ノート:マニフェスト

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語彙[編集]

政党公約のマニフェストと後者のマニフェストではスペルが違います 政党公約のほうは「manifesto」積荷目録などの意味で使うマニフェストは「mamifest」です ついでに言えば「manifesto」はイタリア語 「manifest」は正確なソースは見つけられませんでしたが辞書で調べた限り英語だと思われます

手元の英和辞典にはmanifesto, manifestともに載っていました。何か他の言語から英語に取り入れられた言葉なのかも知れません。この場合は、英語ではなく、元となった言語の方を語源として出すべきなのでしょうね。
積荷目録の方は反映させておきました。ありがとうございました。nnh 07:59 2003年10月26日 (UTC)

そういえばアメリカの歴史で「マニフェスト・デスティニー(明白な天命)」という言葉が出てきた気がします。それはさておき、手元の「研究社 新英和・和英中辞典」の電子辞書版によると、manifestはラテン語「手で握られた」「はっきりわかる」の意、manifestoはイタリア語「はっきり示すこと」の意 だそうです。「三省堂 コンサイス外来語辞典第4版」によればマニフェストはドイツ語 Manifest 宣言、声明書 <昭>とありました。Carbuncle 08:14 2003年10月26日 (UTC)

私の辞書はジーニアスですがmanifestoはイタリア語で「政策、宣言、声明」という風に書いてありmanifestは何語かについては書いてなく「はっきりした」「証明する」とかいてありまた「積荷目録に載せる」と言う風にもかいてあります。

では、最初の部分は(:manifesto)とでもすれば良さそうですね。ドイツ語とあるのはドイツ人マルクスが出した共産党宣言との絡みでしょうか。nnh 08:27 2003年10月26日 (UTC)
manifesto はイタリア語から入ったもので間違いないと思います。もちろんずっと遡れば結局は manifesto も manifest(フランス語から?)も同じラテン語に辿り着きます。リンクを三つ。[1], [2], [3]--出でやる 08:35 2003年10月26日 (UTC)

常識的な書き足しをしてみました。Mishika11:43 2003年10月19日 (UTC)

上の議論から外れますが、どうやら本項では「政権公約」としてのマニフェストを詳述するスタンスのようですので、共産党宣言関連については、冒頭部分に第3の意味として「共産党宣言のこと」のように書いて、詳細は「共産党宣言」の項に移動するというのはいかがでしょうか。--Lombroso 2005年9月6日 (火) 09:31 (UTC)[返信]

Manifest Destinyの場合は「具現化する運命」そこから「宿命」という意味に転じています。つまり「具現化する」->「現れる」->「表明する」と意味がつながっています。Vapour 2010年5月13日 (木) 08:39 (UTC)[返信]

共産党宣言[編集]

現在の書き方だと選挙時の政党の政策声明としてのマニフェストの語源が共産党宣言であるというふうに読めますが、これは要ソースだと思われます。英語版では共産党宣言は重要なマニフェストの一つとして列挙されてはいますが、語源であるとは書いてありません。政治的声明の意味でのマニフェストの用法自体は、共産党宣言以前からあったようにも思えますが、ちょっと情報がないので判断しかねます。ただ、ソースなしで、外部サイト( http://gogen-allguide.com/ma/manifesto.html )には、イタリア共産党の宣言がイギリスでの用法のもとになったと書いているところもあります。そういうわけで、情報を求めます。--Clinamen 2009年7月30日 (木) 09:30 (UTC)[返信]

http://blog.livedoor.jp/strategy001/archives/11391256.html

http://www.doyukai.or.jp/politics/manifesto1_1.html

ロバート・ピール

とりあえず参考資料として発見したものを。--Clinamen 2009年7月30日 (木) 11:44 (UTC)[返信]

民主党鳩山代表発言について[編集]




使2009727[1]

2

[2]2009727調[3] 


