末尾の以下の部分ですが、
また、この作品と同じ津山事件をモチーフとした﹁SIREN﹂、山村の因習をモチーフとした﹁ひぐらしのなく頃に﹂など、後世のミステリー作品にも大きな影響を与えている。
後世への影響としていきなりゲームタイトル2作が挙がっているのですが、本項目の性格からするとやや唐突のように思えます。少なくとも﹁概要と解説﹂にではなく、﹁後代作品への影響﹂とでも表題して別途余禄とすべきではないでしょうか。ご意見をお願いいたします。--Geso 2007年7月18日 (水) 06:06 (UTC)[返信]
唐突と言うか不自然ですね。ただ﹁後代作品への影響﹂として段落分けするなら、もう少し内容を加筆すべきでしょう。今の内容のままなら、いったん段落を作って、それ全体をコメントアウトにしても良いと思います。内容が整ったらコメントを外すと注意書きを添えて。--カイの迷宮 2007年8月12日 (日) 14:13 (UTC)[返信]
その方針に賛成です。私も後発作品への影響という事ですと、もっと色んな時代およびジャンルについて触れるべきだと考えます。つい最近出たテレビゲームの二作をもって﹁後世のミステリ﹂の代表格とするのは客観的にも疑問が残りますので、概要として適切な程度には網羅・言及したいですね。--Geso 2007年8月13日 (月) 01:02 (UTC)[返信]
賛成です。八つ墓村に影響を受けた後世のミステリの代表格として、2つは少ないと思うし、SIREN、ひぐらしについては八つ墓村などが区分されている﹁ミステリー小説﹂の域に分類されない︵離れている︶ため、この場合の例として不適切だと思います。しかし、八つ墓村に影響された作品が存在するのは事実なので、そこのコメントアウト化はいいと思います。--武井克行 2007年9月28日 (金) 10:56 (UTC)[返信]
古谷一行版・連続TVドラマのほうのキャストなんですが、DVDで確認すると一目瞭然、小竹と小梅は毛利菊枝さんの一人二役ではありません。第1回の最初に登場するとき、画面の右に座っている(どちらかというと顔が四角い)ほうが小竹で、毛利菊枝さんが演じています。画面左のほう(どちらかというと面長)が小梅で、その役を演じている女優さんが誰なのか、確認できません。どなたか、この女優さんの名前を御存知のかた、いらっしゃいませんか。ドラマの配役表から推測する限りでは、新海なつ、というかたのようなのですが。自分でも、もう少し調べてみるつもりです。--氷室浩次 2008年4月9日 (水) 03:58 (UTC)[返信]
- 議論されている内容のその後の顛末が記録されていないことを見出したため変更履歴から情報を抽出:
- 2008年4月9日 (水) 03:47 (UTC) の 氷室浩次 による編集で「要出典」タグが付加され、2009年12月21日 (月) 20:01 (UTC) の 211.131.100.95 による編集で「新海なつ(小梅)」に修正された。その後、2013年4月13日 (土) 13:51 (UTC) の Umitori による編集でレイアウトが変更されたが、内容は現在まで維持されている。--Dakarananyanen(会話) 2019年1月14日 (月) 00:50 (UTC)[返信]
金曜エンタテイメント・八つ墓村 (2004年10月1日、フジテレビ)、金田一:稲垣吾郎 の記事中に
里村典子、野村荘吉、長英が省略されている。また、英泉と亀井陽一が同一人物であるという事実はない。
とありますが、英泉と亀井陽一は同一人物です。
出典)角川文庫版 八つ墓村 第四十二版 P456 3行目~5行目 長英さんの発言、以降P461までいきさつが明記されています。
- 指摘への対応が記録されていないことを見出したため変更履歴から情報を抽出:
- 当該指摘には署名が無いが、ノートの変更履歴によると 2009年9月11日 (金) 07:22 (UTC) の 122.217.54.52 によるものである。
- 指摘そのものは「原作の設定」と「テレビドラマの設定」を混同しており妥当とは言えないが、「事実はない」という表現が誤解を招きかねないことは確かである。ページの変更履歴によると、2011年1月7日 (金) 21:46 (UTC) の 202.218.14.65 による編集で「同一人物であるという事実はない」が「同一人物であるという設定はない」に修正され、これが現在まで維持されている。--Dakarananyanen(会話) 2019年1月13日 (日) 00:12 (UTC)[返信]
