ノート:田中河内介
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岡藩の古老[編集]
岡藩の古老が、小河一敏のことです。--Quark Logo(会話) 2016年5月3日 (火) 09:28 (UTC)
- 「古老が語り合っていたといわれている」という「伝聞であること」が検証可能な事実です。これが読み手に伝わらなければ意味がありません。「信憑性がないという注記に出典が必要」と言いますが、この出典が検証可能にしている事実は「古老が語り合っていたといわれている」という内容であって、明治天皇が大久保らを批判したという内容ではありません。あなたの記述の仕方では、明治天皇が大久保らを批判したことが、さも事実であるかのように記述し、その出典として「漂泊の志士北有馬太郎の生涯」を提示していますが、その書籍では明治天皇が批判したという事実は検証できません。古老が語り合っていたと言われているという記述があることを検証可能にしているにすぎません。小河一敏が岡藩の古老であることと、古老が語り合っていたといわれているという伝聞にすぎないことを明記するのは全く別の問題です。そもそも、「古老が語り合っていたといわれている」ことにたいして貴方と同じ出典を引用していますが、その文章を丸ごと削除するとはどういう了見でしょうか?--153.228.166.71 2016年5月3日 (火) 10:07 (UTC)
随分前に書いたことだから間違った。古老は別か。あと明治天皇が批判したのではなく、小河が批判したのです。そんな誤解をするところを見ると書き方は悪いのか。引用している出典は二つあって、じゃ、両方書こうか。あと他でも聞かれる話であって、唯一の出典というわけでありませませんし、そもそも検証可能性についてあなたはあまり理解できていないように思います。事実の究明はウィキペディアの目的ではありません。事実かどうかではなく、検証可能性があるか、つまり出典あるかどうかだけです。ウィキペディアは真実の探求をする場所ではありません。--Quark Logo(会話) 2016年5月3日 (火) 10:22 (UTC)
「なお、このことがあって、小河一敏は当世に志を得ずに終わったと、岡藩の故老が語り合っていたといわれる。」 |
—『漂泊の志士北有馬太郎の生涯』より |
- この文章からは、故老が語り合っていたことは、小河一敏は当世に志を得ずに終わったですね。田中のことではなく。小河は出世できなかったのはこのためだと噂していたというだけです・・・・。このことが伝聞ではないね。それも誤解ないように。--Quark Logo(会話) 2016年5月3日 (火) 10:33 (UTC)
「「ここにおられる某君等が指図して、薩摩へ護送の際に同志に刺殺され、船中において非業の死を遂げましてございます。」と答えたため、某は赤面して顔を上げることができなかったという話が伝わっている。」 |
—『漂泊の志士北有馬太郎の生涯』より |
どちらにしろ伝聞ですね。--153.228.166.71 2016年5月3日 (火) 10:43 (UTC)
つまりですけど、この出典のこの件のおおよそが伝聞を元に記述されているんですよね。正直、この件全てに特筆性があるとは思えないんですが。せめて、誰かの日記や手記でも残っているならまだしも、少なくともこちらの出典に関しては著者が聞いた噂以外に何の根拠も示されていませんよね?もう1つの出典を待ちますが﹃漂泊の志士北有馬太郎の生涯﹄のこの部分は出典としての信憑性は不十分かと思いますよ。…--153.228.166.71 2016年5月3日 (火) 10:50 (UTC)
出典としては十分ですね。とうか、信憑性がないという根拠が、伝聞だからというのでしたら、あなたがウィキペディアの検証可能性について理解してないということです。出典を明記して書いているのであって問題ないです。出典のある記述を削除する行為は基本的に禁止されています。--Quark Logo︵会話︶ 2016年5月3日 (火) 10:56 (UTC)
>事実かどうかではなく、検証可能性があるか、つまり出典あるかどうかだけです
その通りです。但し、その出典が何を検証可能にしているかをはっきりしなければ、出典があればなんでも書いていいわけではありません。﹃漂泊の志士北有馬太郎の生涯﹄では﹁小河が批判した﹂ということは検証可能ではありません。﹁小河が批判したという話が伝わっている﹂ことを検証可能にしているだけです。
>出典のある記述を削除する行為は基本的に禁止されています
