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セルゲイ・アレクサンドロヴィチ・カヤキン︵Серге́й Алекса́ндрович Каря́кин、1990年1月12日- ︶は、シンフェロポリ出身のロシア︵以前はウクライナ︶のチェスグランドマスターである。早熟の天才で、歴史上最も若い12歳7カ月でグランドマスターとなった。2009年7月のFIDEのイロレーティングでは、ウクライナで2番目の世界20位にランクされ、20歳以下でも世界第2位である。キャリア最高レートは2011年7月の2788。
2009年7月25日、カヤキンはロシアの国籍を得て、それ以降はロシアでプレーしている[1][2]。
カヤキンは5歳の時にチェスを覚え、11歳でインターナショナルマスターになった。2001年には12歳未満世界選手権で優勝し、12歳になったばかりの2002年1月の世界チェス選手権でルスラン・ポノマリオフの公式セコンドを務めたことで注目を集めた。モスクワのAeroflotトーナメントでグランドマスターの基準成績︵ノーム︶をクリアすると、2002年8月のスダク︵英語版︶の国際トーナメントで、卜祥志︵英語版︶を抜いて歴史上最も若いグランドマスターとなった。
14歳の時には、ドルトムントの大会で当時のチャンピオンであったウラジミール・クラムニクを早指し対局︵持ち時間10分+1手5秒︶で破った。また2004年には、ビルバオで行われたMan vs Machine World Team Championshipで﹁ジュニア﹂というプログラムを破り、人類側の初めての勝利者となった。
カヤキンは2005年4月のFIDEランクで、レート2635の第64位として、初めて世界トップ100入りを果たした。ギリシアでのナイジェル・ショート︵英語版︶とトーナメント前の練習を行った際、アテネ国際空港への道中で事故にあい、軽傷を負った。その後、ショートは﹁自分はもう少しでチェスの歴史を変えてしまうところだった﹂と語っている[3]。
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2009年チェス世界選手権の予選も兼ねる2007年のチェスワールドカップ︵英語版︶で、カヤキンは準決勝でアレクセイ・シロフ︵英語版︶に敗れた。18歳の誕生日直前に発表された2008年1月のFIDEレートで、通常のグランドマスターからさらに区別されるレート2700を突破し、2732で世界13位につけた。
2008年7月、カヤキンはナイジェル・ショートと10戦の早指しを行い、7.5-2.5で圧勝した[4]。2009年2月、オランダのWijk aan Zeeで開催されたトーナメントのA組で優勝した。
2016年3月、モスクワで開催されたチェス世界選手権の挑戦者決定戦︵8名総当りダブルラウンド︶で8.5/14の成績で1位となり、マグヌス・カールセンとの世界チャンピオン決定戦に出場が決まった。
2022年3月21日、国際チェス連盟︵FIDE︶は、カヤキンがロシアのウクライナ侵攻支持を表明したため、6カ月の資格停止処分を科した[5]。
私生活[編集]
2009年7月24日にウクライナのウーマングランドマスター、カテリーナ・ドルジコワ︵英語版︶と結婚したが[6]、後に離婚した[7]。