「テレビドラマ」のセクションに「未検証」テンプレートが貼り付けられたまま放置されていましたが、編集履歴を遡って確認したところ、2008年4月9日 (水) 03:47 (UTC) の 氷室浩次 による編集で貼り付けられたものでした。なお、2010年12月11日 (土) 14:17 (UTC) の しまあじ による「未検証カテゴリ年月別整理」に基づく編集で、貼り付け年月が付記されています。
このときの編集差分によると、本ノートの#小竹と小梅セクションに記述されている問題に絡んで貼り付けられたもののようです。この問題は#小竹と小梅セクションにも記載したとおり既に解決されています。したがって、当該テンプレートは問題解決時に外し忘れたものと認められますので、除去しました。
--Dakarananyanen(会話) 2019年4月27日 (土) 00:48 (UTC)[返信]
鬼首村に関する編集方針が少し迷走しかかっているように思うので、話を整理しておきます。
2019年10月30日 (水) 10:13 (UTC)に私がここを修正した元々の理由は、元の論述が﹁前作﹃夜歩く﹄との連続性が示唆されている﹂となっていたからです。この表現は、おそらく金田一登場の少し後に美也子が辰弥に伝聞情報を伝える場面のみを意識したもので、最後に関係者を集めて真相を語り合う場面で﹃夜歩く﹄が明示されていることを見逃したものと思われます。このことは、以下の議論に直接に影響するものではないと思いますが、念のため確認しておきます。
そのうえで、﹃八つ墓村﹄﹃夜歩く﹄﹃悪魔の手毬唄﹄の3作品に登場する鬼首村の同一性の議論と鬼首村の読みの議論とに分離して、その2つを連続して記述するという形に整理しました。この分離して連続させるという方針は問題視されていないと思いますし、問題提起されているのは専ら後者の﹁読み﹂の問題であると思います。
以上を確認したうえで、どう論述するべきかについてですが、
●﹃八つ墓村﹄の角川文庫版に﹁おにこべむら﹂というルビが振られていることが話の出発点です。
●﹃八つ墓村﹄の鬼首村は﹃夜歩く﹄の鬼首村であるにも関わらず、﹃悪魔の手毬唄﹄に準拠したルビが振られているという問題があるということを指摘する必要があります。
●﹃夜歩く﹄や﹃悪魔の手毬唄﹄における鬼首村の読みについて詳論するのは、それ自体は不適切ではありませんが、あまり詳細に過ぎると﹃八つ墓村﹄におけるルビの問題であるということが読み取りにくくなってしまいます。
2019年11月2日 (土) 23:53 (UTC) および2019年11月3日 (日) 04:16 (UTC)のエヴァンズの秘書さんの編集は、﹃八つ墓村﹄におけるルビの問題であるという趣旨が完全に失われているので、一度元に戻させていただきました。再考していただけないでしょうか。
--Dakarananyanen︵会話︶ 2019年11月3日 (日) 16:31 (UTC)[返信]
Dakarananyanenさんの編集方針と記述内容については承知しました。﹃八つ墓村﹄におけるルビの記述を﹃悪魔の手毬唄﹄のルビの記述だと誤解しておりました。ただ、誤解した理由については、その記述にもいささか問題があるように思います。
﹁一方、﹃悪魔の手毬唄﹄の舞台も鬼首村であり、角川文庫版では美也子の伝聞情報に上記2作品をまとめて参照させる作者註がついているが﹂の角川文庫版は、美也子の伝聞情報とあることから﹃八つ墓村﹄のことであると理解できましたが、その後の﹁﹃悪魔の手毬唄﹄の鬼首村は岡山県と兵庫県の県境と説明されていて位置が異なっており、同名の別の村と考えるのが合理的である。なお、角川文庫版では鬼首村に﹁おにこべむら﹂とのルビを振っているが、これは﹃悪魔の手毬唄﹄における﹁詰まった読み﹂であり﹂は、この角川文庫版が﹃悪魔の手毬唄﹄ではなく﹃八つ墓村﹄のことだと認識するのは難しいのではないでしょうか。
