッチの移籍手続きが完了 inter.it 2012年07月09日
(六)^ ハンダノビッチ、インテル加入が正式決定 goal.com 2012年7月10日
(七)^ ハンダノヴィッチ‥右膝に内視鏡手術 inter.it 2012年08月17日
(八)^ http://web.ultra-soccer.jp/news/view?news_no=346891
(九)^ “Genoa 0-4 Inter, all you need to know”. Inter Milan (2019年4月4日). 2019年4月7日閲覧。
(十)^ “Ronaldo MVP in Serie A Awards”. Football Italia (2019年5月18日). 2019年5月27日閲覧。
(11)^ ハンダノヴィッチがネラッズーリとして公式戦300試合出場を達成 - inter.it 2019年9月28日
(12)^ “Sarma znova rešil Inter in se izenačil s Pagliuco”. sportklub.si (2020年1月11日). 2020年8月27日閲覧。
(13)^ “ハンダノヴィッチVSオナナ論争”. DAZN. 2022年11月16日閲覧。
(14)^ “インテル、38歳GKハンダノヴィッチの退団を発表…歴代10位の出場数を記録”. サッカーキング (2023年7月17日). 2023年9月7日閲覧。
(15)^ ヴィディッチが代表引退を示唆﹁PK失敗の責任を取りたい﹂
(16)^ “Handanovic quits Slovenia”. Football Italia (2015年11月17日). 2015年12月2日閲覧。
(17)^ 時事ドットコム:ワールドカップ南アフリカ大会選手名鑑︻スロベニア︼サミル・ハンダノビッチ
(18)^ ウディネーゼとナポリの話題沸騰!快進撃を陰で支えるふたりの守護神。(1/3) - Number Web : ナンバー
(19)^ GKハンダノビッチがインテルに移籍 uefa.com 2012年7月9日
(20)^ PKを止められたのはサミュエル・エトー、エドガル・バレート、ダビド・ディ・ミケーレ、マレク・ハムシク、エディンソン・カバーニ、マウロ・サラテの6人。なお、決めたのはフランチェスコ・トッティ、エルナン・クレスポの2人。
(21)^ Samir Handanovic - Udinese - Italian Serie A - SI.com
(22)^ 長友の同僚ハンダノビッチが、また止めた! 今季PKストップ率80%を記録 フットボールチャンネル 2015年4月12日
(23)^ “Sarma znova rešil Inter in se izenačil s Pagliuco”. sportklub.si (2020年1月11日). 2020年8月27日閲覧。
(24)^ ハンダノヴィッチ‥﹁インテルこそ自分が望んでいたトップクラブ﹂ inter.it 2012年07月11日
外部リンク[編集]
- サミール・ハンダノヴィッチ - National-Football-Teams.com
- Player profile - NZS
スロベニア代表 - 出場大会 |
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