ジェミニ8号
アジェナ標的衛星とドッキングする | |
任務種別 | ドッキング試験 |
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運用者 | NASA |
COSPAR ID | 1966-020A |
SATCAT № | 2105 |
任務期間 | 10時間41分26秒 |
飛行距離 | 293,206キロメートル |
周回数 | 6周 |
特性 | |
宇宙機 | ジェミニSC8 |
製造者 | マクドネル・エアクラフト |
打ち上げ時重量 | 3,789キログラム |
乗員 | |
乗員数 | 2名 |
乗員 | ニール・アームストロング デイヴィッド・スコット |
任務開始 | |
打ち上げ日 | 1966年3月16日 16:41:02 UTC |
ロケット | タイタンII GLV s/n 62-12563 |
打上げ場所 | ケープカナベラル空軍基地19番発射施設 |
任務終了 | |
回収担当 | USS レオナルド・メイソン (DD-852) |
着陸日 | 1966年3月17日 03:22:28 UTC |
着陸地点 | 北緯25度13.8分 東経136度0分 / 北緯25.2300度 東経136.000度 |
軌道特性 | |
参照座標 | 地球周回軌道 |
体制 | 地球周回低軌道 |
近点高度 | 261キロメートル |
遠点高度 | 270キロメートル |
傾斜角 | 28.9度 |
軌道周期 | 89.81分 |
元期 | 1966年3月16日[1] |
アジェナ標的衛星GATV-5003 とのドッキング(捕捉) | |
ドッキング(捕捉)日 |
1966年3月16日 22:14 UTC |
分離日 |
1966年3月16日 ~22:45 UTC |
ドッキング時間 | ~30分 |
(左から右に) スコット、アームストロング |
ジェミニ8号 (英語: Gemini VIII[2]) は、アメリカ合衆国の宇宙機関NASAが行ったジェミニ計画の6度目の有人宇宙飛行である。この飛行では史上初となる2機の宇宙機の軌道上でのドッキングが行われたが、同時にこれもアメリカ初となる、宇宙空間における乗員の生命を脅かすほどの深刻な機器の故障が発生し、飛行を緊急に中止する必要が迫られた。飛行士らは無事地球に帰還したが、このような緊急事態からの生還は他にアポロ13号の例があるのみである。
この飛行はアメリカの有人宇宙飛行としては12番目のもので、(高度100キロメートル以上を飛行したX-15実験機を含む) 当時の世界全体の記録としては22番目のものである。船長ニール・アームストロングは1960年に海軍予備役を退官していたため、アメリカの文官として二番目に宇宙に行った (最初に宇宙に行った米の文官は、X-15のフライト90で飛行したジョセフ・ウォーカーである[3][4])。史上初の文官による宇宙飛行を実現したのはソビエト連邦で、1963年6月16日にワレンチナ・テレシコワ ︵史上初の女性宇宙飛行士でもある︶をボストーク6号で飛行させた[5]。
飛行士[編集]
地位 | 飛行士 |
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船長 | ニール・アームストロング (Neil Armstrong) 初の飛行 |
飛行士 | デイヴィッド・スコット (David Scott) 初の飛行 |
予備搭乗員[編集]
地位 | 飛行士 |
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船長 | ピート・コンラッド (Pete Conrad) |
飛行士 | リチャード・ゴードン (Richard F. Gordon Jr.) |
彼らがジェミニ11号の搭乗員になることが予定されていた。
支援飛行士[編集]
●ウォルター・カニンガム (ケネディ宇宙センターの通信担当官) ●ジム・ラヴェル (ヒューストンの通信担当官)諸元[編集]
●質量 : 3,789キログラム ●近点・遠点 (最少) : 159.8キロメートル ●近点・遠点 (最大) : 298.7キロメートル ●軌道傾斜角 : 28.91度 ●地球周回時間 : 88.83分アジェナとのドッキング[編集]
1966年3月16日 ●ドッキング開始 : 22:14 UTC ●ドッキング解除 : ~22:45 UTC目的[編集]
ジェミニVIIIは3日間の飛行を予定しており、近地点161キロメートル、遠地点270キロメートルの軌道に打ち上げられたあと、4周目にアジェナ標的衛星とランデブーし、史上初のドッキングを行うことになっていた。アジェナとのドッキングは当初はジェミニ6号で予定されていたもので、標的衛星はこれ以前に高度298キロメートルの軌道にすでに打ち上げられていた。予定では4回に分けてドッキングが行われることになっていた[6]。 最初のドッキングでは、デヴィッド・スコット飛行士は2時間10分にわたる意欲的な船外活動 (Extra-Vehicular Activity, EVA) を行うことになっており、実現すれば1965年6月にジェミニ4号でエドワード・ホワイトが宇宙遊泳を達成して以来のことになるはずであった。