当初出典は提示されていなかったはずですが?私が出典部分を削除したことありましたか?追記はしていますが、削除したのは出典の無かった最初だけだと思いますが?むしろ私が出典を付けて追記した部分を丸ごと削除したのは貴方ですよ。--153.228.166.71 2016年5月3日 (火) 11:03 (UTC)
>信憑性がないという根拠が、伝聞だからというのでしたら、あなたがウィキペディアの検証可能性について理解してないということです
信憑性が無いという話と検証可能性は別問題ですね。私が言いたいのは、伝聞という信憑性の乏しい内容を出典にしてまで記述するほど特筆性があるとは思えないということと、それでも記述するのであれば、伝聞であるという検証可能な事実として記述すべきだと言うことです。何度も言いますが、出典が検証可能にしているのは、﹁小河が批判した﹂ということではなく、﹁小河が批判したという話が伝わっている﹂ということです。その出典では﹁小河が批判した﹂ということは検証可能ではありません。--153.228.166.71 2016年5月3日 (火) 11:09 (UTC)
違いますね。ウィキペディアの方針を熟読してください。検証とは真実の検証ではありません。出版されてる書籍で十分なのです。エピソードの出典に原典まで求められていません。そういうルールで皆がやっています。あなたがやろうとしているのは真実の探求。それはウィキペディア以外でご自分でやってください。
IP:153.228.166.71︵会話 / 投稿記録︶氏が出典を付けた??? どこに??? 私が書いた部分をコピペして、﹁という話しを岡藩の古老が語り合っていたという噂が伝わっている﹂という引用のような部分を追加しただけでしょう。そういうのは出典を付けたとはいいません。私はあなたが出典の付け方を知ってるのかも疑わしいと思っております。
総じて言いたいのは、ウィキペディアのルールを間違えているよ、ということです。独自解釈で話されても困る。あと、﹁小河が批判した﹂何て記事に書いてないから。あなたが明治天皇が大久保を批判したなんて珍妙なこというから、この場でわかりやすく説明してあげただけです。--Quark Logo︵会話︶ 2016年5月3日 (火) 11:15 (UTC)
>小河一敏(弥右衛門)が進み出て﹁ここにおられる某君等が指図して、薩摩へ護送の際に同志に刺殺され、船中において非業の死を遂げました﹂と答えて、その場にいた大久保利通[3]らを暗に批判した。
当初はこう書いてありましたよね?これで﹁小河が批判した何て記事に書いてないから﹂ってどういうこと?主語は﹁小河一敏﹂で述語は﹁批判した﹂ですよね?違います?これ貴方が書いた記述じゃないですか?出典にはもちろん小河が批判したなんて書いてないですよ。その点を独自研究で批判してもいいんですが、一応そこは貴方の意を汲んで小河が批判した文面であることを前提に話をしているんですが?
>検証とは真実の検証ではありません。
貴方完全に勘違いしてますよ。出典が検証可能にしている内容を拡大解釈しすぎです。貴方の当初の出典で小河がそのように大久保を暗に批判したことが検証可能ですか?検証できないですよね?検証可能になっていたのは、﹁小河がそのように話した︵暗に批判した︶と伝わっている﹂という内容だけです。﹁小河一敏小河一敏が進み出て~大久保利通らを暗に批判した。﹂という内容を検証可能にしていないことが分かりません?まあ結局書き直したようなんでかまいませんけど。--153.228.166.71 2016年5月3日 (火) 11:34 (UTC)
ちなみに出典の信憑性の問題ですが、Wikipedia:信頼できる情報源では、﹁注意すべき論点﹂として、﹁それらの情報源の著者は実際にそこにいたのでしょうか?﹂という内容に加えて、﹁その二次資料は複数の独立した一次資料を利用していますか?﹂というものがあります。著者がその場にいなかった2次資料であるにも関わらず1次資料の引用どころか伝聞しか根拠がないものが出典として充分と言えるかどうかは、この書籍が事実の検証プロセスを経ている形跡すらないことから2次資料の定義からも外れていますし、大いに議論の余地があると思いますよ。--153.228.166.71 2016年5月3日 (火) 11:54 (UTC)
なんでこれ以上絡んでくるのかわかりませんが、その最初の文書の意味をあなたは﹁明治天皇が大久保らを批判したという内容﹂と理解したわけでしょう? そこからおかしいわけですよ。そして私は﹁小河が批判した﹂という文字通りの語句を書いてないでしょう。こっちは当たり前のことしか言ってないわけですよ。だって最初の文章を﹁明治天皇が大久保らを批判したという内容﹂と理解する相手と、私は話しているわけですから、文字通りのこと以外をいったら混乱するに決まってる。そして今、IP:153.228.166.71︵会話 / 投稿記録︶氏は混乱しているというわけでしょう。
