ジョニーが凱旋するとき
概要[編集]
南北戦争の最中の1863年、北軍のバンド指揮者であったパトリック・ギルモアが、北軍で歌われていた酒宴の歌︵Johnny Fill Up the Bowl︶のメロディに新しい歌詞をつけてバンド曲に編曲したものである。元となった"Johnny Fill Up the Bowl"自体も、17世紀に英国で生まれたバラード曲に適当な替え歌をつけて歌ったもので様々なバージョンが知られているが、南軍兵を擬人化した﹁ジョニー﹂(Johnny)に対して杯を満たせと連呼する歌であり、全体として南軍側の政府・大統領・軍隊・人民などを蔑んだ内容となっていた。ギルモアの回想によると、戦場で兵士が口ずさんでいた北軍のはやり歌のメロディーが頭に残り、﹁ジョニー﹂の帰還を迎え讃える歌詞をつけたという[1]。 なおメロディーが同じである反戦歌﹃あのジョニーはもういない﹄︵Johnny I Hardly Knew Ye︶は1867年に発表されかつ元は別のメロディが使われており、反戦歌の替え歌とするのは誤りである[2] 。 ﹁ジョニーが凱旋するとき﹂は南北戦争当時非常に人気があり、北軍のみならず南軍でも歌われた[3]。また英国でもヒット曲となった[4]。歌詞[編集]
勝利し整然と行進して帰還する事を期待する歌詞の為﹁凱旋﹂と翻訳されているが英語のタイトル・歌詞には﹁凱旋(triumph)﹂などの言葉は無い。﹁凱旋﹂に当たる部分は"comes marching home"であり戦地に出立した時と同じ様に﹁行進しながら家に(帰って)来る﹂である。本当であるかはともかくギルモアは南軍で戦っていた婚約者の安全な帰還を願う彼の姉妹の為にこの歌詞を書いたと言われる[5][6]。兵士を鼓舞する為と言うよりかは家族や親しい者の無事の帰還を願う歌詞である。英語原詞 | 日本語訳 |
---|---|
When Johnny comes marching home again |
ジョニーが再び行進しながら家に帰って来る時には
フラー!フラー!
私達は心からの歓迎で迎えるだろう
フラー!フラー!
男達は喝采し、男の子達は叫び
淑女は皆が迎えに出て来る。
そして皆が陽気になるだろう
ジョニーが行進しながら家に帰って来る時には。
|
The old church bell will peal with joy |
村の古い教会は喜びの鐘を鳴らすだろう
フラー!フラー!
私達の愛する男の子を迎えるために、
フラー!フラー!
村の若者と女の子達は声を掛ける、
道に撒く為の薔薇の花を持ち、
そして皆が陽気になるだろう
ジョニーが行進しながら家に帰って来る時には。
|
Get ready for the Jubilee, |
祝賀の準備をしよう、
フラー!フラー!
そして我等の英雄に3度の栄誉の歓呼を送ろう、
フラー!フラー!
月桂冠は用意出来た
誠実な彼の頭に載せるために
そして皆が陽気になるだろう
ジョニーが行進しながら家に帰って来る時には。
|
Let love and friendship on that day, |
その日は愛情と友情の日としよう、
フラー、フラー!
愛情と友情の最上の喜びを示す為に、
フラー、フラー!
そして誰もが何かしら出来るようにしよう、
私達の戦士の心を喜びで満たす為に、
そして皆が陽気になるだろう
ジョニーが行進しながら家に帰って来る時には。
|
挿入歌としての使用例[編集]
脚注[編集]
- ^ Lighter, Jonathan (2012). "The Best Antiwar Song Ever Written". Black Willow Press. ISBN 978-1935243892
- ^ Lighter, p. 28-29
- ^ Erbsen, p. 68
- ^ Lighter, p. 15.
- ^ Peterson, Patti Jo (August 30, 2007), “The House that O'Rourke Built”, The Plattsmouth Journal, p. 5
- ^ Peterson, Patti Jo (June 15, 2006), “The O'Rourke House”, The Plattsmouth Journal, p. 11
- ^ 井上和男編著『クラシック音楽作品名辞典 改訂版』三省堂, 1996, p617
関連項目[編集]
- イングリッシュ・シヴィル・ウォー - この曲を基に作られたザ・クラッシュの曲。
- ダウボーイ - 2面のBGMにこの曲が使われている。