この誤解を招きやすい記述は、本作の角川文庫版、または﹃八つ墓村﹄の角川文庫版と、角川文庫版の前に﹁本作の﹂または﹁﹃八つ墓村﹄の﹂を追記すれば解消できると思いますが、いかがでしょうか。それと、この注釈でそこまでの正確性は不要かも知れませんが、﹁﹃悪魔の手毬唄﹄における﹁詰まった読み﹂﹂は、正しくは﹁﹃悪魔の手毬唄﹄における﹁なまった読み﹂または﹁詰まった読み﹂﹂です︵﹁または﹂﹁あるいは﹂﹁および﹂のいずれが妥当かは検討を要しますが︶。合わせてご再考をお願いいたします。 --エヴァンズの秘書︵会話︶ 2019年11月3日 (日) 23:12 (UTC)[返信]
御指摘および御提案ありがとうございます。誤読しやすいと御指摘の部分は修正前の表現を無理に残そうとした結果でもありますので、大幅に書き換えてみました。また、﹃悪魔の手毬唄﹄における転訛の説明をここで論述すると文脈阻害が避けられないと思うので、﹃悪魔の手毬唄﹄のページの該当部分を参照する形としてみました。如何なものでしょうか。
--Dakarananyanen︵会話︶ 2019年11月4日 (月) 08:44 (UTC)[返信]
修正を確認しました。こちらで結構です。ご対応いただきありがとうございました。 --エヴァンズの秘書︵会話︶ 2019年11月4日 (月) 21:40 (UTC)[返信]
2022年3月16日 (水) 12:51 (UTC)の編集で追加された再放送情報が2022年3月19日 (土) 00:25(UTC)の編集でコメントアウトされましたが、若干混乱があるようなので整理します。
まず、コメントアウト時の編集内容要約に﹁1977年版は何度も再放送されており﹂とありますが、対象になっている再放送情報は1977年版ではなく、1969年版です。まずここを確認してください。
そして、1969年版に関する限り﹁何度も再放送されており﹂というのは事実ではないと思います。このサブセクションの出典情報になっている ISBN 978-4-8003-0288-5 のp.131でも﹁映像を観ることができないので﹂とある通り、この作品は参照できないものと考えられており、映像は現存していないとする記述も見受けられるものでした。そのため、私自身も追加された再放送情報を見て東映チャンネルの情報を確認し、映像が現存していたという事実に驚愕したような状況です。
以上の点、ご確認のうえ、編集を再考していただくようお願いします。
--Dakarananyanen︵会話︶ 2022年3月19日 (土) 10:14 (UTC)[返信]
再放送情報を2022年3月19日 (土) 00:25(UTC)の編集でコメントアウトしましたエヴァンズの秘書です。まず、要約欄に︵記載するなら過去の再放送情報も記載するべきだが、1977年版は何度も再放送されており、再放送が必要な情報か疑問︶との記載の﹁1977年版﹂は﹁1978年版﹂の誤りでした。ここに訂正いたします。そのうえで、﹁﹁1977年版は何度も再放送されており﹂とありますが、対象になっている再放送情報は1977年版ではなく、1969年版です﹂﹁1969年版に関する限り﹁何度も再放送されており﹂というのは事実ではないと思います﹂とのDakarananyanenさんのご指摘につきましては、私の記述の主旨を誤解されているようです。
︵記載するなら過去の再放送情報も記載するべきだが、1977年版︵以下、1978年版に訂正して記述︶は何度も再放送されており、再放送が必要な情報か疑問︶との要約欄の記載は、次の3つの論旨を要約したものです。
(一)1969年版が過去に再放送されているならその情報も記載するべきで、予定だけを記載するのは片手落ちである。
(二)1978年版は何度も再放送されており、再放送情報を記載するなら1978年版も記載するべきで、1969年版の再放送情報だけを記載するのは片手落ちである。
(三)ただし、そのような再放送の羅列が必要な情報なのかは疑問である。
以上3点の論旨に基づき、1969年版の再放送予定の情報をコメントアウトしました。ただ、Dakarananyanenさんが﹁映像が現存していたという事実に驚愕した﹂と記載されているとおり、この再放送情報は﹁映像が現存していたという事実﹂を明らかにしたということに意義があり、そういう意味において1968年版の再放送予定の記載は必要な情報であると認識いたしました。