書いていることは、小河は某氏もしくは大久保を指してこの人が殺したと言ったことです。このエピソードの肝は二つあって、明治天皇と田中の関係を表す美談の一つということと、実直剛毅な小河の話というもの。そういう構造になっている。
出典が検証可能ではなく、検証可能性とは出典そのものです。出典をもとに内容を検証して真偽を判定するようなことはウィキペディアではやりません。言うのは三度目ぐらいですが、ただの百科事典なので、捜査のようなことはしません。目的外です。こういう話があります、出典はこれです。で、終わり。それから先のことはしません。暗に批判したが嫌なら、指さして名指ししたでもいいですけど、それは検証とは関係ない表現の問題。全く同じ表現をつかわないと分からないというのかもしれませんが、引用には引用のルールがあるため、短くし難い。検証とは無関係ですが、出典のままかくと長くなるというだけの事で、内容はかわってないけどフルにしたということです。
資料の信用性については全く問題ないレベルです。学術論を書いてるわけでも何でもない。TPOがあるわけですよ。最高レベルの出典が必要な記事もありますが、これは違います。ただの人物のエピソードについての話です。--Quark Logo︵会話︶ 2016年5月3日 (火) 12:11 (UTC)
>小河一敏(弥右衛門)が進み出て﹁ここにおられる某君等が指図して、薩摩へ護送の際に同志に刺殺され、船中において非業の死を遂げました﹂と答えて、その場にいた大久保利通[3]らを暗に批判した。
これ、貴方の文章ですよね?どう読んでも﹁小河一敏が進み出て~大久保利通らを暗に批判した﹂つまり﹁小河が批判した﹂としか読めませんが?
>出典が検証可能ではなく、検証可能性とは出典そのものです。
やはり分かっていないようですね。記述に対してその内容を検証可能にするのが出典ですよ。真実か否かではなく、出典から何が検証可能であるかの判断を貴方は間違えています。貴方が当初記述した﹁小河一敏が進み出て~大久保利通らを暗に批判した﹂は出典では検証可能ではありません。この出典は、小河が某を赤面させたという話が伝わっている、という書き方で伝聞であることを明確にしています。だいたい、出典に﹁伝わっている﹂と書かれているものをなぜわざわざ端折って﹁批判した﹂と記述しているか理解できないんですよね。Wikipedia:著作権で保護されている文章等の引用に関する方針にも反していますし。批判したのかと思って出典を読んでみたら、そう伝わっているという事実が検証できただけでしたよ。内容を検証して真偽を判定しろなんて言っていません。検証可能な内容だけを書くべきだと言っているんです。貴方は、著者の伝聞をそのまま事実であるかのように書いてしまっています。その検証を著者の記述に求めても、元々何の検証も資料提示もされていない伝聞なので検証は不可能だと言っているんですよ。﹁批判した﹂と﹁批判したと伝わっている﹂では意味合いが全然違うと言うことです。
>TPOがあるわけですよ。最高レベルの出典が必要な記事もありますが、これは違います。ただの人物のエピソードについての話です。
だからしっかりした出典も提示できない伝聞程度の記述なら特筆性が無いと思うんですよね。この出典って、伝聞以外に何も根拠がないですよね?そもそも人物エピソードなら伝聞程度の適当な出典で構わないってwikipediaのルールにありましたっけ?独自ルールでやってるのは貴方じゃないんですか?
なんにしろ現状の記述でいいと思いますよ。--153.228.166.71 2016年5月3日 (火) 13:02 (UTC)
もう面倒くさいんですが、﹃﹁小河が批判した﹂としか読めませんが﹄と言う同じ人が、﹃明治天皇が大久保らを批判したことが、さも事実であるかのように記述﹄と言ってる。読み直したら自分の間違いに気付いたということ??? あー、もう答えなくてもいいですが、受け取る側からすれば、ああいえばこういうということを繰り返してるだけだなとしか、感じません。
検証可能性については何度言ってもわからないので、これ以上、説明に労したくないです。検証の対象からして間違ってるし、文章の内容も前述のように180度理解がコロコロ変わるようで話にならない。
特筆性は普通にあります。それと伝聞程度の記述と根拠なく矮小化してるけど、割と知れているエピソードなので。伝聞伝聞といっているのは、あなただけなので。あなたがどういう根拠なのかはしりませんし、もう関わりたくもないですが。--Quark Logo︵会話︶ 2016年5月3日 (火) 13:43 (UTC)
>み直したら自分の間違いに気付いたということ???
