トルネイドース
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ザ・トルネイドース The Tornados | |
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出身地 | イングランド ロンドン |
ジャンル | ポップ、インストゥルメンタル、ロック |
活動期間 | 1960年 - 1967年、1975年 |
レーベル | デッカ・レコード、EMI |
公式サイト |
thetornados |
ザ・トルネイドース︵The Tornados︶[注釈 1]は、1960年代初頭に活動していたイギリスのインストゥルメンタル・バンド。イギリスの名プロデューサー、ジョー・ミークのプロデュースの下、1962年に﹁テルスター﹂を爆発的に大ヒットさせた。
来歴[編集]
﹁テルスター﹂以前の活動[編集]
トルネイドースは、イギリスの名プロデューサー、ジョー・ミークがセッション・ミュージシャンを寄せ集めて、結成された[注釈 2]。結成当初はスタジオ・ワークだけを行っていたが、ブリティッシュ・ロック御三家の一人、ビリー・フューリーのバックバンドを担当するようになる。やがて独立し、レコード・デビューも行う。ジョー・ミーク作の﹁ラヴ・アンド・フューリー﹂でデビューを果たしたが、ヒットには結び付かず、失敗に終わった。﹁テルスター﹂の成功[編集]
1962年、トルネイドースとミークに転機が訪れる。同年、テルスター衛星が打ち上げられ、それを記念してミークの手により﹁テルスター﹂が作られる。ある夜、自宅にいたミークは、突然神様から授かったかのようにメロディーを思いつき、それを忘れないために手元にあった灰皿にメロディーを書き殴り、そのまま自宅のスタジオのテープレコーダーで自らのハミングでメロディーを記録したという。当時、インストゥルメンタル・バンドには珍しい、オルガンが大部分のソロ・パートを担当するだけではなく、極めて機械的でスペーシーな音を出すクラヴィオリンという楽器が使われている。それに加え、ミークの、時代を超えたミキシングにより、とても1960年代初頭に作られたとは思えない、極めて宇宙的な楽曲を、ミークとトルネイドースは創り上げてしまったのである。後に、スペース・ロックと呼ばれるジャンルをこの曲で作ったのである。 この曲はこの年の8月17日にまずイギリスで発売され、ちょうどスプートニク1号打ち上げから5周年となる10月4日、イギリス国内のチャート1位を記録、しかし快進撃はこれだけに留まらず、大西洋を越えたアメリカのBillboard Hot 100でも12月22日[1]から3週連続1位を記録した。イギリスの歌手・バンドがアメリカのチャート・トップを独占したという快挙を成し遂げた瞬間でもある。ビートルズもアメリカのチャートに入る前のことである。結局、この曲は日本も含め全世界で500万枚以上を売り上げる大ヒットとなった。 ミークはこの﹁テルスター﹂以前にも、ジョン・レイトンの﹁霧の中のジョニー﹂をミキシング、プロデュースし、イギリスのチャートの1位を記録したので、﹁テルスター﹂は2度目の大成功とも言える。後にザ・ベンチャーズや、事実上ライバル視していたシャドウズ等、多数のグループにカバーされることとなった。その後[編集]
﹁テルスター﹂の大ヒット後も、﹁グローブトロッター﹂や﹁ロボット﹂でヒットを飛ばす。また、後にミュージック・ビデオと呼ばれる、﹁スコーピトン・フィルム﹂も﹁テルスター﹂と﹁ロボット﹂で作っている。﹁ロボット﹂ではメンバーがロボットに扮し、演奏している。 ヒットが出ず、カッティーニ脱退後もメンバーを替え活動していたが、1967年解散。その後、1975年、ベラミー、バート、ラヴァーン、カッティーニの4人で﹁テルスター﹂を再録音している。 なお、﹁テルスター﹂発表当時の5人は脱退後の1965年に再集結し、ミークが権利を持っていたために﹁トルネイドース﹂の名前を使えず﹁ザ・ジェミニ (The Gemini)﹂名義でシングル﹁Spacewalk / Goodbye Joe﹂を発売している。発売に先駆けてジェミニ4号の飛行でアメリカ初の宇宙遊泳が行われており、グループ名とタイトル曲はこの計画にあやかったものと思われる。﹁テルスター﹂録音時のメンバー[編集]
ザ・トルネイドースのメンバーは一定せず、メンバーの入れ替わりが顕著である。ここでは﹁テルスター﹂の録音時に在籍していたメンバーのみ記載する。
●ジョージ・ベラミー (George Bellamy) - リズム・ギター担当。1962年から1963年まで在籍。
