ジーグフェルド・フォリーズ
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ジーグフェルド・フォリーズ︵Ziegfeld Follies︶は、1907年から1931年、1934年から1936年にかけてニューヨークのブロードウェイで上演されていたレヴューのこと。1932年から1936年までラジオ版の﹃The Ziegfeld Follies of the Air﹄もオンエアされていた。
歴史[編集]
パリのフォリー・ベルジェールにインスパイアされてフローレンツ・ジーグフェルド・ジュニアがはじめた。伝えられるところでは、当時の彼の当時の妻で舞台女優・歌手のアナ・ヘルドが提案したという。プロデューサーはクロウ&アーランガー。 初公演は1907年、場所はジャルダン・ドゥ・パリ[1]。 出演者の中には、W・C・フィールズ、エディ・カンター、ジョセフィン・ベーカー、ファニー・ブライス、アン・ペニントン、バート・ウィリアムズ、エヴァ・タンギー、ボブ・ホープ、ウィル・ロジャース、ルース・エッティング、レイ・ボルジャー、ヘレン・モーガン、ルイーズ・ブルックス、マリリン・ミラー、エド・ウィン、ギルダ・グレイ、ノラ・ベイズ、ソフィー・タッカーなどがいた。 ジーグフェルド・フォリーズでとくに有名なのが﹁ジーグフェルド・ガール﹂として知られる美しいコーラスガールたちである。エルテ、ルーシー・ダフ=ゴードン、ベン・アリ・ハギンらが彼女たちの衣装デザインを手掛けた。アリ・ハギンは1917年から1925年にかけて彼女たちをモデルにした活人画を製作した。他にはジョセフ・アーバンが1915年から舞台背景絵師として参加した[2]。 1931年、ジーグフェルドが死去したことでジーグフェルド・フォリーズは幕を閉じたが、1934年、彼の未亡人で女優のビリー・バークがフォリーズのプロデューサーをしていたジェイク・シューバートともに再開、1936年まで続けた[3]。1934年の公演の全内容を録音した78回転レコードがあり、1997年にCDとして復刻された[4]。映画化[編集]
●﹃巨星ジーグフェルド﹄︵1936年︶ ●﹃美人劇場﹄︵1941年︶ ●﹃ジーグフェルド・フォリーズ (映画)﹄︵1945年︶ ●﹃ファニー・ガール﹄︵1968年︶ジーグフェルド・ガールズ[編集]
詳細は「ジーグフェルド・ガールズ」を参照
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ドリス・イートン・トラヴィス
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ファニー・ブライス
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シャノン・デイ
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メアリー・イートン
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ビリー・ダヴ
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メアリー・ピックフォード(1920年)
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ミッドナイト・フロリックのポスター(1916年)のオリーヴ・トーマス
出典[編集]
- ^ "Follies of 1907"The New York Times, July 9, 1907
- ^ Green, Stanley."Ziegfeld"Encyclopedia of the Musical Theatre (1980), Da Capo Press, ISBN 0-306-80113-2, pp.462-465
- ^ Bloom, Ken."Winter Garden Theatre" The Routledge Guide to Broadway (2007), CRC Press, ISBN 0-415-97380-5, p. 273
- ^ The Nineteen Thirty-Four Edition Of Ziegfeld Follies: A Live, In-Performance Recording ASIN B000000N67