トム・スネドン
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トム・スネドン︵Thomas W. Sneddon Jr.、Tom Sneddon、スネッドンとも、1941年5月 - 2014年11月1日︶は、1993年と2003年にマイケル・ジャクソンの性的虐待疑惑の捜査・裁判で有名になったアメリカ合衆国のカリフォルニア州サンタバーバラ地方の検察官である。法廷での被告に対する態度が執念深い追及姿勢であるとして、狂犬︵マッドドッグ︶の呼称を持っていた。だが最近は角が取れてきたらしく、﹁Snuffy︵不愉快な︶﹂のニックネームが付けられている。1人の妻と9人の子供を持つ。
略歴[編集]
ノートルダム大学卒。カリフォルニア大学ロサンゼルス校大学院修了。1967年から1969年まではアメリカ軍で働く。1969年から副検事。1977年から犯罪の書類作業を行っており、1983年からはサンタバーバラで検事をしている。現在は6期目。1993年には﹁Leadership Award﹂、1995年には﹁Director's Award﹂を受賞している。 マイケル・ジャクソンの1993年の事件では両者の間で慰謝料による和解が成立し、刑事裁判として立件できなかった為、本人は煮え湯を飲まされたとコメントしている。その為10年間の間両者は険悪な関係にあり、2003年の裁判は因縁の対決となった。マイケルからはアルバム﹁ヒストリー パスト、プレズント・アンド・フューチャー ブック1﹂︵1995年︶に収録されている﹁D.S.﹂という曲においてドム・シェルドンという仮名を用いられ(ただし、実際には歌詞カードにそのように書かれているだけであり発音はトム・スネドンとなっている)、﹁彼は冷血漢﹂と非難されている。これに対しスネドン自身は﹁マイケルの曲など聞いた事もない﹂と意に介さない様子であった。 2005年6月13日、裁判は過熱を極めたが、児童誘拐・監禁・恐喝を犯すための陰謀容疑1件、児童に対する猥褻行為容疑4件、児童に対する猥褻行為を試みようとした容疑1件、重罪を犯すことを援助するために酒を飲ませた容疑4件に関し、全てに無罪判決が下った。ある調査の一つでは、この判決に納得いかないとするのは白人の54%・黒人の26%であり、賛成は白人の28%黒人の50%強であったとされる︵ただし調査によるズレは大きい︶。 最後は﹁誠実で綿密な捜査をした。謝ることは何もない﹂﹁有名人としての要素が裁判に影響した﹂と語った︵ちなみに彼は検事生活で陪審の評決に異議を唱えたことは1度もない︶。 2014年11月1日、サンタバーバラの病院で死去[1]。73歳没。豆知識[編集]
- トム・スネドンはノートルダム大学在学中ボクシングをやっていたが、マイケル・ジャクソンの2005年の裁判の弁護人の実質的トップであったトーマス・メゼロウもハーバード大学でボクシングをやっていた。
脚注[編集]
- ^ M・ジャクソン氏を追及した元検事 トム・スネドン氏死去 産経ニュース 2014年11月3日[リンク切れ]