ノート:白田秀彰
2012年3月3日 (土) 15:22(UTC)版の編集について[編集]
2012年3月3日 (土) 15:22(UTC)版の編集にて、﹁要約が、リンク先の内容と逆になっていたので直し、主張の概要を追記。﹂とありますが、資料の誤読と思われます。
﹁単純所持宣言 / その他、性規制について﹂の文章には、﹁ここで確認しておくが、私は暴力表現について、現在よりもはるかに厳格に規制すべきだと考えている。また性的暴力というものがあることも承知しており、当然、暴力は厳しく批判され処罰されるべきだと考えている。﹂とあります。
﹁違法有害表現に関する覚書﹂の8ページには、﹁すなわち、そうした領域の表現を抑制したいのであれば、それは法律による強制ではなくて、宗教的な
教導、あるいは哲学的な説得によって改善されるべき領域の問題なのだ。﹂とありますが、﹁そうした領域﹂とは﹁違法表現のうち(i) 範疇のもの、そして有害表現のうち(B) 範疇を除くもの﹂を指し、﹁有害表現のうち(B) 範疇﹂とは﹁3. 危険行為(含む暴力表現) に関する表現﹂と﹁4. 危険物質に関する表現﹂の2つを指します︵7ページ。文中では﹁(B) 2 と3は、〜﹂とあるものの、﹁2﹂が文中の上記﹁(A)1 と2は、〜﹂と重複しており、また、﹁4﹂が文中で欠けている為、﹁(B) 3 と4は、〜﹂と表記すべき所を誤記したものと考えられる︶。従って、文中の﹁そうした領域﹂の範囲から暴力表現は除外されており、暴力表現の法規制を否定する趣旨の文にはなっていません。
また、それ以下には﹁私の価値観や規範観からしても、現在の表現の状況は誉められるものではないと判断している。しかし、それは法律の強制すなわち制御された暴力によって達成されるべきものではない。﹂とありますが、この文章は前記の﹁加えて、国家が法律をもって禁止する表現は、具体的かつ客観的に害悪が立証され得るものに限定される、という原則を確認すべきだ。﹂との文章を受けてのものであり、ここでの﹁法律の強制﹂とは﹁国家が法律をもって禁止する﹂ものを指します︵法律の強制であっても、例えばゾーニングなど表現へのアクセス規制であれば、表現そのものへの規制︵﹁表現の状況﹂への直接介入︶ではなく、表現の﹁周辺﹂状況への規制となる︶。﹁猥褻に関するコメント﹂も参考にご参照下さい。
以上より、当該編集を差し戻したいと思います--4行DA︵会話︶ 2012年3月4日 (日) 15:55 (UTC)
- 相当期間が経過しましたが、異論がない為、当該編集を差し戻しました。--4行DA(会話) 2012年4月20日 (金) 14:13 (UTC)