スコットは長さ7.6メートルの命綱に身を預け、地球を1周半する間にジェミニ宇宙船の前部接続部から原子核乳剤放射線実験装置を回収し、その後アジェナで流星塵の実験を行うはずだった。作業を終えるとジェミニに戻り、姿勢制御の微調整用の機器を、作業板のボルトを緩めたり締めたりして検査する予定になっていた[6]。 スコットはEVAの間、アームストロングがアジェナからジェミニを切り離した後、宇宙船の後部接続部に収納されている船外活動支援機器 (Extravehicular Support Pack, ESP) を身につけテストすることになっていた。これは独自の酸素ボンベを搭載した背負い袋のような機材で、フロンガスを推進剤とする携帯式の特殊な姿勢制御装置と、長さ23メートルの延長の命綱が付属していた。彼はジェミニおよびアジェナと (18メートルまで離れて) 編隊を組み、ジェミニに搭乗しているアームストロングと共同していくつかの操作を行うはずだったが[7]、ドッキング直後に発生した重大な飛行中の緊急事態で計画が中止されたため、このEVAを行うことはなかった。 この飛行ではまた、追加で三つの科学的実験と四つの技術的実験、および一つの医学的な実験が行われる予定だった[8]。飛行[編集]
アジェナ標的衛星[編集]
この5ヶ月前、NASAはジェミニ6号のためにアジェナ標的衛星を打ち上げていたが、軌道投入の際にアジェナのエンジンが爆発したことによりアトラス・アジェナロケットの発射が失敗したため、計画は予定を組み直さなければならなくなった。この時点では、すべては完璧に進行していた。アジェナは高度298キロメートルの円軌道に乗り、自動制御でドッキングのための正確な高度に軌道修正していた。ジェミニ宇宙船自体も、1966年3月16日午前10時41分02秒 (東部標準時間) に、改良型のタイタンII型ロケットで近地点160キロメートル遠地点272キロメートルの軌道に打ち上げられていた。8号の発射は正常に行われ、タイタンIIと宇宙船双方に目立った異常は発生しなかった。ジェミニ8号用アジェナ標的衛星諸元 | |
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標的衛星 | GATV-5003 |
NSSDC ID: | 1966-019A |
質量 | 3,175キログラム |
発射場 | LC-14 |
発射日 | 1966年3月16日 |
発射時間 | 15:00:03 UTC |
第一近地点 | 299.1キロメートル |
第一遠地点 | 299.7キロメートル |
軌道周回時間 | 90.47分 |
軌道傾斜角 | 28.86 |
大気圏再突入 | 1967年9月15日 |
ランデブーとドッキング[編集]
緊急事態[編集]
このとき地上の管制官の間には、アジェナの姿勢制御装置に不具合が発生しており、正しいプログラムが搭載されていないのではないかという疑念が生じていた。この疑念はその後間違いであることがわかったが、地上との通信圏外に入る直前、管制室はアジェナに何らかの異常が発生した場合はただちにドッキングを中止するよう飛行士に伝えた。 アジェナが内蔵プログラムにより、ジェミニと結合した船体を90度右に傾ける操作を開始した後、スコットは船体が右回転 (ローリング) していることに気づいた。アームストロングはジェミニのOAMSを使用して回転を止めたが、一旦停止した後、すぐにまたローリングが始まった。この時点で8号は地上との通信圏外にいた。 アームストロングはOAMSの燃料が30%にまで落ちていると報告した、これはすなわち、問題がジェミニのほうにあることを示していた。回転があまりに速くなりすぎると宇宙船の一方または双方が損傷し、さらには燃料を大量に積んだアジェナは分解あるいは爆発するおそれがあるため、飛行士らは状況を分析できるようアジェナを切り離すことを決断した。アームストロングが切り離しのため機体を安定させようと奮闘している一方で、スコットはアジェナの制御を地上からの指令に切り替えた。スコットが分離のボタンを押すと、アームストロングはロケットを長時間噴射してアジェナから遠ざかった。 アジェナの重量が無くなった瞬間、ジェミニの回転数は急激に上昇した。この直後、宇宙船は通信連絡船コースタル・セントリー・キューベック (Coastal Sentry Quebec) の通信圏内に入った。このとき宇宙船の回転数は1秒間に1回転にまで達しており、この状態では飛行士は視界がぼやけ、意識を失ったり回転性めまいに陥ってしまう危険があった。アームストロングは回転を止めるためにOAMSを停止し、大気圏再突入システム (Re-entry Control System, RCS) の推進装置を使用することを決断した。宇宙船の状態が安定すると飛行士らはOAMSを順番に点検し、その結果8番の推進器に異常があることを発見した。再突入用の燃料は回転停止に使用したためほぼ75%が失われており[9]、規定では何らかの理由でRCSを一度でも噴射した場合は飛行を中止しなければならないとされていたため、8号はただちに緊急着陸の準備を始めた。着水[編集]
事故原因と結果[編集]
