トマス・タナー (好古家)
トマス・タナー︵Thomas Tanner、1674年1月24日 - 1735年12月14日︶は、イングランドの好古家、イングランド国教会の主教。
生涯[編集]
タナーは、ウィルトシャー州のマーケット・ラヴィントンに生まれ、オックスフォード大学ザ・クイーンズ・カレッジに学び、1694年に叙任された。翌年、オックスフォード大学オール・ソウルズ・カレッジのチャプレンとなり、次いでフェローとなったが、数年後に、当時のノリッチ主教で、後にイーリー主教に転じたジョン・ムーア付きの牧師となり、ムーアによってノリッジ教区の事務長︵chancellor︶に任じられた。1701年から1731年まで、ノーフォーク州に居住していた。1706年、ノリッジ近郊のソープ︵Thorpe︶の教区牧師︵Rector︶となり、1713年にはイーリー大聖堂の律修司祭となり、さらに1724年にはオックスフォード大学クライスト・チャーチの律修司祭となった[1]。1732年1月23日、タナーはセント・アサフの主教︵Bishop of St Asaph︶に任命され、以降は、ロンドン、オックスフィード、北ウェールズの間を行き来して過ごした。タナーはオックスフォードで没した。業績[編集]
タナーの存命中に出版された主要な著作は、イングランドとウェールズの宗教施設を網羅し簡単な説明をつけた﹃Notitia Monastica﹄であった。これは1695年にオックスフォードで出版された。1744年には、タナーのきょうだいであったジョン・タナー︵John Tanner︶によって増補の上、再版され、次いで1787年にはジェイムズ・ネスミス︵James Nasmith︶によってさらに増補され、再々版された。タナーは、17世紀に入る時期より前のイングランド、スコットランド、アイルランドで活動した著作家の事典﹃Bibliotheca Britannico-Hibernica﹄を40年かけて執筆した。これは後にデイヴィッド・ウィルキンス︵David Wilkins︶が完成させ、タナーが没した13年後の1748年に出版した。タナーはまた、ウィルトシャー州の歴史についての史料も収集し、また時おり、ジョン・リーランド︵John Leland︶の作品の新しいエディションの作成にも取り組んだ。タナーが収集した稀覯書や手稿のコレクションは、オックスフォードのボドリアン図書館に収蔵されている[1]。脚注[編集]
- ^ a b Chisholm 1911.
参考文献[編集]
- この記事にはアメリカ合衆国内で著作権が消滅した次の百科事典本文を含む: Chisholm, Hugh, ed. (1911). "THOMAS TANNER (1674-1735)". Encyclopædia Britannica (英語) (11th ed.). Cambridge University Press.
- Courtney, William Prideaux (1898). Lee, Sidney (ed.). Dictionary of National Biography (英語). Vol. 55. London: Smith, Elder & Co. . In
- Sharp, Richard. "Tanner, Thomas (1674–1735)". Oxford Dictionary of National Biography (英語) (online ed.). Oxford University Press. doi:10.1093/ref:odnb/26963。 (要購読、またはイギリス公立図書館への会員加入。)
イングランド国教会の称号 | ||
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先代 Francis Hare |
セント・アサフ主教 1732–1735 |
次代 Isaac Maddox |