ゼイン・グレイ
ゼイン・グレイ︵Zane Grey、1872年1月31日 - 1939年10月23日、ゼーンの表記もある。︶は、アメリカ合衆国オハイオ州ゼインスヴィル(Zanesville)生れの作家、脚本家。冒険小説、西部劇小説、釣りをモチーフにした小説、野球小説の作家で、100以上の映画、テレビシリーズに原作や脚本を提供している。90冊以上の本を出版し、それらの多くはベストセラーになっている。
本名はパール・ゼイン・グレイ(Pearl Zane Gray)。父は医学博士ルイス・M・グレイ(Lewis M Gray)、母はアリス︵アリー︶・ジョセフィーン・ゼイン(Alice "Allie" Josephine Zane)。
妻はリーナ・ロス(Lina Roth)。
彼の兄弟ローマー・カール・グレイ︵Romer Carl Grey︶はプロ野球選手で、1903年にピッツバーグ・パイレーツでプレーしている。
野球奨学金を得てペンシルベニア大学へ進学、歯科医学を専攻し医学博士を取得する。
1896年に同大学を卒業し、ニューヨークで開業。のちに専業作家となる。
デビューは1902年、釣りを題材にした小説であった。
1939年10月23日、カリフォルニア州アルタディーナ(Altadena)の自宅で心臓麻痺により死去。
ペンシルベニア州Lackawaxenの連邦墓地に埋葬された。
作家[編集]
1910年の西部劇小説﹁Heritage of the Desert﹂と1912年の﹁Riders of the Purple Sage﹂がベストセラーになった。 彼は自ら映画会社を設立し、数年後にパラマウント・ピクチャーズの創始者のひとりジェシー・ラスキーに売却した。パラマウントは、グレイの作品に基づいた多数の映画を製作した。代表的なものとしては1930年に映画化された﹁Lone Star Ranger﹂と1936年に映画化された﹁King of the Royal Mounted﹂がある。また﹁The Lone Ranger and Challenge of the Yukon﹂は、テレビ映画﹁Sgt. Preston of the Yukon﹂にインスピレーションを与えたとされる。さらにMutual Broadcasting Systemでは、1940年に5ヵ月にわたり﹁The Zane Grey Show﹂が放送された。これによってグレイは、億万長者作家の第一号と見なされている。釣り[編集]
グレイは、1918年から1932年まで﹃Outdoor Life magazine﹄誌に定期的に寄稿し、有名作家の1人となった。いわゆる“ビッグ・ゲーム”︵大物釣り︶を一般に広めた功労者である。 彼の著作のひとつ﹁Tales of the Angler’s El Dorado, New Zealand﹂は、ニュージーランド諸島におけるゲームフィッシングの漁区を定める助けとなった。 グレイは1926年にニュージーランドを訪問し、多くの種類の魚を釣り、中にはアオザメ(mako shark)などの“大物”も含まれていた。グレイはウルプカプカ島(Urupukapuka Island)のオテヒ・ベイ・ロッジ(Otehei Bay Lodge)を基地とし、﹃international sporting magazine﹄にニュージーランドにおけるブルーマリーンなどのカジキ釣りの楽しさ、ユニークさを称える文章を発表した。死後[編集]
国立公園局はUpper Delaware ScenicおよびRecreational Riverの一部として﹁Zane Grey Museum﹂設立した。またAltadenaの彼の家は歴史的建造物に指定され、﹁National Road Zane Grey Museum﹂という博物館も立てられた。Altadenaの山腹にある小路は彼を記念して﹁Zane Grey Terrace﹂と名づけられている。余談[編集]
映画﹃第三の男﹄で、勘違いにより文芸講演会をさせられたホリー・マーチンス︵売れない西部劇作家︶は﹁影響を受けた作家﹂に彼の名前を挙げ、聴衆を呆れさせる。邦訳作品[編集]
- 「辺境の狼」 The Spirit of the Border (1906)
- 「ユタの流れ者」 Riders of the Purple Sage (1912)
- 「最後の一人まで」 To the Last Man (1921)