え?いまさらですか?指摘された直後から主語を小河に変えてますけど?でも貴方は﹁小河が批判した﹂とは書いてないと言い張るんだよね?こちらは指摘された部分は修正して答えているけど、貴方は嘘で言い張っているだけ。明らかに﹁小河が批判した﹂って書いてますから。
検証可能性を履き違えているのは貴方。﹁出典が読める=検証可能﹂じゃないんですけど?記述した内容を検証可能か否かだから。そもそも出典に書いてある内容と記事の記述の内容が違うでしょ。出典のどこに﹁小河一敏が~暗に批判した﹂なんて書いてありました?出典と違う内容を書いて検証可能だと思っているなら完全に検証可能性を勘違いしているよ。出典に書いてあるのは﹁そういう話が伝わっている﹂って話。貴方はこれを端折った上に拡大解釈してその話が事実かのような記述をしたのね。もう一度言うけど、出典と違う内容を書いて出典で検証可能なわけがないんですよ。
>割と知れているエピソードなので。
そいうのはwikipediaでは関係ありませんので。1次資料も2次資料も提示できないのに、割と知られているというどの程度知られているのか実証もできないような根拠のない理由で特筆性があるとは思えません。まあこれは個人的意見ですので、別に書くなとは言いませんよ。興味深いエピソードなのは確かですし。ただ書くとしたら出典に書いてある通りに、伝聞であることが伝わるようにすべきだと言っているんですよ。出典を引用するならその通りに書くべきだと言っているんです。
>伝聞伝聞といっているのは、あなただけなので
だからそれなら伝聞以外の出典を提示すればいいだけの話では?もう1つの出典もページが指定されてないから出典として不十分ですし。あと、ただの人物のエピソードだから最高レベルの出典は必要でないかのように言ったの貴方ですよ。立派な矮小化でしょ。それに合わせて受け答えしただけのことです。で、wikipediaのどこに内容次第で適当な出典で構わないって書いてあるんですか?
分かっていないようなのでまとめますけど、﹁批判した﹂と、事実であるかのように断言して書くのであれば、出典では検証不可能なので出典内で検証作業や1次資料の提示が行われた等の信憑性が問われると言っているのであって、﹁~したという話が伝わっている﹂と出典をそのまま書くのであれば出典は検証可能性を満たしていると言っているんですよ。別に出典をそのまま引用すれば何の問題もないんじゃないですか?なぜそれを、伝聞的表現をあえて削って断定的な表現にしているのか理解できないと言っているんです。これは引用元の曲解ですよ。--153.228.166.71 2016年5月3日 (火) 15:20 (UTC)
IP:153.228.166.71︵会話 / 投稿記録︶氏は、出典をそのまま書き写す、が良いと思ってるということですか。あー、はいはい。しかし検証可能性とそれは関係ないのです。何度言っても同じ事をいってきますが。氏の内容は、一字一句同じか、ということで、それは引用。引用はしないで書くパターンもある。あなたは知らないわけですが、引用のルールは非常に厳しい。法例によれば、引用する場合は一字一句変えてはならないことになっている。引用すれば良いじゃないのです。そんなことをやっていると、記事全体として部分的に冗長になるし、関係ない人の話が増えて、人物伝を越えてしまう。この記事では田中を中心に書かなければならないわけで出典を写せば良いではない。そもそも田中の人物伝として書くという作業をしているわけですから、目的が出典の著作とは違うので、同じで良いにはならない。あなたは執筆の経験がないので、そこも分かってないように思います。
そして、あなたの言ってることは、すべてあなたの読解力からの解釈であって、そっちが勝手に言ってるだけで、あなたが何を考えているか、私には分かりません。こっちから見ると、この人は何を考えているのだろうと首をかしげるだけです。あなたはこのページだけでも、明治天皇が1回、古老が語り合ってで1回、﹁小河が批判した﹂という語句で3回以上と、文法上の対象を間違ってるわけで、何を力説したいのか良く伝わってこないので、しばしば不可思議です。私が言ったことがそもそも伝わってないのではと、思ってます。ズレが相当ある。しかしもうそこはスルーしてます。
