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スタニスワフ・ウラム

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
スタニスワフ・マルチン・ウラム
生誕 1909年4月3日
オーストリア=ハンガリー帝国の旗 オーストリア=ハンガリー帝国 レンベルク(現: ウクライナ リヴィウ
死没 (1984-05-13) 1984年5月13日(75歳没)
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 ニューメキシコ州 サンタフェ
市民権 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国(1941年から)
国籍 ポーランドの旗 ポーランド
研究分野 数学
研究機関 プリンストン高等研究所
ハーバード大学
ウィスコンシン大学マディソン校
ロスアラモス国立研究所
コロラド大学ボルダー校
フロリダ大学
出身校 リヴィウ工科大学英語版
博士課程
指導教員
カジミェシュ・クラトフスキ
主な業績 水素爆弾
モンテカルロ法
フェルミ・パスタ・ウラムの問題
主な受賞歴 ポーランド復興勲章(星付きコマンドルスキ十字勲章)[1]
補足

弟にアダム・ウラム

プロジェクト:人物伝
テンプレートを表示

Stanisław Marcin Ulam, 190943 - 1984513

[]




1933193519381939

19401943(Teller-Ulam configuration)1965

[]

200×200
ID

w:Reconstruction conjecture

逸話・発言等[編集]

  • アメリカに来て下宿を始めた当初、英語は既に学んでいたものの、最初の内はそこに住んでいる人たちの会話がまったく理解出来なかったという。しかし、一週間後には分かるようになった。本人曰く「これは言語のことばかりでなく、数学にも共通する経験である。すなわち、不連続な過程である。はじめは何も分からないが、突如としてそのコツが呑み込めるのである。」
  • 病的と言っていいほど試験が嫌いであった。しかし、独創的論文を書いていたので、教授たちは寛大であった。
  • 話をしたり聞いたりする方が、読むことよりも容易で、しかも楽しく学習する方法であると考えていた。何かの「やり方」を説明した印刷物は心理的に我慢できないと述べている。「言葉を習得する時、耳よりも文法の規則による方を好む人がいる。これは数学にも当てはまる。ある人は文法によって習得し、ある人は空気を通して耳から習得する。私は空気を通して耳から数学を習得した。」[2]

著作[編集]

  • 自伝“Adventures of a mathematician”
    • 『数学のスーパースターたち:ウラムの自伝的回想』志村利雄訳、東京図書、1979年

脚注[編集]

  1. ^ Dziennik Ustaw RP, 1976, Londyn (PDF)
  2. ^ 『数学のスーパースターたち -ウラムの自伝的回想-』東京図書、1979年。 

関連項目[編集]