タデウシュ・クチシェバ
タデウシュ・クチシェバ︵Tadeusz Kutrzeba, 1886年4月15日 - 1947年1月8日︶は、ポーランドの軍人。少将。
クラクフ出身。1906年、テレジア士官学校で教育を受け、オーストリア=ハンガリー帝国軍に入隊する。陸軍大学に入校するが、第一次世界大戦が始まり、工兵大尉として従軍する。
1918年11月、ポーランド軍に入隊し、参謀本部第1課長、後に第3課長。1919年10月から第1歩兵師団参謀長。ポーランド・ソビエト戦争時、1920年4月から第3軍参謀長、同年6月から北東戦線、後に中央戦線の参謀長。1920年~1921年、第2軍参謀長。1921年5月から最高軍事会議第3課長。1924年12月から参謀次長。1928年11月からワルシャワの高等軍事学校警備司令。1938年1月、ドイツとの戦争に備えた戦略計画案を立案し、エドヴァルト・ルィツ=シミグウィ元帥に高く評価された。1939年3月、﹁ポズナン﹂軍監察官に任命。
ドイツ軍のポーランド侵攻時、﹁ポズナン﹂軍︵4個歩兵師団、1個騎兵旅団︶を指揮。ポズナン軍は、フランクフルト・ナ・オーデル-ポズナンの線で陣地を敷いた。9月8日~9日、ブルゼにおいて逆襲によりドイツ第10軍の攻勢を停止させる。9月9日、大損害を受けていた﹁ポモジェ﹂軍の残余部隊も指揮下に置いた。その後、﹁ワルシャワ﹂軍副司令官に任命され、首都の防衛を担任した。頑強に防衛したが、最終的に降伏した。戦時中は、捕虜収容所で過ごした。
1945年5月、米英軍により解放され、イギリスに移民。ロンドンで﹁9月戦役﹂歴史委員会を率いる。ロンドンで死去。