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スキー汁︵スキーじる︶は、新潟県上越市を中心とする上越地方で食べられる豚汁の一種である。
スキーブームの時代に作られその名称が付いたものであり、1998年に作られた町おこしの一つとしてPRされている。
明治時代当地にスキーが伝えられ、スキーを元とするさまざまな文化が作られた︵日本酒の﹁スキー正宗﹂、スキーせんべい、スキー人形、スキー小唄など︶。このスキー汁も同様であり、歴史が浅く、郷土食を網羅する農文研発行文献﹁新潟の食事﹂にも、新潟日報事業社の﹁新潟のみそ汁﹂にもその名称が無い。[1]
1911年︵明治44年︶、高田第13師団を訪問していたオーストリア=ハンガリー帝国陸軍のテオドール・フォン・レルヒ少佐が、日本にはじめてスキー技術を伝え指導に当たったことから、同師団ではスキー演習が盛んに行われていた。その時の露営食︵屋外での演習中に供される軍隊食︶として食べていた豚汁が発祥となったのではないかとされている[1][2]。寒中の冷えた体を温め体力をつけるために、鹿児島出身の兵士が故郷のさつまいもを入れた汁を原型に味噌汁を作ったところ好評を呼んだともされるが、当時の味噌汁にはさつまいもが使用されていた[1]ともされている。第13師団長の長岡外史によって﹁スキー汁﹂と名づけられたともされている[1]。
1912年︵明治45年︶1月21日、新潟県高田の金谷山︵現在の新潟県上越市︶で開催されたスキー滑走競技会で参加者に振舞われたことから薩摩芋を入れる豚汁が知られるようになり、金谷山麓で窯業を営んでいた斉藤京助が金谷山をおとずれるスキー客相手に1杯10銭で販売したのをきっかけに普及した[1]。
食生活の多様化、西洋化の中で次第に忘れられ、近年ではほとんど知られなくなっている。
1998年︵平成10年︶、長野冬季オリンピックに連動して上越市ではレルヒ祭を開催し、その催し物のひとつとして、スキー汁のレシピを発表した。その後、地元の調理師協会などが中心となりまちづくり事業として、スキー汁の宣伝・普及活動がすすめられている。
関連項目[編集]