(一)^  FNN 2009/07/29

(二)^  20070220

(三)^  FNN 2009/07/29


-- 200983 () 09:00 (UTC)[]

--Clinamen 200983 () 10:03 (UTC)[]

Clinamen2009818



220.216.72.150 200983 () 11:44 (UTC)[]

使Wikipedia: -- 200983 () 13:08 (UTC)[]

姿220.216.72.150 200983 () 14:02 (UTC)[]

12



http://daily-point.com/?itemid=274

--Clinamen 200983 () 14:32 (UTC)[]

Clinamen 09 220.216.72.150 200984 () 09:37 (UTC)[]

220.216.72.150-- 200984 () 09:50 (UTC)[]

姿220.216.72.150 200984 () 11:20 (UTC)[]

220.216.72.150 200985 () 13:52 (UTC)[]

2010年4月6日(火)14:16の版について[編集]

法的拘束力があるわけではないため、国民の不信感が生まれることを除けば、違反したところで何の痛痒も感じる必要はない】とありましたが、自由委任の観点からは、有能有用であることをもって大衆に敬意を払われた名士が選挙を通じて代表として信認され、状況に応じて信任した代表の判断で最善の政策判断をすればよいわけですから、国民に不信感が生まれるほうがどうかしていると言えます。出来もしない空手形を切って恥をかかされることと、「マニフェスト」に縛られず国民の信認に応えることは別のことでしょう。まあ空手形と判っていながら反故にされれば腹もたちましょうが、それはそれ。--大和屋敷 2010年4月6日 (火) 15:06 (UTC)[返信]

公約を廃してマニフェストの記事があるのは早急なのでは[編集]

読売に「「マニフェスト」民主のせいでイメージ悪化?」[4]の記事が出ています。これから十年後に存在しているかどうかも分からないだけでなく、イギリスに限定された感のあるの用語の記事があるのにもっと根源的な用語である「選挙公約」の記事が存在しないのは問題なのではないでしょうか。ちなみに英語版では、Election promiseが主要記事として扱われManifestoは選挙ポータルに含まれていないだけでなくElectoralManifestos(選挙声明文)はそのManifestoの記事の1項目にしか過ぎません。選挙公約に改題して、その発表方法の一形態としてManifestoを記事の一項とするのが知識の体系として筋が通るのではないでしょうかVapour 2010年5月13日 (木) 04:24 (UTC)[返信]

ていうか読売の記事を読むと選挙公約声明文としてマニフェストという用語は全政党でまだ定着していない感があります。Vapour 2010年5月13日 (木) 08:30 (UTC)[返信]


背景[編集]

デュヴェルジェの法則から二大政党制を演繹した文脈での説明がおこなわれていましたが、二大政党制とマニフェスト方式の採用には断絶がありますので、敷衍しきるのには限界があるとおもいます。やはり(普遍的な政治システムの在り方の一つ、としてではなく)イギリスの政治文化の特殊性として記述するほうが適切ではなかろうか。--大和屋敷 2010年6月6日 (日) 03:27 (UTC)[返信]

「公約」の記事が削除されてマニフェストの記事に取って代わられているので非常にやりにくい。マニフェストはあくまでもイギリスにおける公約の一形態と見るべき。公約の記事を復活して、そのイギリスの項目でマニフェストを書く方がやりやすいと思います。アメリカの政治の場合は大統領は議会選挙とは別に選出されるので立法の権限がない代わりに拒否権があるため「増税はしない」(増税に当たる法律にはサインしない)などの否定的な公約しか意味をなさない。それに共和党で使われた"Contract with America"もマニフェストの枠外。Vapour 2010年6月10日 (木) 06:47 (UTC)[返信]

契約に関して[編集]


-- (MOTOI Kenkichi) 2010611 () 21:54 (UTC)[]

Wikipedia??-- 2010612 () 00:50 (UTC)[]

-- (MOTOI Kenkichi) 2010612 () 01:41 (UTC)[]