ジェームズ・ティソ
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ジェームズ・ティソ James Tissot | |
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![]() エドガー・ドガが描いた肖像画(1868年頃) | |
誕生日 | 1836年10月15日 |
出生地 |
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死没年 | 1902年8月8日 (65歳没) |
死没地 |
![]() ドゥー県シュヌセ=ビュイヨン |
国籍 |
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運動・動向 | ジャポニスム |
芸術分野 | 絵画、版画 |
ジェームズ・ティソ︵James Tissot、1836年10月15日 - 1902年8月8日︶フランスの画家、版画家。本名はジャック=ジョゼフ・ティソ ︵Jacques-Joseph Tissot︶だが[1]、英語風の名である﹁ジェームズ﹂を名乗った。
経歴[編集]
ジェームズ・ティソは、1836年、フランス西部の町ナントに生まれた。その後、パリに出てイポリット・フランドランとルイ・ラモットに絵を学んだ[2]。1859年、サロンに出品し、初入選を果たした[3]。普仏戦争︵1870-71年︶を経てパリ・コミューンに参加した後、イギリスのロンドンに渡り、多くの作品を制作した[2][3][4]。10年ほど滞在した後、帰国し、パリに戻った[2][3]。パリでは、1885年にサロンに出品した風俗画﹃パリの女﹄︵La Femme à Paris︶で成功を収め、流行画家となった[3]。しかし、信仰上の危機に襲われた彼は、再び祖国を離れ、パレスチナに10年ほど滞在した[3]。パレスチナから帰国後は、フランス東部のドゥー県シュヌセ=ビュイヨンにある修道院で聖書の挿絵に取り組んだ[3]。1902年、同地にて死去した。その他[編集]
作品ギャラリー[編集]
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『二人の姉妹』 1863年
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『L.L.嬢の肖像』 1864年
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『浴室のラ・ジャポネーズ』 1864年
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『自画像』 1865年
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『ロワイヤル通りのサークル』 1868年
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『日本の品々を眺める娘たち』 1869年
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『キャプテンの娘』 1873年
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『船上の舞踏会』 1874年頃
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『カルカッタ号の甲板で』 1877年頃
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『10月』 1877年
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『かくれんぼ』 1877年
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『舞踏会』 1880年
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『テムズ川のほとりで』 1882年
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『店の娘』 1882-1885年
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『パリの女たち、サーカスの恋人』 1883-1885年
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『十字架上から見たキリストの磔刑』 1890年頃
脚注[編集]
注釈[編集]
出典[編集]
(一)^ Tissot, James (1836-1902) pseudonyme forme internationale, フランス国立図書館
(二)^ abc若桑みどり他編 ﹃世界美術大事典3﹄ 小学館、1989年、p.414第2段.
(三)^ abcdef秋山光和他編 ﹃新潮 世界美術辞典﹄ 新潮社、1985年、p.967右段.
(四)^ 佐々木英也監修︵ハロルド・オズボーン原著︶ ﹃オックスフォード西洋美術事典﹄ 講談社、1989年、p.670右段.
(五)^ 若桑みどり他編 ﹃世界美術大事典3﹄ 小学館、1989年、p.414第2段.
(六)^ ﹃徳川昭武肖像﹄徳川ミュージアム・イメージアーカイブ。
外部リンク[編集]
- 『華麗なる世紀末・ロンドンとパリ ジェームズ・ティソ展』 (三重県立美術館公式サイト。ティソの年譜や作品解説がある。)