つきましては、1968年版の再放送予定の記載は、単に再放送予定というだけではなく、そのことにより﹁映像が現存していることが確認された﹂という記載に改めて、コメントアウトを解除しました。具体的には﹁なお、映像は現存していないとされていたが、2022年4月、CS﹁東映チャンネル﹂にて再放送予定であることから、映像が現存していることが確認された。﹂としました。ご確認をお願いいたします。--エヴァンズの秘書︵会話︶ 2022年3月20日 (日) 00:53 (UTC)[返信]
当初の編集内容要約が﹁他の映像作品には再放送情報が無い﹂という状況と比較して情報の必要性を疑問視する趣旨であった旨、了解しました。修正していただいた書き方でも良いとは思いますが、
●個人で発信しているWeb情報などには﹁映像が現存しない﹂旨の記述が見られるが、比較的質の高い文献等には﹁映像を観ることができない﹂という表現しか見当たらない。
●﹁確認された﹂という表現は、例えば﹁倉庫の奥に眠っていた映像媒体が発見されて再放送ができるようになった﹂というような段階で使うべきもので、﹁再放送予定﹂を判断根拠とする文脈では違和感がある。
という問題を感じましたので、さらに書き換えてみました︵再放送後にさらに書き換える必要がある表現ですが︶。ご確認ください。
--Dakarananyanen︵会話︶ 2022年3月20日 (日) 16:01 (UTC)[返信]
- 確認しました。修正いただきありがとうございました。--エヴァンズの秘書(会話) 2022年3月20日 (日) 23:45 (UTC)[返信]
﹁概要と解説﹂節の下から2行目に、無出典で﹁なお、村の名前は実在した近隣の地名、真庭郡八束村︵現在の真庭市蒜山︶が元である﹂と記載されています。これは元をたどると、2006年11月3日のこの編集で﹁題名も近隣に実在した地名、真庭郡八束村︵現在の真庭市蒜山︶をもじっている﹂と、無出典で追記されたもので根拠がありません。一応、以下に掲げる書籍・文献で確認しましたが、いずれにもそのような記載は見られません。﹁八束村をもじっている﹂のではなく、これを記載した人が﹃八つ墓村﹄︵やつはかむら︶の名前から連想して﹁八束村﹂︵やつかむら︶にこじつけただけのものではないかと思います。
つきましては、﹁概要と解説﹂節に記載の﹁なお、村の名前は実在した近隣の地名、真庭郡八束村︵現在の真庭市蒜山︶が元である﹂に﹁要出典﹂のテンプレートを貼付しました。Wikipedia:検証可能性#出典を示す責任は掲載を希望する側にのとおり、出典を示す責任は掲載を希望する側にあり、信頼できる情報源を欠く編集は除去されるのもやむを得ません。この編集をされた方に限らず﹁なお、村の名前は実在した近隣の地名、真庭郡八束村︵現在の真庭市蒜山︶が元である﹂の記載を残したい方は、信頼できる情報源に基づく出典を提示いただきますようお願いいたします。なお、1か月待って出典を提示いただけない場合は、出典がない、または出典提示不可能とみなして、6月3日に当該記載を削除いたします。ご承知のほど、よろしくお願いいたします。
●確認した書籍・文献
●﹃真説 金田一耕助﹄︵角川文庫︶
●﹃金田一耕助のモノローグ﹄︵角川文庫︶
●﹃横溝正史読本﹄︵角川文庫︶
●﹃探偵小説五十年﹄︵講談社︶
●﹃探偵小説昔話﹄︵講談社︶
●﹃横溝正史の世界﹄︵徳間書店︶
●﹃横溝正史に捧ぐ新世紀からの手紙﹄︵角川書店︶
●﹃八つ墓村﹄︵角川文庫︶ - 平成5年11月10日62版巻末の大坪直行の解説
●﹃横溝正史研究3﹄︵戎光祥出版︶ - 特集﹁岡山・倉敷殺人事件﹂︵金田一耕助シリーズの岡山編に特化した研究書︶
●﹃僕たちの好きな金田一耕助﹄︵宝島社︶
--エヴァンズの秘書︵会話︶ 2023年5月3日 (水) 00:06 (UTC) --エヴァンズの秘書︵会話︶ 2023年5月3日 (水) 00:09 (UTC)[返信]
- 要出典テンプレート貼付後1か月を経過しても未だ出典が付されないため、5月3日に予告したとおり、出典がないまたは出典提示不可能とみなし、要出典の記述「村の名前は実在した近隣の地名、真庭郡八束村(現在の真庭市蒜山)が元である」を削除しました。--エヴァンズの秘書(会話) 2023年6月3日 (土) 00:07 (UTC)[返信]