結局、IP:153.228.166.71︵会話 / 投稿記録︶氏は編集は、出典の書籍の記述である﹁という話が伝わっている。﹂との語句を、﹁話が伝わっている﹂と微妙に書き換えた追記しただけで、それは引用でもなんでもないし、言わなくても伝わる情報。書き出しがそもそも﹁維新の後のある時、・・・﹂なので、普通の人の読解力では、ある時のある話だということが共通理解として伝わります。しかしあなたにとっては、それが﹁事実であるかのように断言して書﹂かれているという解釈になるのでしょう。あー、そうですか。あなたの感覚にそもそも共感できないし、話がこうして残ってるなら、話は伝わったに決まってるわけで、言わずもがなのクドイ表現だな、と思いますね。--Quark Logo︵会話︶ 2016年5月4日 (水) 01:15 (UTC)
>目的が出典の著作とは違うので、同じで良いにはならない
貴方は表現だけでなく、出典が伝えようとした内容まで変えてしまっています。貴方のやり方は明らかに出典の一部を引用し、その一部を改竄しています。私は是が非でも引用しろと言っているわけではなく、一部を引用するならそれを変えずにそのまま引用するべきだと言っているんですよ。出典のどこに﹁暗に批判した﹂なんて表現がありました?そいうのが出典の意図を独自解釈して捻じ曲げて伝えていると言っているんです。
>話がこうして残ってるなら、話は伝わったに決まってるわけで
だったら始めからそう書けばいいんですよ。なぜ出典元の﹁~したという話が伝わっている﹂をわざわざ出典にありもしない﹁批判した﹂などという独自解釈にしたのか全く理解できませんね。出典の書籍が伝えんとしている内容は、﹁話が伝わっている﹂ということであって、﹁批判した﹂ではありません。貴方が言わずもがなのクドイ表現だと思おうがなんだろうが、出典の意図を尊重するのは当たり前のことです。
>話がこうして残ってるなら、話は伝わったに決まってるわけ
それはただの屁理屈ですね。﹁伝わっている﹂という出典の表現の意味するところは単に話が伝わったかから話が残っているということではなく、﹁事実確認はしていないがそういう話を聞いた﹂ということであり、貴方の記述の﹁批判した﹂という、まるで著者自身が見聞きしたかのような断定的表現とは全く意味が違ってきます。
>言わなくても伝わる情報
それこそ貴方が勝手に思い込んでいるだけです。私を含めた読み手の読解力云々を言う前に、誰にでも確実に伝わる表現を考慮したらどうです?私は﹁批判した﹂という断定表現では、少なくとも出典の著者がその場に居合わせたか、それを確信できる1次資料が出典に提示されていると判断するのが普通だと思いますけどね。結局どちらでもなくただの伝聞表現でしたが。wikipediaの執筆者なら﹁貴方が勝手に思い込んでいるだけ﹂で済ませずに誰にでも確実に伝わるように努力して下さい。
>﹁維新の後のある時、・・・﹂なので、普通の人の読解力では、ある時のある話だということが共通理解として伝わります
正確な日時が分からないことと、その内容が事実であるか伝聞であるかは全く無関係です。共通理解ではなく貴方が勝手に﹁ある時の話=事実とは言っていない﹂と思っているだけでしょう。書き出しが﹁ある時﹂の話でも事実もあれば創作話もありますし。読解力の問題ではありません。
なんにしろ貴方自身が﹁暗に批判した﹂という表現を削除したんだからもういいんじゃないですか?多少なりとも修正すべきだと思ったからしたんでしょう?広沢真臣の件でも、﹁それはこの報復だった。﹂ではなく﹁それはこの報復だったのではないかといわれている。﹂に留まっているんだからいいと思いますよ。それでもまだ言いたいことがあるようなので返信してますけど、﹁関わりたくない﹂なら返信しなくて構いませんよ。お返事頂けばまた返しますけどね--153.228.166.71 2016年5月4日 (水) 06:09 (UTC)
- 内容は変えてません。表現を変えただけ。これが分からないならもう良いです。もうこれ以上絡んでこないで下さい。迷惑です。--Quark Logo(会話) 2016年5月4日 (水) 06:45 (UTC)