1941年10月8日、タインアンドウィア州サンダーランド生まれ。歌手であったが、新聞でこのグループのオーディションがある事を知り、応募し、合格した。﹁テルスター﹂のヒット後は、作曲もこなし、アメリカでヒットした﹁空を飛ぶ恋﹂を作曲する。脱退後もセッション・ミュージシャンとして活動する。マシュー・ベラミーの父親である。
●ハインツ・バート (Heinz Burt) - ベース担当。1960年から1963年まで在籍。
詳細は本人の項を参照。
●アラン・キャディ (Alan Caddy) - リード・ギター担当。1962年から1965年まで在籍。
1940年2月2日、ロンドンのチェルシー生まれ。ジョニー・キッド&ザ・パイレーツのリード・ギターを務めた後、トルネイドースに加入。脱退後はプロデューサーやセッション・ミュージシャンとして、ダスティ・スプリングフィールドやプリティ・シングスのバックを務めた。2000年8月16日死去。
●ロジャー・ラヴァーン (Roger LaVern) - オルガン担当。1962年から1965年まで在籍。
1938年11月11日、ウスターシャーのキッダーミンスター生まれ。本名:Roger Keith Jackson。芸名の﹁ラヴァーン﹂はラヴァーン・ベイカーから取られた。ラス・コンウェイの様なピアニストになりたいと思っていたが、ミークから誘いを受け、トルネイドースに加入。脱退後、ソロ活動をするもヒットが出なかった。2013年6月15日死去。
●クレム・カッティーニ (Clem Cattini) - ドラムス担当。1960年から1965年まで在籍。
1938年8月28日、北ロンドンのストーク・ニューイントン生まれ。本名:Clemente Anselmo Arturo Cattini。セッション・ミュージシャンを経てアラン・キャディと同じくジョニー・キッド&ザ・パイレーツに加入。その後、トルネイドースに加入。﹁テルスター﹂録音時のメンバーの中で一番長く在籍していた。その後も、1967年にはジェフ・ベック・グループの結成メンバーやセッション・ミュージシャンとして数々のバックを務め、また、加入には至らなかったがレッド・ツェッペリンの結成に当たってドラマー候補にも挙げられている。1980年代にはトルネイドースの再結成にも参加している。
代表曲[編集]
●﹁ラヴ・アンド・フューリー﹂ - "Love and Fury" ●﹁テルスター﹂ - "Telstar" ●﹁グローブトロッター﹂ - "Globetrotter" ●﹁空を飛ぶ恋﹂ - "Ridin' the wind" ●﹁ロボット﹂ - "Robot" ●﹁ドラゴンフライ﹂ - "Dragonfly"ディスコグラフィ[編集]
アルバム[編集]
●﹃テルスター﹄ - The Original Telstar – The Sounds of the Tornadoes (1962年、London) ※北米、豪周辺のみリリース。全米45位[2] ●﹃アウェイ・フロム・イット・オール﹄ - Away from It All (1963年、Decca) ●We Want Billy! (1963年、Decca) ※with ビリー・フューリー。ライブ・アルバム。全英14位[3] ●The World of the Tornados (1972年、Decca) ●Remembering... the Tornados (1976年、Decca) ●Away From It All (1994年、Deram) ●The EP Collection (1996年、See for Miles) ●Tornados Now (1997年、Startel) ●Telstar (1999年、Castle Pie) ●Science Fiction (2007年、Secret)関連項目[編集]
●ブリティッシュ・インヴェイジョン ●第1次ブリティッシュ・インヴェイジョン・アーティストの一覧 ●ヤングタウンAM脚注[編集]
注釈[編集]
出典[編集]
- ^ 1962年12月22日付のビルボードHOT100ランキング
- ^ Whitburn, Joel (1996). Joel Whitburn's Top Pop Albums 1955–1996. Record Research. pp. 787. ISBN 0-89820-117-9
- ^ “Official Albums Chart Top 20 | Official Charts Company” (英語). www.officialcharts.com. 2021年3月22日閲覧。