姿勢制御ロケットの故障の原因については決定的なものは発見されなかったが、最も可能性がありそうなのは電気的なショートであると結論づけられ、中でも静電気の放電によるものが最有力であるとされた。推進器への電力は、スイッチが切られても流れ続けていたことが判明した。そのため同様の問題の再発を防止すべく、それぞれの推進器が独立した回路を持つよう宇宙船の設計が変更された。記章[編集]
宇宙船の現在の状態[編集]
8号の機体は、現在はオハイオ州ワパコネタ (Wapakoneta) のニール・アームストロング航空宇宙博物館に展示されている。参照[編集]
脚注[編集]
引用[編集]
(一)^ McDowell, Jonathan. “SATCAT”. Jonathan's Space Pages. 2014年3月23日閲覧。
(二)^ Hacker, Barton C.; Grimwood, James M. (September 1974). “Chapter 11 Pillars of Confidence”. On the Shoulders of Titans: A History of Project Gemini. NASA History Series. SP-4203. NASA. p. 239 NASAはジェミニIVから、ジェミニの飛行番号をローマ数字に変更した。
(三)^ “Civilians in Space”. 2016年6月30日閲覧。
(四)^ “Space.com Joseph A Walker”. 2016年6月30日閲覧。
(五)^ “Valentina Vladimirovna Tereshkova”. 2010年5月4日閲覧。
(六)^ abNASA 1966, p. 2.
(七)^ NASA 1966, p. 3,18-19,40-43.
(八)^ NASA 1966, p. 3.
(九)^ Gatland 1976, p. 176.
(十)^ “Gemini8 Crew and PJs”. 2011年7月27日時点のオリジナルよりアーカイブ。2010年6月15日閲覧。
(11)^ Seamans, Jr., Robert C. (2005), “Project Apollo: The Tough Decisions”, Monographs in Aerospace History (Washington, D.C.: NASA) 37, SP-2005-4537
(12)^ Dr. Robert C. Seamans, Jr. (1967年4月5日). “NASA Management Instruction 8621.1 April 14, 1966”. Apollo 204 Review Board Final Report. NASA. 2011年3月7日閲覧。
(13)^ “On The Shoulders of Titans - Ch13-6”. 2011年5月4日閲覧。
参考書目[編集]
●Gatland, Kenneth (1976年). Manned Spacecraft (Second ed.). New York: Macmillan. ●Hacker, Barton C.; Grimwood, James M. (1977年). On the Shoulders of Titans: A History of Project Gemini. NASA SP-4203. Washington, D.C.: National Aeronautics and Space Administration. 2015年1月2日閲覧。 ●NASA (1966年3月11日). "Gemini 8 press kit" (PDF) (Press release). NASA. 2012年2月27日時点のオリジナル (PDF)よりアーカイブ。2015年2月27日閲覧。 この記事にはパブリックドメインである、アメリカ合衆国連邦政府のウェブサイトもしくは文書本文を含む。外部リンク[編集]
- A site about the U.S.S. Leonard F. Mason (DD-852) http://www.west.net/~ke6jqp/dd852.htm
- U.S. Space Objects Registry https://usspaceobjectsregistry.state.gov/Pages/Home.aspx
- Gemini 8 Docks with Agena Video
- "Gemini 8, This is Houston Flight" - YouTube
- NASAによるジェミニ計画概説
- NASA Gemini 8 press kit - Mar 11, 1966
- JAXAによる解説 - ウェイバックマシン(2007年6月29日アーカイブ分)
- 'A Finite Number of Heartbeats': The Trauma of Gemini VIII (Part 1) 2014年3月15日 AmericaSpace.com
- 'Tumbling End Over End': The Trauma of Gemini VIII (Part 2) 2014年3月16日 AmericaSpace.com